明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



書道用品の店から筆が届いた。ヒトダマを描くには墨をタップリ含み、毛足の長い筆が良いと見当をつけていた。快調に描き進める。以前女刺青師彫Sに、自分に入れる狐火の色について相談されたが、圓朝のヒトダマは今の所、墨を反転した白色しか浮んでいない。 ヒトダマにチャレンジするのは実は2度目である。小学3年生の頃の話である。今と同じでお化け、幽霊が人一倍好きなのに自分で見たことも感じたこともないので、与太話をなんでも信じる連中を馬鹿にしていた。何かにヒトダマはバクテリヤだ、という話が書かれていた。それを連中に話すと、普段私にバカにされているものだから、じゃあ作ってみろ、という話になった。「出来なかったら二階から飛び降りろよ」。「飛び降りてやるよ」。 母に生イカを買って来てもらい、羊羹の缶に水を入れて中に浸し、暗い所に置いて光り出すのを待った。何か聞きかじったのだろうが、なんであんな方法を取ったのか記憶にない。今思うと与太話を信じやすいのはどっちだ、という話だが、うんともすんとも光ることはなかった。それからは連中に見つからないようコソコソする私であったが、今の子供と違って追いつめるようなことはしない。見て見ぬふりをし、むしろ連中のほうが、あの約束をなかったことにするにはどうしたらいいか、と上級生を調停役に事なきを得た。

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着物の事は詳しくないが、羽織の紐の位置が、昔は今よりいくらか上についているような気がする。紋を描くのが嫌で紋付はいままで避けていたのだが、今回はしょうがないだろう。着彩はアクリル絵の具だが、服の色といえば一番好きなのが幼稚園の園服以来紺色なのにかかわらず、人形には紺系統を一度も塗ったことがない。どういう訳だか質感が気に入らないのである。座布団というと、朱色ばかり塗ってしまうので気になってはいたので、清方の私物だという圓朝図の座布団のような格子柄の布を貼ってみようか、とも思ったが、まだ接着はせず上に乗っているだけなので、とりあえず色を塗っておいた。 今のところ清方の圓朝図と同じような構図でも撮ってみようと考えている。国宝、重要文化財である肖像画の傑作に対して私もなかなかいい度胸である、この作品には表現という意味で随分勉強させてもらった。残された写真を見る限りまったく同じではない。しかしそこにこそ清方の表現があるわけで、似ていればいいならコンピューターで何でもスキャンすれば良いし、写真が発明された時心配さたれたように絵描きは失業していただろう。であるから清方と同じ構図で、などと大胆なことをやりたくなるのだが、それは清方の圓朝と私の圓朝が似ているからではなくむしろ違うからである。 清方の作品は薄くてペラッペラだが、こっちは厚みがあってずっと重い。本日のブログはここで笑わなければ笑うところはない。

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閑話  


行灯皿は、蠟燭や灯火器の類いを置いたり垂れた蠟燭、油を受けたりする地味な存在ではあるが、そのわりに描かれた絵に趣があり、今であったら食器にも使えるだろう。コレクターも結構いるようで、なかなか高価で、骨董市では見つけても値段を聞く気にもなれない。あくまで撮影用である。その点、灯心に油で火を灯すひょうそくやタンコロという灯火器の類いはデザインが様々で面白いわりに、灯りを灯すしか使い道がないからか、案外入手し易い。特にひょうそくは。私が陶芸の学校に通っていた頃知っていたら、卒業制作に二升徳利など作らず、こちらを作ったかもしれない。いや、それはない。 今でこそ灯りを見つめてシミジミなどと風流じみたことを考えるが、いつかアパートの押し入れに一斗樽を置いて、キュッとひねっては、いつでも好きな時に飲めるように、などと夢想していたような学生だったからである。二升徳利から注ぐ際にはねないようなぐい飲みを、と便器の構造をじっと見つめたりしたが、たんに落ち着いて注げば良いという結論に至った。それにしても以来、二日酔いをまったくしない体質は親に感謝しなくてはならない。(正確にいうと一度だけある)ついでにいえば、モニターをいくら観ていても目が疲れない、というのも有り難い。さて来週はいよいよ撮影開始である。


