古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

藤ノ木古墳-石上神宮-法華寺は正三角形

2011年03月25日 21時22分22秒 | Weblog










法華寺
 北緯34度41分33.01秒、東経135度48分14.65秒
石上神宮
 北緯34度35分52.74秒、東経135度51分07.08秒
藤ノ木古墳
 北緯34度36分42.85秒、東経135度43分46.15秒

藤ノ木古墳→法華寺
 ①37.3241度 ②217.366度 ③11.26095km
 Ⅰ37°23′00.00″  Ⅱ217°25′32.67″ Ⅲ11,255.883(m)
藤ノ木古墳→石上神宮
 ①97.8082度 ②277.877度 ③11.31113km
 Ⅰ97°47′28.42″  Ⅱ277°51′38.83″ Ⅲ11,340.117(m)
石上神宮→法華寺
 ①337.417度 ②157.390度 ③11.36859km
 Ⅰ337°17′23.85″  Ⅱ157°15′45.82″ Ⅲ11,367.813(m)

藤ノ木古墳での角度
 97.8082-37.3241=60.4841度
 97°47′28.42″-37°23′00.00″=60°24′28.42″≒60.4079度
石上神宮での角度
 337.417-277.877=59.54度
 337°17′23.85″-277°51′38.83″=59°25′45.02″≒59.4291度
法華寺での角度
 217.366-157.390=59.976度
 217°25′32.67″-157°15′45.82″=60°09′46.85″≒60.1530度

聖徳太子御廟所-藤ノ木古墳-長屋王邸は一直線であることは、既に見ています。
そして、その延長線上で、元正天皇陵、聖武天皇陵の近くに不比等の墓が存在すると考えていたために、この正三角形を見落としていました。

法華寺は元藤原不比等邸
石上神宮は物部氏の氏寺、
なぜ、その二点と、藤ノ木古墳を結ぶと正三角形になるのでしょうか。
それは、藤ノ木古墳の被葬者の一人が文武天皇だからです。
この三角関係は、藤原不比等・物部連麻呂・文武天皇の関係を示しているはずです。(この三者の関係は、もう何度も書いています)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E5%AF%BA
《東大寺が全国の総国分寺であったのに対し、法華寺は総国分尼寺と位置づけられ、詳しくは法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)といった。法華寺の地にはもと藤原不比等の邸宅があり、不比等の没後、娘の光明子、すなわち光明皇后がこれを相続して皇后宮とした。天平17年(745年)5月、皇后宮を宮寺としたのが法華寺の始まりである(『続日本紀』)。》

野暮用が多くて、舌足らずになっていますが、とりあえず投稿しました。
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