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日常よく使われる英語表現を毎日紹介します。毎日日本時間の午前9時までに更新します。英文執筆・翻訳・構成・管理:上杉隼人

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毎日更新! GetUpEnglish Updates Every Day! Since April 1, 2006 (c) 2006-2024 Uesugi Hayato(上杉隼人)

Black Lives Matter

2020-06-14 19:22:35 | B

   ミネアポリスで黒人男性ジョージ・フロイドさんが白人警察官によって拘束死させられた事件を契機に、アメリカ全体で抗議デモが起こっている。
 これはアメリカが抱える長い黒人差別の問題が根差している。
 どうしてこんなことになってしまっているのか、アメリカの長い歴史をさかのぼって考えてみる必要があるだろう。
手前味噌になるが、2018年12月に刊行したジェームズ・ウエスト・デイビッドソン『若い読者のためのアメリカ史』第36章に、黒人差別の問題が詳細に描かれている。
 ぜひご覧いただきたい。その一部を紹介する。

 時に歴史は高い地位にある人たちの周辺でほとんど展開するように思われる。第35章で紹介したとおり、ケネディ大統領は「世界の対極に座るふたりの男が文明に終わりをもたらす決断力を備えなければならない」と述べた。だが、歴史は権力者たちが気にも留めない事柄を名もなき者たちが成し遂げることによって、下から湧き上がることもある。ケネディはキューバのミサイル危機を回避した翌1963年、まさにこれを目撃することになった。25万人ものアメリカ人がワシントンに集結し、未解決の奴隷制度と自由の問題について訴えたのだ。
 
 だが、奴隷解放は実現したものの、その後もアメリカ社会は分離政策によってより明確な形で分断されることになった。かつての奴隷州では、白人と黒人の学校は別々に、ホテルも病院も水飲み場も分離することを求める法が成立した。アラバマ州は白人が黒人とチェッカー(各12の駒を持って遊ぶはさみ将棋に似た遊戯)に興じることを禁じた。オクラホマ州では白人用と黒人用の公衆電話ボックスを別個に設置した。奴隷と自由な人々を区切っていた線が今度は黒と白の新たな色の線に置き換えられ、それが残酷なリンチによってかつてないほど色濃く強調されることになった。
(……)

 そして1954年、カンザス州トピカの黒人オリヴァー・L・ブラウン(1918~1961)は、白人学校は家から徒歩でたったの7ブロックの距離にあるにもかかわらず、自分の8歳の娘リンダは家から1・5キロ以上離れた場所にある黒人学校に通うためにスクールバスの停留所まで6ブロック歩き、そこからスクールバスに乗らなければならないとして、ほかの親たちとともにトピカの教育委員会に対して集団訴訟を起こした(ブラウンは全米黒人地位向上協会トピカ支部の指導部によって募集された原告のひとりであった)。この「ブラウン対教育委員会裁判」は、アール・ウォーレン首席裁判官の法廷において、満場一致(9―0)で「人種分離した教育機関は本来不平等である」と判決が下された。分離した教育機関は常に不平等である、なぜならそれによって「劣等感」が生み出され、生徒たちの「心と精神に取り返しがつかないと思われる」影響をおよぼすからである、と判断されたのだ。

 1世紀つづいた習慣はそう簡単に覆(くつが)えらなかった。100人を超える南部の議会議員はそれぞれの署名を添えて、各自の州に「ブラウン対教育委員会裁判」の判決の受け入れ拒否を促す公開書状を突きつけた。「法のもとによる分離政策」が南部の広い地域でなおつづけられていた。そんななか、アラバマ州のモンゴメリーにおいて、百貨店で裁縫の仕事をしていたローザ・パークスは1955年12月1日、公共交通機関のバス内で白人に席を譲らなかった。これにより市条例違反で逮捕され、拘置所に入れられた。パークスは問題を起こしたくはなかったが、意思に反して立たされることは受け入れたくなかった。全米黒人地位向上協会から今回の件で訴訟を起こし、人種の分離の不正を訴えられないかと求められたが、すぐには返答できなかった。「白人に殺されるぞ、ローザ」と夫は心配した。ほんとうにそう思ったのだ。だが、パークスは協会の提案を受け入れることにした。まさにその晩、黒人女性の一団が密かに集まり、さらに大胆な行動を求めるチラシを印刷した。「バスのなかで席を譲らなかったという理由で、また黒人女性が逮捕され、拘置所に入れられた」とそこには記されていた。「こうした理不尽は逮捕をやめさせない限り、これからもつづけられることになる。次はあなたかもしれない、あるいはあなたかもしれない、あるいはあなたかもしれない。逮捕された女性の判決は月曜日に下される。だからわたしたちは不当な逮捕と裁判に抗議し、すべての黒人に月曜日はバスに乗らないように呼びかけるつもりだ」。モンゴメリーのデクスター街バプテスト教会の牧師に着任したばかりで、当時26歳だったマーティン・ルーサー・キング・ジュニア(1929~1968)が、このバス・ボイコット運動の指導的役割をはたした。キングは友人のエリオット・フィンレイとともにその月曜日の判決後の夜の会合に車で向かうも、激しい渋滞に巻き込まれ、車をどこかに停めてそこからは歩くしかなかった。すると5000人を超える人たちもどこからか出てきて、会場に向かうまでの通りが埋め尽くされた。