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圓朝の伝記、物語の類いは、すべて圓朝の成長物語である。小島政二郎は『円朝』の中で、圓朝に自問自答させている。“「自分を離れて、芸なんてあるものじゃない」圓朝の芸は、圓朝の生活の中にしかない。「お前は、(かさね)を作り出したと思っているが、あれはお前が作ったのでもなんでもない」あれは、お前の空想から生まれたものだ。空想は、お前の生活の上に成り立っているのではないか。それが証拠には、お前の生活が豊富になるにつれて、「かさね」の内容も、登場人物も、複雑になり、豊富になってきたではないか。将来もっと複雑になり豊富になりしつつ、お前の生活と共に変化して行くに違いない。今日のお前の高座は、今日只今高座へ上がるまでのお前の生活の総決算にほかならない。どんなにお前がジタバタしても、お前はお前の生活した以外のものを表現する事は出来ないのだ。そこが芸の恐ろしいところなのだ。芸が絶対だというのは、そこのところを意味しているのだ。” 長々と引用したが、前作の九代目市川團十郎と圓朝の間は、わずかな期間ではあるが何かが変わった、と感じていた。その間に私事で、私にとってかなり重圧を受けることをせざるを得なかったのだが、その制作とまったく関係のない重圧事が、間接的に作用しているような気がしていた。團十郎はあの時の総決算であって、今の総決算で私の人生上の突端にあるのは圓朝ということになる。

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島田正吾が写真ではなく鏑木清方の圓朝像を参考にしたのは、清方が圓朝の特徴を抽出しているからであろう。物まね芸人の芸を真似る方が本人を真似るより楽なのと同様であろう。例えが適切ではないが、島田はあくまで役作りとして圓朝の外見を真似たに過ぎず、本領はその演技だったことはいうまでもない。しかし、私としては制作するに当たり写真が1カットでも残っているなら、他人の創作物を写す訳にいかない。島田正吾とは事情が違うし創作者としての意地もある。しかし藤浦富太郎がやたらと圓朝の波打つクセ毛に言及するほど、写真の圓朝の毛にクセはない。撮影にあたって散髪をし、普段より丁寧に撫で付けていたことは充分考えられる。そこで熟考の末、清方作品なみに、髪のウエーブを足すことにした。  圓朝作品には『鰍沢』『文七元結』など数あるが、なんといっても怪談『牡丹灯籠』であろう。小島正二郎『円朝 上』によると世間一般では浅井了意の『お伽婢子』の中に収められている同名の作品(中国の話)を換骨奪胎したものと思われているがそうではなく、題名と牡丹灯籠を手にして幽霊が恋人のもとを訪れるくだりを借りているにすぎないという。作中では女房が厄介になっていた近江屋の話を聞いてヒントを得たことになっている。近江屋の次男で美男子弁次郎は、仮宅が深川の洲崎にあり、富岡八幡の境内の茶の宗匠のもとに通う木場の材木問屋の娘おつゆに一目惚れをされ〜。 カランコロンと現れる幽霊のおつゆと女中のお米だが、お米は近所のT屋のカミさんにやってもらう予定だが、肝心のおつゆはT屋の末娘のAちゃんにお願いするはずが大学生活で忙しいので、と断られてしまった。あの小学生だったチビッコ、と思っていたら、先日見た所170センチに近かった。実現していれば、まさに“木場のおつゆ”になるはずだったのだが。

