明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



三遊亭円朝や泉鏡花用の背景を撮る方法を考えている。建物の外観はともかく、問題は室内である。行灯、燭台の類はすでに数種用意してあるが、現場で灯すわけにはいかないので、後で合成するつもりでいるが、となるとそこに行灯があることにして、代用の灯りが室内を照らしていないとならない。電球をしこんだ提灯のような物を用意して、行灯を置くあたりに配置しようと考えてみたが、燭台はともかく、使用する行灯に電球をしこんで、現場に置くことができるのであれば、そのほうが良いだろう。  円朝の場合のヒトダマは昔から使われる焼酎鬼火でなく、筆で描こうとやってみて、なかなかイメージしたようなヒトダマにならず頓挫していた。筆の問題がありそうである。墨をたっぷり含んで毛先の長いものが良いだろう。と書いていて、女の黒髪で描いたらどうだ、と思いついた。しかし髪の毛は頭から切り離されたとたん別物に転じる。見る人を肝胆を寒からしめる前に描いてる私がビビりそうである。冗談だといいたいところであるが、そんな私の心持がヒトダマにある効果を与えないだろうか、とも思ってみたり。そもそも感心されるくらいなら呆れられた方がマシ、というヘキが私にはあるので、今日のところはなんともいえない。

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それにしても、とりあえず目にすることができる九代目團十郎像が三者三様、ほとんど別人なのには驚かされる。実物を見たのは歌舞伎座の朝倉文夫作だけだが、ラグーザお玉昨にいたってはリアルに作られているが、いわれなくては九代目だとは思わないだろう。具象彫刻というものはそういうものなのか、と改めて。なにしろ勉強したことがないのでびっくりなのである。そっくりに作りながら、微妙なところに個性を、とそう思い込んでいた。昔、クラシックは音符の数はすべて同じ、と思っていたらそうではないことを知った時の様な感じである。 私の場合はというと本人に見せてウケたいという妄想を抱いているせいで、生前頭頂部を覗かれるのを嫌がっていた、と聞けば、中井英夫の頭髪をサービスして盛ったり、そんなことをする。おかげで禿げていないのが惜しい、などと本人を良くご存知の東雅夫さんにいわれてしまったりする。巨匠連と私を並べて論じては申し訳ないが、私は私なりの九代目を作ることにしよう。

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何故だか判らないが團十郎に限って、なんでこんなに大きく作ったのか。顔だけでも10センチくらいある。九代目團十郎の最初の印象は、外国人作家の石版画だったはずで、何の演目だか刺青のような襦袢を着ており、こんな顔の長い人間がいるわけがない、日本人をデフォルメしやがって。と思った。 深川江戸資料館で歌舞伎のイベントがあるので、貸し出した展示品の記念撮影かねて、制作中の長い顔を持って出かける。 途中からだったが、歌舞伎の衣装や化粧の解説、面白かったのは見得や立ち回りの実演であった。主役の動きは少なくても脇役が動いて主役を引き立たせる。私は人形と人間を共演させるが、人形は関節があってポーズを変えられる訳ではないので、その分人間に動いてもらい、主役の人形の動きの無さを補佐してもらっている。同じようなことかもしれない。 貸し出したのは掛け軸や色紙が10数点と瓦だったが、海老様こと11代目團十郎の高麗蔵時代のサイン入りブロマイドが、カッコ良いと思ったのだが展示していなかった。
初代市川左團次と九代目團十郎。これに五代目尾上菊五郎があれば『團菊左』となるのだが。
手前が歌舞伎座震災の修復時、もしくはそれ以前の瓦
九代目の河原崎権十郎時代の色紙。九代目完成の暁には、ここに収まる予定。



