明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



近所に5人も子供がいるT屋がある。うち娘が3人。森鴎外を作った時、軍医総監の格好をさせたが、肩に着ける飾緒の三つ編みをかみさんにやってもらった。私はこういうことはからっきしで、娘が3人もいれば三つ編みなどお手のものであろう。(ついでに腰の儀礼刀用に使い古しの菜箸をもらった) このかみさんには『貝の穴に河童の居る事』で踊りの師匠役をやってもらい、長女には師匠仲間の娘をやってもらった。長女にはそれ以前、T屋の屋上でひしゃくで水をかけながら『潮騒』の海女、初枝もやってもらっている。 先日朝定食を食べに行った時、かみさんに『牡丹灯篭』のお露とともに化けて出る、乳母のお米役を再び頼んでみた。問題は主役のお露である。かみさんいわく「○○○はどう?」最近大学生になった末娘である。小学生の頃から知っていて、いずれは長女を超えると考えていたのだったが、先日、家を出るところを見たが、すっかり女性になってしまって唖然とした。げに恐ろしきはホルモンの作用である。そのイメージのせいでお露と結びつかなかった。ところが今朝、今年もらった年賀状(毎年家族総出演)の生まれたばかりの長女の子供を抱く化粧っ気のない○○○ちゃんを改めて見て、お露を考えてみようと思った。
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一日  