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『隋録三遊亭圓朝』(藤浦富太郎) 役者が圓朝に扮した場面は四つあった(和49年時点)最初は歌舞伎座で明治二十年代、五代目菊五郎が演じている。凝り性の菊五郎は良く似せた。二回目は前進座が新橋演舞場にて中村翫右衛門。写実的で扮装を凝らし、仲々よく似ていた。 “第三回は安藤鶴夫演出の明治座新国劇の一幕もので島田正吾の圓朝、辰巳龍太郎の山岡鉄舟。この島田の圓朝が、実物に似ていること、全く怖いようだった。頭の形が本物そつくりで、オールバックで自然に波を打っている毛癖まで、よくも似せたものだと思った。正面は似せても、背面は似せにくいものなのに、島田の場合は前もうしろも、扮装の妙が圓朝の血漿を思わせた。”この後楽屋にいって芝居の出来を喜び、扮装の出来映えを褒める。“島田の鏡のうしろの壁に、清方画伯の描く処の圓朝像の、胸から上のカラーの大うつしが貼ってあり、写真は見本に使はなかったようである。写そうとする扮装には、写真より寧ろ肖像画に拠る方が、確かだということを私はしった。” 藤浦がここで言及しているのは役者の外面的なことのみだが、私はこの一文で2杯はいけた。島田正吾の気持ちを想像した。我々は道は違えど“圓朝とはなんぞや”仲間である。頭の中で乃木大将とステッセルの如く握手をした。作っているものが古いと例えも古臭くなる。 そういえば私は島田正吾と辰巳龍太郎の連名の色紙を持っている。

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何の毛だか忘れたが、イメージしていた柔らかく、墨をポッテリ含みそうな毛先の長い筆を注文した。このヒトダマはどうやって描いたか訊く人は当ブログを読んでいないだろうから“墨にふのりを混ぜて女の黒髪で描いた”ということにしよう。 圓朝の趣味は広く、禅から書画骨董、剣術槍術乗馬、あらゆることを学んだ人物だが、ダメなエピソードといえば、若い頃に赤い襦袢をチラツつかせ、弟子の肩につかまり咳をしながら歩く。そんなキザな様子に、婦女子にキャーキャーいわれて喜んでいたくらいしか、いくら読んでも出て来なかったが『隋録三遊亭圓朝』で幼い藤浦富太郎に見られていた。後援者の藤浦三周や弟子など熱海の温泉に出かけたところ旅館で暇つぶしに、五目並べ、花合わせ?腕相撲。それにも飽きてやったのが『沢庵押』。くじを引き。負けた物が座敷にうつぶせになり、次々と八人が重なって行く。下の二人がヒイヒイいって絶息しそうになり、この遊びは廃止されたらしい。名前まで付いているところを見ると、こういった場合の定番の遊びだったのだろう。圓朝に乗っかる人がいたのか、いたとしたら何番目だとかまでは書いていないが、少なくとも、このくだらない遊びに喜んではいたのだろう。

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納得できるだけの資料は読んだ。着彩開始。それが終わったら反撃開始である。頭の中ではずっと圓朝が周囲にヒトダマをはべらせながらこちらを見ている。見続けている圓朝もさぞ待ちくたびれたことであろう。 撮影は先になるが、牡丹灯籠も作り始めておかなければならない。もともとぶきっちょなので苦痛だがしかたがない。ジャズ、ブルースシリーズ時代の楽器を作った苦痛に比べればたいしたことはない。何しろ誰それはこんなギターを使用した、なんて決まっており、それをただ写して作るだけだから創作の快感など皆無である。それを考えれば牡丹灯籠に何処のメーカーの型番はいくつ、などないので私が牡丹灯籠だ、といえばそれで良い。 数年ぶりに日曜美術館を録画で観た。長谷川利行。そこに田端駅の機関車庫を描いた作品が紹介され、当時の風景写真が紹介されていた。調度その頃、ここの駅長が伊藤晴雨に、機関車の車輪に裸の女を大の字に縛り付け、線路のカンシャク玉を破裂させ、花火に火をつけ撮影したい、という申し出を許可したのかも、と思うと可笑しくて、頭の中で真面目に写生する長谷川利行の姿が霞んでしまった。