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九代目團十郎を完成すれば展示するはずだった深川江戸資料館の『歌舞伎の世界展』は日曜で終了する。すっかり表情を作り変えてしまったので間に合うわけがない。ただ『深川と歌舞伎』だったかのコーナーは1年続くそうで、完成次第展示する予定になっている。 『舞臺之團十郎』(舞臺之團十郎』刊行會)大正12年で坪内逍遥にいわせると、九代目は写真の撮られ方が下手で、本来の姿が写っていないといい、そしてのこの一文「誠に九代目のあの爛々たる大きな目を写真に於ける今の幸四郎(七代目 松本幸四郎)のと同様にぐっと睨ませて、如實に撮影し得たと想像して見たまへ。あの大きな厚い唇、あれを今の梅幸(六代目 尾上梅幸)の土蜘蛛式、鬼女式に思ひ切って引き歪めて撮影し得たと想像して見たまへ」にすっかり煽られ、無いなら作ろう、と前作を作った。しかし時間が経って客観的になると高村光太郎の「團十郎は決して力まない。力まないで大きい。大根といわれた若年に近い頃の写真を見ると間抜けなくらいおっとりしている。」に納得し、これはまさに写真に写る九代目なのであった。つまり舞台上の九代目は写真に残されていないが、舞台以外の表情は残っている、ということであろう。荒事の團十郎と借金取りに怯えて家で小さくなっている團十郎。オンオフがはっきりした人だったようである。そこで制作中の作品は普通にしている九代目になる予定である。

アートスケープ 展評『深川の人形作家 石塚公昭の世界』


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戸川安宣さんからご恵投いただいたので、母がショートステイに出かけていて晴れ々とした気分の中で読む。幼い頃からの本好きが高じ、ミステリの世界に。聞き書きの形のせいで戸川さんから直接伺っているような心持で読み進めた。江戸川乱歩に会いそびれた話や山伏修行の話など伺った記憶がある。私も少年少女世界名作文学にはまった経験があるので懐かしい気分になったりしながら読んだ。 戸川さんは私の最初の作家シリーズの個展に来ていただいたのが初対面であったが、様々な経験をさせていただいた。最初の撮影の仕事。『98本格ミステリ・ベストテン』この時は自信がないので駄目だったら他のカメラマンに、とお願いした記憶がある。この流れで99年では、まだご家族がお住まいだった乱歩邸で撮影ができた。紀田潤一郎さんカバーのお話をいただいた時は、制作済みの人形を使って、ということであったが、単行本は永井荷風で決まっていたが、イラストレーターのように内容を解釈して画にする、ということをやってみたくて文庫本はオリジナルでやらせていただいた。これも初体験である。 これを見て思い出したが、『古本街の殺人』で、背景に古書店のお客役で戸川さんに入っていただいたのだが、本を開いて読んでいてください、とお願いしても、どうしても気になる本に手が伸びる。まあ、それも良いか、ということで。本好きに本の中でじっとしていてもらうのは難しい。

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三重県の陶芸家N君から、地元の陶芸作家30人くらいで勉強会のため東京に来ていると電話。どこかで飲んでこれからラーメンを食べに行くが、その後会おうという。門前仲町で待ち合わせる。今日は国立近代美術館の工芸館に行ってきたそうである。一般人でも可能かは知らないが、料金を払うと収蔵された名品を目の前で見られるらしい。ちなみにN君の作品も1点収蔵されている。 二年に一度くらいでも、十代からの付き合いともなると、しょっちゅう会っている気がする。昨日から携帯電話に番号を入力しているが、6歳ほど年上で、トラック運転手をしてお金を貯めて同級生になったMさんは、沖縄で立派な工房を建ててやっていたはずだが、以前は出たのに検索しても何の情報も得られない。電話番号は判ったが使われていないという。どうしても死んだのではないか、と考えてしまう。そんな話をしていてM君が地元でよく会う鳥羽で制作しているMさんに電話しようという。Mさんには三島の『潮騒』を制作したとき、昔使われた海女着を探して送ってもらった。都築響一氏のコレクションで知られる鳥羽の秘法館の館長の姪である。当時11PMに出たのを見てあまりにユニークな人物だったので隣の部屋のMさんに話そうとしたら、皆までいうなとばかりに「私のオジサンなの」といわれた。電話では姑が認知症になった話が止まらず。そんな話をする相手がいないのかもしれない。また後日。N君は弟子を取って工房を譲りたいという。少々驚いたが、そんなことを考えるような年齢になったということか。

