若草伽藍(わかくさがらん)は、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺西院伽藍南東部の境内から発見された寺院跡である。創建時の法隆寺であると考えられることから、創建法隆寺とも呼ばれる。(ウィキペディアより)
まず、現在の法隆寺は天武系を蘇らせないために造られた寺、と仮定します。
初めは文武天皇の鎮魂のための寺だったが、長屋王の祟りと考えられた藤原四兄弟の死(実際は天然痘によるもの)が起きたために、天武系全体を鎮魂、さらにいえば、蘇らせないための寺に変貌した。
蘇莫者(そまくしゃ)というのは『雅楽,管絃,舞楽の曲名。』だそうですが、名前の
蘇莫者の「蘇」は「よみがえる」、「莫」は「なし」、「者」は「人」でしょうし、
つなげれば、「蘇ることなき者」でしょう。
もとは「蘇莫遮」のようですが、
https://kanji.jitenon.jp/kanjid/1714.html
「遮」
さえぎる。とめる。とどめる。おおいかくす。これ。この。
梵語(ボンゴ)の音訳に用いる字。
「蘇莫遮」では、「蘇る・なし・さえぎる」で〈よみがえることをさえぎるなし〉で蘇ってしまいますが、「蘇莫者」では「蘇ることなき者」となって、逆になってしまいます。祭りの名前が「ソマクシャ」と聞こえたもので「蘇莫遮」と漢字で表したようです。
それが、「蘇莫者」となったようです。
しかし、「蘇莫遮」と「蘇莫者」では音は同じでも意味は正反対ではないでしょうか。
ただし、それ以前の若草伽藍はなぜそこに建てられたのか。
若草伽藍は創建法隆寺とされています。
では、誰がその位置に若草伽藍・創建法隆寺を建立したのでしょうか。
聖徳太子ということになるのでしょうが、
私の想像では、天武系の初代(もしくは2代目)大王、(すなわちもともと聖徳太子とされる方)ではないか。
現在の法隆寺の位置としては、何度も見ていますが、いわゆる天智系との関連も見つけられます。
そして、現在では、天武系を復活させない、という願いもこめられているようにみえます。
なぜ、若草伽藍・創建法隆寺はそこにあったのでしょう。
たまたま見つけましたが、
{《香久山山頂→耳成山山頂→若草伽藍塔跡が一直線で、
若草伽藍塔跡から二上山頂の角度が南西方向30度で、
若草伽藍塔跡から耳成山山頂、香久山山頂の角度が南東方向30度》
という説、大和岩雄氏の説、関裕二氏の「鬼の王権・聖徳太子の謎」p143に紹介されていました。}
そうなのかもしれませんが、まだ納得しかねました。
そこで、グーグルアースで遊んでみました。
そして、もしかすると、斑鳩が日本の中心と考えたのでは、と想像しました。
聖徳太子は斑鳩に宮を造ったことになっています、なぜならば、斑鳩が中心となるべき位置だったから、ということになります。
斑鳩から、出雲大社ではなく佐太神社、気多大社、諏訪大社、富士山までの距離がほとんど同じです。
若草伽藍塔心礎→佐太神社
①292°32′23.60″ ②110°58′17.60″ ③268,097.527(m)
若草伽藍塔心礎→気多大社
①19°40′12.88″ ②200°16′23.51″ ③273,046.955(m)
若草伽藍塔心礎→諏訪大社下社秋宮(秋宮ですと円周上にあります)
①52°10′03.11″ ②233°31′48.61″ ③268,604.989(m)
若草伽藍塔心礎→富士山本宮浅間大社
①74°37′44.48″ ②256°16′27.91″ ③271,301.862(m)
若草伽藍塔心礎
北緯34度36分46.82秒 東経135度44分09.95秒
34°36’46.82”N 135°44’09.95”E
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.613006/135.736097/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
佐太神社
北緯35度30分32.05秒 東経133度00分22.93秒
35°30’32.05”N 133°00’22.93”E
https://maps.gsi.go.jp/#15/35.508884/133.004132/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
気多大社
北緯36度55分33.49秒 東経136度46分02.61秒
36°55’33.49”N 136°46’02.61”E
https://maps.gsi.go.jp/#15/36.925969/136.767392/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
諏訪大社下社秋宮
北緯36度04分31.26秒 東経138度05分28.35秒
36°04′31.26″N 138°05′28.35″E
https://maps.gsi.go.jp/#15/36.075350/138.091208/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