NHK番組サイトより

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『隋録三遊亭圓朝』(藤浦富太郎)は後援者の坊ちゃんの目から書かれていて、伝記の類いと一味違って面白い。洋食好きの圓朝に連れ出され、始めて洋食を食べた話しだとか、明治天皇の前で口演するにあたりしつらえたフロックコートに背広を、“もう洋服は着ないから”貰った話しなど。 写真資料が潤沢にないときは、特に有効なのは“読むスケッチ”である。これは意識してどうこうはできないが、無意識のうちに間違いなく造形に作用してくる。写真は形こそ参考になるが、長時間露光のしばらくじっとしている撮影では、人となりまでは表現されず、真を写す、などと甘く見ていたら騙されてしまう。人にはこう見られたい、という欲があり、これがくせ者である。 何度も書いているが、ゾッとしたのは、2007年江戸東京博物館の『文豪・夏目漱石 そのこころとまなざし』展。街に貼られた大判ポスターを何気なく眺めたら、鼻の付け根あたりがなんとなくモヤモヤと。修正を疑って、数日後入稿期日のフリーペーパーの表紙の漱石を急遽正面を向かせた。果たしてそこに出品されたデスマスクの鼻は思い切りカギ鼻であった。文豪先生がそんなことを気にしていたとは国民は思ってはいない。例えば弟子の一人や守秘義務など気にしない写真師が書き残した物があれば、もっと早く危険は回避されただろう。もし、私がだまされ、その間違いに気が着いた人いることを想像したら実に怖い。なぜなら会場に展示された映画宣伝用に数百万かけて作られた実物大の漱石像のまっすぐな鼻筋を見て、『こんなもので数百万?シビアさが足りねエんだよバカ野郎!』と私は思ったからである。あぁ嫌だ。

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制作中の人物の人となりを知るため、伝記、伝聞の類いを読むのはいつものことだが、何を読んでも、若い頃こそキザな目立ちたがり屋であったが、優しい気遣いの人物と描かれている。今回いつも以上に資料を読んでいるのは、ひとえに親しかった鏑木清方の圓朝像のせいである。あれを見ると、何か見逃していやしないか、とつい読まずにいられなかった。読み比べて面白かったのは、各人同じエピソードでも解釈の違いがある。 『隋録三遊亭圓朝』藤浦富太郎著(限定300部 非売品A5判 、72ページ 、出版元:円朝考文集刊行会 、刊行年:昭和49年)を入手。著者の藤浦富太郎の父親藤浦三周は、京橋にあった青物市場、大根河岸で青物問屋を営んでおり三遊亭圓朝の後援者だった。圓朝の没後、二代目が決まらない中、圓朝の残した幽霊画のコレクションと共に、一応借金のカタということで圓朝の名跡を、あずかることになったらしい。その倅富太郎の八歳から十五歳の間の見聞記である。『子供の覚えていたことだそうだが、本当かしら、と疑う方もあるだろうが、自分で言うのはおかしいが、圓朝記録に関する限り、私の記憶は正確である、御懸念無く。』着彩にはいるのは、これを読んでからにしよう。
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墨で描こうと考えているヒトダマは、多分使った筆が良くない。おそらくこういう筆が良いというのはイメージの中にあるので探すことにする。 陶芸をやっていた頃、たとえば面相筆で呉須を線描きする場合、水分を吸ってしまう素焼きの下地に滑らかに描くため、ふのりを混ぜたり、お茶を腐らせた物を混ぜた記憶がある。それを混ぜればヒュードロドロと、滑らかに尾を引くヒトダマが描けるのではないだろうか。 そういえば『貝の穴に河童の居る事』(風濤社)で河童を登場させた時、泉鏡花は病的な潔癖性のくせに、書く分には大丈夫とばかりに、“べとべとと生臭い”と書いている。私は常に作者に喜んでもらおうと心がけて制作しているので、ばい菌恐怖症の鏡花が最も恐れたハエをサービスで河童にとまらせてあげた。そして河童のべとべとを演出するため、何に使用するのか定かではないが、ヌルヌルしたローションを通販で購入した。使用目的が判らないので未だに残っている。あれを墨に混ぜても良いだろう。その方法で描いたとしても、発表の際に質問されたら「墨にふのりを混ぜた」。というけれども。
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図書館で日本画の技法書を借りる。平成になって書かれた物だが、鏑木清方や村上松園のようなのを読みたかったのだがないのでしょうがない。日本画も時代とともに技法からモチーフから変わった、ということなのだろうが、“新”や“現代”など付くと、付いた時点から古びていくものである。著者は新しいつもりで解説しているが哀れである。古臭くて参考になるものまったくなし。 携帯の料金の見直しの件で携帯店にいくと、本日のキャンペーンとかで、ストップウオッチを5秒でピッタリ止めると、空気清浄機その他が当たるという。やってみたら5、3秒。プロレスのレフェリーがマットを叩いている姿が一瞬よぎったのが敗因であろう。残りの景品からサラダ油を選ぶ。これは撮影用に入手した行灯その他に火を灯してみろ、ということであろう。
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清方の圓朝像は当時の高座を再現した作品だと思い込んでいたがそうではなかった。 新聞に掲載される圓朝の速記は、新聞社の主だった数人、挿絵担当の芳年などが静かな座敷に集まり、休憩をはさみたっぷり2席を聴く。それが木挽町の清方宅だった場合もあったそうで、それを懐かしく思い出しながら昭和5年に描いたのがあの作品で、描かれた調度品はすべて清方の私物だそうである。 木挽町の清方宅といえば、挿絵を依頼しに来た泉鏡花と座敷で自身が対面しているところを描いた、あの家だろう。最初に入手した菊型の燭台は、あれに似た物が清方の私物で寄席の雰囲気を出すために圓朝の両脇に配したとなれば、清方作品のオマージュを制作する場合に使用し、寄席の再現には、別に入手した黒い漆塗りの簡素な燭台を使用するほうが良いかもしれない。 一人何をブツブツいっている。また個人タクシーのMさんにつまらねえ、といわれそうだが、これが当ブログなのであって、近所の酔っぱらいの話しを書いて、極近所の人にウケたところでしかたがないのである。