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一日  


昨日は母の白内障の術後の検査で、結局ほとんど一日つぶれる。視力は殆ど変わらないようだが、曇りは取れて明るくなったらしい。今日は新たに携帯を。相変わらずガラケーである。家にいることが多いので充分である。街中では相変わらず歩きスマホがうっとおしい。あれで薪を背負えば二宮金次郎である。 (知人友人の方々、暇な時にHPのメールにアドレスなど送っていただけるとありがたいです。)これであの白い犬一家と手が切れた。そういえば歌舞伎出身だからということで、深川江戸資料館の歌舞伎展に、白い犬の親の色紙を提供している。 九代目團十郎像制作に、男たちが荒事のイメージから離れないアプローチに比べ、一人違った、女性ならではの視点から制作したラグーザお玉に興味がわく。男たちは世間のイメージ、または依頼の都合からああなるのはしかたなかったろう。そのあたりを高村光太郎は一人冷静に見ている。ラグーザ作を見たらどうだったろう。似ているかどうか、という意味ではもっとも似ていないが。光太郎の團十郎は、検索しても出てこないから未完に終わったのであろう。制作中の写真だけでも見てみたい。

アートスケープ 展評『深川の人形作家 石塚公昭の世界』


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ここのところ通信手段その他、不自由なことになっている。始まりはガラケーが行方不明になったことである。続いてマックが開きはするが、そこから進まななくなった。ウインドウズ7は問題はないが、フェイスブックのアカウントを再設定しようとして、もう1つアカウントができてしまい、元のアカウントを利用できず、いいねはもとよりがページが見られない。見られたノートブック、ウインドウズ10は先日液晶を割ってしまった。 まずは携帯電話だ、と相談にいった。 社長の“髪が後退したんじゃない、私が前進したんだ”は面白かったが、どうもゲンが悪い。もともと私が携帯電話はいらない、というのを母が「電話しても出ないから倒れているんじゃないかと思うから」と会社をやっていた時に二人分を法人契約したのだが、その後現れたセールスマンのもっと安くなるからに母は惑わされ、“私が前進したんだ”に替え、さらに会社を止めたので法人から普通契約にしたとき、新たな契約をさせられてしまった。老人相手にやりたい放題である。私がなくしたことをきっかけに“私が前進したんだ”から替えることにした。

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一日  


明治時代の寄席を再現し、その前に三遊亭円朝を立たせる予定であるが、当時の寄席の記録を入手したので、そのなかから寄席の名前を決めようと考えている。看板に掲示する円朝以外の同時代の噺家も選んでいるが、初代の快楽亭ブラックなど入れてみたい気もするが、他にも現在まで続く芸名がたくさんある。 元となる建物を何度か見たが、間違いなく寄席に加工できる。江戸川乱歩が団子坂で営んだ古書店『三人書房』は乱歩のスケッチと証言を元に重ねた画像は軽く100を超えたが、それを考えるとまだ楽である。寄席の前の通りで牡丹燈篭のお露とすれ違う、というシーンを考えてみた。空には月を浮かばせたい。しかしこういう時悩ましいのは、月が後ろに浮かんでいるのなら、人物に当たっている光はいったいなんだ?ということである。どういう訳か知らないけれど、そういうこともあるさ、ということで絵面を取る。 私の場合は作った人形を人間サイズとして撮影する。作品サイズからすると28ミリレンズがちょうど良い。どうせ絞って使うので、明るいレンズは必要ないが、絞っても柔かい描写が良い。二つほど用意したが、いずれも古いが珍しくもないので安く入手できる。このレンズの描写は素晴らしいですね。なんていわれるのは真っ平である。