 キング牧師は教会内の聴衆に語りかけたが、入りきれずに外にあふれていた人たちにも聞こえるように大きなスピーカーが用意された。牧師は静かに話し出したが、その声は次第に力を帯び、どうしてここにこんなにたくさんの人たちが集まることになったか説明した。「いつの日か人々は疲れてしまいます」とキングは言った。奴隷制度は1世紀近く前に終わりを告げたが、分離に置き換えられただけの話だ。「ブラウン対教育委員会裁判」は分離を違憲としたが、黒人たちは依然「虐待され」、下等な市民として扱われている。抗議する以外に彼らに何ができるのか? 聴衆は興奮して拍手喝采を送り、神に祈りを捧げた。だが、キングは抗議を呼びかける以外のこともしようとした。ある方法によって、すなわち愛と非暴力によって、目的を達成するのだ。牧師は不公平な法にしたがうのを拒む道徳的義務を伝えるヘンリー・デイビッド・ソローの文章を読んできた。神学校ではマハトマ・ガンジー(1869~1948)が非暴力を通じて自国インドをいかにイギリスから独立させたかについて学んだ。暴力や脅しを突きつけられることがあれば、敢然と立ち向かうが、やり返してはならない、と牧師は聴衆に伝えた。フードのついた服を着た黒人が真夜中に白人をリンチにかけることはない。夜に十字架が焼かれたり、通りを暴徒が歩きまわることもない。もし目の前の聴衆がこうしたことを守ってくれれば、彼らは歴史に「偉大なる人々。黒人たち……道徳的勇気を持って自分たちの権利のために立ち上がった者たち」として記憶されるだろうと断言した。
(……)

 そして彼らモンゴメリーの黒人たちが公民権運動への道を切り開いた。各種の行動をまとめるには、組織が重要だった。全米黒人地位向上協会は活動をつづけた。キングはほかの牧師たちと1957年に南部キリスト教指導者会議(SCLC)を創設した。ほかに人種平等会議(CORE)や学生全米調整委員会(SNCC[「スニック」と呼ばれた])もあった。だが、こうしたグループは最初の危険な一歩を自ら踏み出した一般人がいたからこそ、すべて成り立ったのだ。ローザ・パークスは勇敢にそんな一歩を踏み出したひとりだった。先ほど紹介した真夜中にチラシを印刷した女性たちもそうだ。さらに当時ノースカロライナの大学生だったジョセフ・マクニール(1942~ )もそのひとりだ。1960年1月のある晩、マクニールはあるレストランで食事をしようとしたところ、「ここは黒人は受け入れていない」と言われた。それではと彼は2月1日の夕方、クラスメート3人とともに(彼らは「グリーンズボロの4人」と呼ばれることになった)、グリーンズボロのウールワース・ドラッグストア内の黒人が着いてはならないとされていた軽食用カウンターに「座って」(シット・イン)、飲み物が供されるのを待った。店主は驚いてそのカウンターから彼らを締め出したが、翌日には4人の「座り込み」(シット・イン)に27人が参加した。さらにその翌日は63人が加わった。そして4日目には300人以上が、週末には約1600人が押し寄せ、店主はついに店の方針を変えて、彼ら黒人がそのカウンターで食事や飲み物を摂れるようにした。こうした軽食用カウンターへの「座り込み」(シット・イン)活動はひとつの都市から別の都市へと広がり、かつては「白人のみ」の世界だった場所を黒人に開放した。
(……)

 ジェームズ・ウエスト・デイビッドソン『若い読者のためのアメリカ史』(すばる舎)より好評発売中。

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POSTERITY

2020-06-14 08:22:54 | P

 posterityは「後世、子孫」。
 今日のGetUpEnglishはこの語を学習する。

○Practical Example
 That painter left his name to posterity.
「その画家は後世に名を残した」

●Extra Point
  もう一例。

◎Extra Example
 Many exploits that should go down to posterity are forgotten.
「後世に伝えられるべき多くの偉業が忘れられている」

☆Extra Extra Point
  翻訳刊行予定のこの本に、この表現があった。

 https://blog.goo.ne.jp/getupenglish/e/9ba2a825a162caae948aa0b5b5f3b349

★Extra Extra Example
   Occasionally, a contemporary recorded, he would add the final touches himself – a fact which further confused posterity.
「当時の記録に芸術家が最後に手を入れたという記述が確認されることもあり、後世の者はさらに混乱した」

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