脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

47歳の転職は厳しかった3

2015年12月28日 09時52分48秒 | わが半生
平成19年 お菓子会社の採用面接は不可となり私は就職支援会社へ足を運んでいました。そこでは履歴書や職務経歴書の書き方や面接でのポイントの講習も受けていたのですが(何かが違う・・)根拠はありません。どうも就職支援会社は私には合わないように感じていたのです。丁度、その頃、私が退職する1年前に希望退職した元同僚から会わないかとの連絡を受け大阪淀屋橋で落ち合うことになり・・丁度、京阪電鉄淀屋橋の改札を出て階段を上がると淀屋橋があり川を渡ると大阪市役所が見える喫茶店で待ち合わせをしました。お互いに時間には几帳面で仕事を終えた同僚がやってきました。店内にお客様も多くザワついてるなか同僚はテーブルのコーヒーもそっちのけで話し始めたのです。『ウチの会社に相談してみるので、もし・・Yさんさえ良ければ会社がOKなら一緒に働かないか?』正直、嬉しい気持ちでいっぱいになりました。『ボクの年収は●●円・・係長待遇やけど。。実は契約社員で毎年更新契約なんや。今のご時世、俺たちみたいな年齢での再雇用は年収も300~400で契約社員が多い・・それにウチの会社。。あのTさんが俺たちの元上司でM]さんを入社させたんやで。今、Mさんは僕の上司なんや。』確かに40歳後半で正社員は難しく年収も大幅にダウンすることは谷町の管理職専門の就職支援先からも聞いていて知ってはいましたが、それはあくまで知識レベル。現実に、それを体験したわけではありませんでした。以前の会社関連で同業他社へ転職した社員も契約社員としてが多く契約であれば、いわゆるコネ入社で、それなりの年収は確保できたと聞いているものの・・これら同業他社は、その語やってくる更なる過払い請求の嵐で消えていったのです。私に一緒に仕事をしないかと言ってくれた元同僚の会社は流通系クレジット会社。現在も存在しています。『Yさん・・どうかな?気持ちがあるなら会社に話をしてみるけど・・』私は迷わずお願いしたのです。『そう!そんなら早速、かけあってみる!』そんな感じで、その日は別れました。一方で私はハローワークで失業保険の給付手続きと採用募集広告を見ていたのですが・・なかなか思うような企業がありません。ハローワーク・・生まれて初めての経験でした。専門学校を卒業して23歳まで転職経験はあったもののハローワークに行かずに転職できていたので・・それまで正直、ハローワークに対するイメージは暗いものとばかりでした。でも失業保険もリストラが原因なので満額で1年間支給されるとわかり少しホッとしたものの月20万ほどの失業保険のうち国民年金などの費用を引くと・・(いや・・ゆっくりもしてられへん!)住宅ローンは完済したものの残りの退職金はわずか・・私は難波にある就職支援先へ足を運びながらインターネットの転職サイトも模索していました・・そして数日後、元同僚から連絡が入ってきたのです。
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