アートスケープ 展評『深川の人形作家 石塚公昭の世界』


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地元の『タウン誌深川』の連載が終わった。キリが良いところで、と考えていたが、たまたま沈没する前に、かろうじて昔の姿を留められた。続いて何か、という話をいただいたのだが、地元のことといっても、出不精で狭い範囲をウロチョロしているに過ぎず、登場人物も限られており、タウン誌にふさわしい連載は、と思っていたら「あの酔っ払いのオジサン面白いですね?」とのこと。『えっあんなのでいいの?』連載が居酒屋についてだったものだから、つい私の知っている酔っ払いについて書いてしまったのだが。私は以前から、ブログでは読んでいただいている人がいることを考えずに随分書いてしまったが、オジサンのイニシャルが検索に引っかかる、と知人から聞いて慌てて書くのを止めた。 タウン誌深川には酔っ払って転んで頭をぶつけ気絶し、とても中身が入っているとは思えない音がした、みたいなことを書いたが、オジサン岡惚れしている孫みたいな居酒屋の店長に、そんな内容でも見せたい。私に66歳ってバレちゃうじゃない、と怒るのである。そっち?中身が入ってない、は気にならないらしい。歳の部分を切り取って店長に渡したそうである。 それはともかく。内容はなんでも良い、といっていただいたのでやらせていただくことにした。タイトルは『明日できること今日はせず』。安易にも程がある。

アートスケープ 展評『深川の人形作家 石塚公昭の世界』


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深川江戸資料館の『歌舞伎の世界展』へ。助六、弁慶の衣装が見られるのが嬉しい。特に助六は作ったことがあるので感慨深い。 今年集めてきた映画ポスタ一や写真集など、車で取りにきてもらい処分した。その時歌舞伎関係の物も用意しておいたのだが、タバコ臭い古書店の親父を見て、これは判る分けないな、と止めておいたおかげで色紙、掛け軸が出品できた。 保留していた物があり、おそらく酒席で三人で寄せ書きしたものだろう。画題を書いた市川三升は元銀行員。九代目と十一代團十郎の間をつないだ人で、亡くなったあと十代團十郎を追贈された人だが、もう一人は十五代市村羽左衛門であることが判った。となれば展示も良いかもしれない。 池波正太郎が商店の小僧時代、三越で買い物をしている羽左衛門を見かけ、熱烈なファンだったので手帳にサインを頼んだら、色紙にサインを書いてさしあげるからあさって来られる?天下の名優は、二日後時間通り表れ、色紙と共に歌舞伎座の入場券を二枚手渡し、「じゃ、さようなら。これからも、ごひいきに」といって立ち去ったという。池波は、その一言は、有形無形に現在の私の生きざまをささえていてくれるといっても過言ではない。といっている。この名優のあまりにカッコ良いエピソ一ドは泣きそうになるので飲酒時には話さないことにしている。

アートスケープ 展評『深川の人形作家 石塚公昭の世界』


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九代目市川團十郎は華奢で小さな人物だが、当時の実見記を読むと、舞台からはみ出すように見えたという。團十郎像の作者は、未完に終わったであろう高村光太郎を含め九代目の舞台を観ているだろう。新海竹太郎は暫くの扮装しているところを制作用に目の前で撮影させている。いずれにしても“肝心なことは写真には写らない”と全員が思ったはずである。坪内逍遥など、よほど歯がゆかったか写真集『舞臺之團十郎』に“團十郎のあの爛々たる大きな目をぐっと睨ませて、如實に撮影し得たと想像して見たまへ”と『実際の團十郎はこうだ』とばかりに補足している。私は逍遥のこの一文に煽られ私の九代目を作った。 亡くなって十年、演劇雑誌に九代目の奥さんが思い出を寄稿している。釣りばっかりして、借金取りが怖くて部屋の奥で小さくなっていたらしい。そう思うと普段着の団十郎はちゃんと写真に写っている気がしてくる。当時の習慣かもしれないが、レンズをまっすぐ見つめる写真は1カットもなく、こっち見てる、と思って拡大してみたらレンズより下を見ている。写真嫌いとはいえ、そんなところも普段と舞台とはギャップがあった人物ではなかったか、と思わせるのである。

青木画廊サイト。小津安二郎像に写真2点出品。
開廊55周年記念「眼展2016Part1〜妄想キャバレー〜」銀座青木画廊
2016.11/05(土)~2016.11/18(金)

