明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

深川  


私が深川に越して来て30年は経つ。以前も書いたがある晩、泉鏡花の『葛飾酢砂子』を読んでいたら、門前仲町から船が我が家に向かってくるので興奮。現在の平久橋のたもとの石碑がでてきた。「おお、気味悪い。」と舷(ふなばた)を左へ坐りかわった縞の羽織は大いに悄気(しょげ)る。「とっさん、何だろう。」「これかね、寛政子年の津浪に死骸の固っていた処だ。」』夜中に懐中電灯をたずさえ碑を見に行った。若干位置が変わったようだが、鏡花が船から見上げたことは間違いがなく、その碑には『長さ二百八十間余の所、家居(いえい)取払い空地となし置くものなり。』と刻まれていたが、現在は判読不能。津波被害にあった村が昔の碑に書いてあることを信じ、助かったという話があったが、こちらはすっかり無視され現在は人家だらけで海岸線ははるかかなたである。作中の人物は、海岸の波打ち際であったろう河本の前を通り洲崎遊郭に向かう。 最新刊『あやかしの深川』(東雅夫編 猿江商會)には三遊亭圓朝の『怪談阿三の森』が納められている。“お噺はチト当今の御時世に向の遠い怪談でございますが”で始まり、いきなりご近所の町名連発で、また現場に行ってしまいそうなので本日は読むのを我慢。

HP



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