昔、ディスコのディスプレイ用に実物大の黒人を3体作ったことがあるが、それ以外では制作中の團十郎は、普段作っている作品より首1つ大きい。設置予定のガラスケースが随分大きいので、これで良かったろう。 少しづつ仕上げが進んでいるが、本日は、ようやくは足首から下に取り掛かった。ペーパーがけなどして着彩に入り、予定通りいけば、来週中には深川江戸資料館に搬入できるはずである。企画展の一室『深川と歌舞伎展』に今年の11月12日(日)まで展示される。  天気も良く清々しい。買い物ついでに深川不動に接した深川公園のベンチで、老人のゲームに興じる様子を眺めた後。日清戦争を記念した塔の寄進者の名前に『九代目市川團十郎』『五代目尾上菊五郎』『初代市川左團次』いわゆる“團菊左”の名前があるのを思い出し久しぶりに見上げた。
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昔から酔っ払ってかけたまま寝て壊し続けているのが眼鏡である。某液体をこぼして壊すPCのキーボードと双璧であろう。 私は乱視のガチャ目で、ピッタリのレンズを作ると床が斜めになる。毎回これで慣れて欲しいといわれるがどうも耐えられない。裸眼で腕を伸ばさずとも本も読めるので最近は素通しの眼鏡で通していたが、カメラに古いレンズを着けてマニュアルで使っていると、ピントがどうにもいけなくなってきた。結膜炎の治療を期にちゃんとしよう、と思ったのだが、問題はフレームである。大した物が中に入っているとは思えないのだが、我が頭、無駄に大きく、従ってツラもでかい。市販のフレームで、ツルの部分がちゃんと耳にかかった、という覚えがないのである。そこでセルロイドを切り出し、最初から作ってくれる、という工房を尋ねた。私がかけているのも、アセテートのセルロイド調のフレームであって、本当のセルロイドを手にするのは久しぶりではないだろうか。昔は万年筆もエボナイトを削っていたが、今はどうなのだろう。  制作中の某巨体タレントのフレームがあったが、上には上がいるもの、私があてがってもトンボ眼鏡の如しであった。ただしツルの長さは私の勝ちであった。せっかくなら初めて味わう耳に巻きつくように掛かる感触を、と長めにお願いしておいた。3~4週間かかるそうである。
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九代目が市川團十郎を襲名したのが37歳のときであるが、私の制作しているのは40代半ば、というところであろうか。使用している粘土は紙の繊維が入っているせいで、若者や、女性の肌を表現するには向いておらず、男、特に老人を制作するのに向いている。私が男ばかり作るのに、かなり貢献しているといえよう。なのに九代目は皺もなく、年齢を表しているのは髪の後退だけである。残された肖像は、ほとんどヅラ姿なので、この年齢でどの程度のハゲ具合かは想像でしかないが、まあ良いところであろう。 あえて壮中年期の九代目にしたのは、残された九代目像がすべて晩年の姿だということもある。 あちらの作者は偉い人達ばかりで、違う方向から一矢報いたい。 歌舞伎座の九代目は、舞台の姿ではないのに、口を思い切りへの字に曲げ、血管が切れそうに力が入りゴツゴツしている。私の場合、彼らと違って実際の舞台を眼にしたことがないので力の入っていない、残された写真を素直に受け取ることができた。これも高村光太郎の一文のおかげである。  いつもより大きい分、仕上げに少々手間取っている。
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ヤフオクで落札して読む。昭和初年に出た明治の始め頃に関しての各方面の聞き書きで、語られた語調そのままのところが楽しい。絞首台を作った大工の話とか、明治初年の殿様など、目次を見ているだけで面白い。当然劇界、演芸界にも触れられていて、円朝、九代目團十郎に関して、批判的な意見もあり、両者ともに名人だ劇聖だ、という話ばかり読まされていたので、それはそれで面白い。「九代目は河原崎権十郎時代は名代の舞台下手で、眼ばかり光らしてゐたんだが、福地櫻痴(東京日日新聞主筆)なんかが持ち上げてエラクしてしまつた。」その福地櫻痴に対しても、金払いが悪いので芸者その他に評判が悪かった、と書かれている。芸者に待たされ腹を立て、火鉢に大便をして灰をかぶせておいて騒ぎになり出禁になり。円朝に関しては当時の柳家小さんが、「狂言作者を抱えて飼い殺しにしていて芸は拙いし採る所はないが、作者がついているので常に新しい物を出した、」という。やっかみも入っているのかもしれないが、それはそれで貴重な証言として興味深く読んだ。当分酒の肴にはなりそうである。
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4月以降にオイルプリントのワークショップをやることになった。私のHPは、そもそもオイルプリントの作品と、技法の公開を主旨として2000年に始めた。当時写真の古典技法を手がける人もほとんどいいなかった。大正時代の文献を集め、独学で習得して発表したものの、日本人らしいといえばそうなのだが、初めて目にする物に対する反応は、制作法はともかく、というわけにはなかなかいかなかず、この絵のような技法は何ですか?というところでドンよりしてしまう。そこでまずこの廃れてしまった技法を知ってもらおうとHPを始めたのである。後で聞けば実は私のページを参考に試した人がいたことを知ったが、反応は皆無であった。しかしデジタル時代の反作用なのか、ようやく古典技法を手がける人が増えてきた。 私は昔の文献どおりやっても絵がなかなか出てこず苦労したが、改良した“石塚式”は写真の未経験者、小学生でも間違いなく画が出る。そこのところを体験していただきたい。もっともピアノは鍵盤叩けば誰でも音が出る。それと弾けるとは違うのと同様、思ったようにコントロールしようとしたらなかなか奥が深い。また最初のワークショップでは初日のゼラチン紙作りで脱落者が出たが、私も制作時にお願いしている田村写真さんに用紙の制作をお願いできることになったので、ハードルはぐっと低くなった。募集は2月頃になるそうである。HPにあるのは昔の作品だが、できるだけはやく、ここ数年の新作もアップしておきたい。

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沖縄で陶芸をやっている学校時代の同級生と連絡がとれなくなり、沖縄の陶芸家に嫁いだSさんに電話してみた。聞くと3年前に電話したとき、脳梗塞でアーとかウーとしか喋れなかったと聞いた。脳梗塞は二度目であろう。 そのMさんは私が18で、彼が26の時に同級生となった。トラックの運転手で金を貯めてきて、将来沖縄に帰って陶芸家になる、といっていた。あちらからみれば私などまるで子供だったろう。父親が酒癖が悪く、暴れだすと母親やたくさんの弟達を連れて山に逃げたといっていた。その父親が亡くなった時。バンザイして叱られたそうである。私達に気前よく奢るものだから、卒業の頃は母親にお金を借りていた。 こんな人と出会うと私など、社会に出たら生きていけないのではないか、ここで我慢を覚えよう、と卒業後製陶工場に就職したのであった。 その数年後、私がベランダに下がっている物干しを1つ140円で溶接していた時遊びに来て、中東の石油プラントの溶接工として一諸に行かないか、と誘われた。行けばサムライになれるといわれたそうである。別にサムライになりたいと思わなかったので断った。おかげで沖縄に立派な工房を建てたMさんだったが、電話は通じなくなっており、死んだのではないか、と心配していた。しかし喋れないなら電話を廃止していてもおかしくはない。よって安否は判らずじまいであった。 最後に短大出で巨乳だったSさん「石塚君も随分大人になったわねぇ。」そりゃ40年も経てば、さすがの私も多少は大人になったろう。

