熊本城は別名銀杏城とも呼ばれ桜の名所となっているそうです。
熊本城を築城したのは加藤清正です。
加藤 清正の築城から400年、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。肥後国熊本藩初代藩主であり別名虎之助(とらのすけ). 豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人。
清正は特に石垣造りを得意とし、熊本城では、始め緩やかな勾配のものが上部に行くにしたがって垂直に近くなる「武者返し」と呼ばれる形状の石垣を多用しているそうです。
石垣の上部はあまり変色していないためキレイな状態で残っています。
ガイドさんに説明していただき熊本城のお勉強をしてから、天守閣に上がりました。
天守閣から見た風景はまた別記事にします。
明治神宮の清正の井戸も加藤清正が掘ったといわれていますが、江戸時代、熊本藩の歴史の大半を占めたのは細川氏でしたが、西南戦争で天守が焼失するのを地元の人は「清正公(せいしょこ)さんの城が燃えている…。」と悲しんだといわれ、西南戦争の際は官軍の守る熊本城を攻め落とすことができなかった西郷隆盛が「おいどんは官軍に負けたとじゃなか。清正公に負けたとでごわす」と言ったとされているそうです。
タイミングよく15時のお城ガイドの時間に間に合いましたので案内していただきました。
無料で開催しているので熊本城の観光時は是非参加されるのをおすすめします。
<私の熊本城観光コース順路>
頬当御門(ほほあてごもん)~宇土櫓(うとやぐら)~闇り御門(くらがりごもん)〜本丸御殿〜熊本城天守閣前~熊本城天守閣
熊本城から見た風景はまた別記事で。
熊本城観光まだつづく
九州縦断と九州横断の鉄道の旅 目次(大分県、熊本県、鹿児島県) まとめはこちら
お城に詳しいわけではないのですが、黒いお城っていう所が、印象強くて、一度見に行きたいと思っています^^勉強してから訪問出来たら、より思い出深くなりますよね~~~☆
弾丸九州ツアーだったので駆け足でしたが熊本もまた再訪したいです。
くまモングッズがかわいいかったです。