富士山本宮浅間大社
北緯35度13分38.84秒 東経138度36分36.12秒
35°13’38.84”N 138°36’36.12”E
https://maps.gsi.go.jp/#15/35.227456/138.610033/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
まず、現在の法隆寺は天武系を蘇らせないために造られた寺、と仮定します。
初めは文武天皇の鎮魂のための寺だったが、長屋王の祟りと考えられた藤原四兄弟の死(実際は天然痘によるもの)が起きたために、天武系全体を鎮魂、さらにいえば、蘇らせないための寺に変貌した。
蘇莫者(そまくしゃ)というのは『雅楽,管絃,舞楽の曲名。』だそうですが、名前の
蘇莫者の「蘇」は「よみがえる」、「莫」は「なし」、「者」は「人」でしょうし、
つなげれば、「蘇ることなき者」でしょう。
もとは「蘇莫遮」のようですが、
https://kanji.jitenon.jp/kanjid/1714.html
「遮」
さえぎる。とめる。とどめる。おおいかくす。これ。この。
梵語(ボンゴ)の音訳に用いる字。
「蘇莫遮」では、「蘇る・なし・さえぎる」で〈よみがえることをさえぎるなし〉で蘇ってしまいますが、「蘇莫者」では「蘇ることなき者」となって、逆になってしまいます。祭りの名前が「ソマクシャ」と聞こえたもので「蘇莫遮」と漢字で表したようです。
それが、「蘇莫者」となったようです。
しかし、「蘇莫遮」と「蘇莫者」では音は同じでも意味は正反対ではないでしょうか。
ただし、それ以前の若草伽藍はなぜそこに建てられたのか。
若草伽藍は創建法隆寺とされています。
では、誰がその位置に若草伽藍・創建法隆寺を建立したのでしょうか。
聖徳太子ということになるのでしょうが、
私の想像では、天武系の初代(もしくは2代目)大王、(すなわちもともと聖徳太子とされる方)ではないか。
現在の法隆寺の位置としては、何度も見ていますが、いわゆる天智系との関連も見つけられます。
そして、現在では、天武系を復活させない、という願いもこめられているようにみえます。
なぜ、若草伽藍・創建法隆寺はそこにあったのでしょう。
たまたま見つけましたが、
{《香久山山頂→耳成山山頂→若草伽藍塔跡が一直線で、
若草伽藍塔跡から二上山頂の角度が南西方向30度で、
若草伽藍塔跡から耳成山山頂、香久山山頂の角度が南東方向30度》
という説、大和岩雄氏の説、関裕二氏の「鬼の王権・聖徳太子の謎」p143に紹介されていました。}
そうなのかもしれませんが、まだ納得しかねました。
そこで、グーグルアースで遊んでみました。
そして、もしかすると、斑鳩が日本の中心と考えたのでは、と想像しました。
聖徳太子は斑鳩に宮を造ったことになっています、なぜならば、斑鳩が中心となるべき位置だったから、ということになります。
斑鳩から、出雲大社ではなく佐太神社、気多大社、諏訪大社、富士山までの距離がほとんど同じです。
若草伽藍塔心礎→佐太神社
①292°32′23.60″ ②110°58′17.60″ ③268,097.527(m)
若草伽藍塔心礎→気多大社
①19°40′12.88″ ②200°16′23.51″ ③273,046.955(m)
若草伽藍塔心礎→諏訪大社下社秋宮(秋宮ですと円周上にあります)
①52°10′03.11″ ②233°31′48.61″ ③268,604.989(m)
若草伽藍塔心礎→富士山本宮浅間大社
①74°37′44.48″ ②256°16′27.91″ ③271,301.862(m)
若草伽藍塔心礎
北緯34度36分46.82秒 東経135度44分09.95秒
34°36’46.82”N 135°44’09.95”E
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佐太神社
北緯35度30分32.05秒 東経133度00分22.93秒
35°30’32.05”N 133°00’22.93”E
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気多大社
北緯36度55分33.49秒 東経136度46分02.61秒
36°55’33.49”N 136°46’02.61”E
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諏訪大社下社秋宮
北緯36度04分31.26秒 東経138度05分28.35秒
36°04′31.26″N 138°05′28.35″E
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富士山本宮浅間大社
北緯35度13分38.84秒 東経138度36分36.12秒
35°13’38.84”N 138°36’36.12”E
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