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普段のんびりしているくせに作ることになると急にせっかっちになってしまう。私が写真の暗室作業がまったく向いていなかったのもこのせいではなかったろうか。暗闇の中で落ち着いていられなかった。小説を読んでいる間中、映像が浮かび続ける私は暗闇では雑念が浮かび続けてやかましい。  私の制作は、頭に浮かんだイメージを取り出し、ほんとに在ったな、と確認したい、というところから始まっている。頭部が完成していれば、もうそこまで来ているので、よけい気がせいてしまうのである。とうわけで、明日中に九代目團十郎は乾燥に入れるだろう。  ずっと“荒事の成田屋”のイメージに引っ張られていたが高村光太郎のエッセイ『團十郎の首』を熟読することにより冷静になれた。そして坪内逍遥が、本当の團十郎は写っていない、といった残された写真が、“舞台上の”九代目が写っていないだけで、実際の九代目はちゃんと写っていたと判断した。よって私の九代目は、普段着のただ立っているだけの人物となるだろう。
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制作中の團十郎は着物を着ている。ズボンと違い芯のスタイロフォームが足首まである。よってアルミ線の芯材の足首の部分に負担がかかる。團十郎が頭でっかちなのでなおさらである。前回書いたように不安定のまま作るのだが、さすがに一気に作ると危ない。頭部に時間がかかった分、腹ペコでご馳走にありついた勢いで、一日でほとんどできあがってしまうかのような有様であったが、いったん足元を乾かすことにした。その間、本を持って、T千穂で本を読みながら温まったが、閑散とした店内で不機嫌そうな店長には申し訳ないが、なにしろ家にご馳走が待っていると思うと楽しくてしかたがない。 先日ある店で若い店長に「いつも一人で作ってるんすか?飽きないすか?受験勉強してるみたいっすね?」といわれた。「あなただって二年間一日も休んでないって聞いてるぜ?大丈夫なの?」人それぞれである。
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人形の芯は盆栽用の針金。これは作り出してまもなくから変わらない。かなり変わった作り方だろう。昔、『デザインの現場』で紹介されたことがあるが、いずれ動画で公開してみたい。柔らかいアルミ線なのでバランスが悪いと倒れてしまうが、完成すればバランスは取れているので自動的に自立する。首ができ、芯をた立て、昔は胴体に雑誌などを巻いていたが、今はスタイロフォームを使っている。陶芸学校から卒業時に返さないまま40年使っているのロクロの上にガムテープにより固定する。 ただ祈り、耐えるしかない頭部が完成し、ロクロ台の上に立たせた。ここから一気に胴体に取り掛かるわけだが、ここからの約二日はもう何物にも替え難い快楽の時間である。何が脳内に溢れてくるのかは知らないが、幼児以来、私はこの湧きでる物質に執りつかれている。 生まれつき何かをせずにいられない人間というのはいる。それが例え犯罪、変態者であろうと、私は多少同情的である。なにしろせずにおれないということに関しては解るからである。私の場合、それがたかが“人の形を作るだけ”、だったのは幸いであった。そのかわり、この物質に執りつかれていない人の感覚が解らないということはある。「何をやったら良いか判らない」という人がいるが、私には何をいっているのかサッパリ判らず、アドバイスの言葉も出てこないのである。
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九代目團十郎は普段の姿で立っていることにようやく決まった。腕を前で組んでいる。ただ足は前後に、多少何がしかの気構えがあるのか、という感じだろうか。年齢は40代というところ。なにしろ殆どが鬘をかぶっているので、この年齢でどれだけ髪が後退していたか、そこは想像するしかない。 幕末から明治の人物であるが、何が幸いといって、化粧して扮装している姿がほとんどであるものの、この時代、これほど写真が残っている人物は“劇聖”九代目團十郎をおいて他にはそうはいないであろう。おかげで2カット、ほぼ真横の写真があった。そのため顎のラインもそうだが、特に大きいのは鼻の形が判るということであろう。これは単なる肖像写真ではなく、役に扮しているためである。 潤沢に肖像写真があるおかげで、逆に様々迷うことにはなったが、それは贅沢というものであろう。
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鏡花の『貝の穴に河童の居る事』と乱歩の『屋根裏の散歩者』と『人間椅子』(白昼夢は近日中)をようやくユーチューブにアップすることができた。それでも動画を扱うのが予定より1年遅れた。オイルプリントのブラシの使い方など動画を見るのが一番である。 その他人形の制作工程など記録しておきたいと常々思っていたので昨年末に簡単なビデオカメラを入手していた。コマ送りで完成までの数分の映像が作れるというので選んだ。ところが今年に入り3回ほど練習に酔っ払い共を撮影したところで行方不明。立ち寄った店など探したが出てこなかった。正月から酔っ払いなど撮っているからバチが当たったのだ、と思っていたら家の中から出てきた。 それにしても母と私、二日に一回は「携帯鳴らして」。と言い合っているから困ったことではある。