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圓朝には障子に写った横顔をトレースしたような影絵が二種類残されている。江戸時代から役者の影絵が残されているが、これはどうやって作成したのか知らないが、普通の役者絵と違ってリアルである。二つのうち一つは、正面の写真だけで作った私の圓朝の横顔とほぼ合っていたが、もうは一つは圓朝でないか、いい加減に描かれたものである。 それにしても、悩みの種だったのは鏑木清方の描く圓朝の表情であった。伝記や写真に残されている圓朝とイメージが違うからである。しかし身近に圓朝を見ている、なんといっても鏑木清方である。写真に騙されてはならぬ、と常に疑いの目を向けているので気になってしょうがない。しかし清方が証言を残しているわけでもなく、確信が持てないのに清方といっても他人の創作物を当てにする気にはならない。写真だけを参考に、と方針を切り替えたが、出来てみたら顔形こそ清方と違うがあんな表情になっているではないか。これは正面だけを参考に作ったら、自動的に正しい横顔ができあがっていたように、紆余曲折しながら真面目に作っていたら、自動的に清方の見た圓朝が現出した。としかいいようがない。つまり顔形は写真に、表情は清方調、とわだかまっていたものが解消した私の圓朝ができあがった。こうなると、有名な肖像画の傑作に対するオマージュとして、湯飲みこそ持ってはいないが、1カット、清方作と同じような構図で写真化するのも面白いような気がしてきた。

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圓朝は寄席引退直前、一部の弟子を連れて大阪に口演に出かける。圓朝はじっくりと語るタイプなのだが広い寄席の後ろにまで聴こえるので弟子達も舌を巻いたらしい。それに引き換え六代目の菊五郎は聴こえず、坪内逍遥はその点、シャリアピンは小さな声でも会場の後ろにまで届いた、といっている。 どうしてこういうことが起きるのか私にはわからない。ついでにいえば『巨人の星』の主人公、星飛雄馬は身体が小さく、その豪速球の球質が軽いのが致命的で、その後、変化球の大リーグボールを開発していくわけだが、放たれたボールに体重が乗る、ということが私には理解ができない。さらについでにいえば、鮫は何キロ先からも血の匂いを嗅ぎ付ける、というが、数キロ先まで血液が拡散するには時間がかかるだろう。嗅ぎ付けるには、なんらかの血の成分が、鮫の鼻先まで到達していなければならないはずではないか、と思うのだが。圓朝ついでに小学校生時代からの解けない疑問二題。
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