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三者三様別人が如きの九代目團十郎像であるが、なぜこういうことになるのか私には解らない。ネット上、どこからいただいたかすでにわからない画像を無断で拝借する。上が私が唯一実見した歌舞伎座の朝倉文夫作。中が浅草寺の新海竹太郎作。下がラグーザお玉作である。特にお玉作は、残された九代目の写真を見る限り、まったくの別人にしか見えず、こうして書いていても私が九代目だと勘違いしているのではないか、というくらいである。着衣がリアルな表現だけに、知らない人には九代目はこういう人だと思うだろう。まるで噂話を元に作られたかのようである。といいながら、制作中の私の九代目がまた先達三作とは別人なのである。今の段階で三作と並べるのは恐れ多いので遠慮しておく。 朝倉文夫といえば早稲田の大隈重信像が有名だが、昨年暮れの忘年会で金属原型の仕事をしている友人から修理したという、早稲田系の高校に設置された大熊像の写真を見せられた。朝倉作を摸刻したものだが、鋳物にスが入ったところをパテ埋めして塗装してあったという代物であった。




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あらためて『貝の穴に河童の居る事』を観るとすでに懐かしい。人間の屋外撮影はマンションの駐車場で撮影した。一般人全員を房総に連れて行って撮影など無理であるし、まして着物のまま海に入ってもらうわけにもいかない。使わない技術は持つべきではない、と心がけており、必要な時に悩めば良い、というわけで、モニターに噛り付き、なんとか海に入ってもらえたろう。 鎮守の森の姫神様の後見人たる、灯ともしの翁に柳田國男になってもらい、河童と対面させた“奇策”は、未だに自分を褒めたくなる。フリーペーパーの表紙用に、すでに我が家に柳田がいたこともあったが、思いついた瞬間立ち上がり、そのまま飲みにいった。こういう時、私はいかにも思いついた、という顔をするらしい。昔の漫画ではこういうとき電球が描かれた。  制作中の九代目市川團十郎は、レギュラーサイズに比べて少なくとも10センチは大きくなりそうである。
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昨年前編をYouTubeにアップした『貝の穴に河童の居る事』は後編に一部スライドが足りずに無駄に場面が切り替わらないシーンがあり、編集してから前後編一緒にアップしようと一度削除した。しかし、せっかくの語りと演奏をカットするのも忍びないので、そのままとした。いずれ準備万端での再演の機会を待ちたい。 鏡花の原作もそうだが、人間に仇討ちしようとしていた河童はクライマックス、唐突と思えるくらいに機嫌を直し故郷の沼に向け飛び去っていく。ここでの越孝さんのたたみかけは単なる朗読ではない、義太夫調ならではの味わいがあり後編は特にその辺りをお楽しみいただきたい。

貝の穴に河童の居る事 前半


貝の穴に河童の居る事後半


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