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引用もあり少々長くなる。 高村光太郎は『九代目団十郎の首』で浅草公園の「暫」はまるで抜け殻のように硬ばって居り、歌舞伎座にある胸像は似ても似つかぬ腑ぬけの他人であり、昭和十一年の文展で見たものは、浅はかな、力み返った、およそ団十郎とは遠い芸術感のものであった。其他演劇博物館にある石膏せっこうの首は幼穉ようちで話にならない。ラグーザの作というのはまだ見ないでいる。』といっている。浅草寺の新海竹太郎作や歌舞伎座の朝倉文夫作はいずれも“荒事”の團十郎を意識したか、力んで武ばった九代目になっている。私は全国から九代目の写真を収集した『舞臺之團十郎』(舞臺之團十郎』刊行會)大正12年 を見て、一カットも荒事の九代目らしさがなく、むしろ華奢で切なげでさえあり、よって想像で表情を作った。舞臺之團十郎で、坪内逍遥は團十郎の写真には、本来の團十郎の表情は写っていないという。十二代目がいわれたように、当時の感度の低い写真では荒事の九代目はとらえる事はできなかったのであろう。 高村光太郎はさらにこう書いている。「団十郎は決して力まない。力まないで大きい。大根といわれた若年に近い頃の写真を見ると間抜けなくらいおっとりしている。」 『歌舞伎 研究と批評22』特集九代目市川団十郎(歌舞伎学会)写真と沈黙-九代目団十郎の遺産-神山彰には、この人物の写真は、見る側の期待や欲求に応えていないという。本人が写真嫌いなことは有名なのだが、そういうことではなく、ここには“美ならざるもの”がある。という。“美たりえないもの”それまで対象たり得なかった物が呈示されている異様さが感じられる。何も美化されることなく、ただ眼前にあるものがただ写っている。そこにあるものがただ写ってしまっているという不思議な感覚であり、そこから團十郎の写真が持つ独自の迫真性や奇妙な切迫感が生じている。と書かれていた。これはまさに、私が九代目の写真を見たときに感じたことであり、ニジンスキーの写真を始めてみた時に感じたことと似ていた。九代目の写真に対してズバリの表現に、思わず神山彰氏にメ一ルをお送りし、ご丁寧な返信をいただいた。 ところで光太郎がこの時点で未見だといったラグ一ザお玉作の九代目は、男達が荒事の九代目にこだわったのに対し、唯一「団十郎は決して力まない。」「ただ眼前にあるものがただ写っている。」像の制作を試みている。さすが女性である。ただあまり似ていない。そう思うと高村光太郎作の團十郎が決定版になるはずだったろう。ところで、ここでデッサンもろくすっぽやったことがない私がいうのもなんだが、すべてを踏まえて團十郎像を作りなおしている。


青木画廊サイト。小津安二郎像に写真2点出品。
開廊55周年記念「眼展2016Part1〜妄想キャバレー〜」銀座青木画廊
2016.11/05(土)~2016.11/18(金)

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母がショ一トステイに行っていると、一週間があっという間である。まったく解せない。迎えにいくと、よほど楽しかったのか名残惜しそうである。ム一ドメ一カ一になってるそうだが、私の考えすぎか、担当者の笑顔は本当は苦いのに無理しているように思えてしまう。無事帰宅。すると行きつけの居酒屋から意味なく追い出されてしまい、おそらく昨年から替えられていない熊手の祝儀袋に名を残すのみの、以来彷徨っている落ち武者仲間からお誘いのメ一ル。母との“出所祝い”は後日にして洲崎に向かう。例によって平家の落ち武者もかくや、とブチブチいいながら瓶がならぶ。店を出て、昔アルバイトで作ったパラダイス入り口の子供の銅像の尻を叩いたりしてもう一軒。 昔からあるのは知っていたが、外から中が見えないせいか入るのは初めてである。中は想像と違い磨きこまれた店内に品がある。お客も落ち着いている。低いテ一ブル席から眺めるとまるで小津映画で娘の結婚について話し合っている3人組が座っていそうである。お店の中年夫婦もよい感じだし、つまみもシミジミとしていて良い。なんでこんな場所にありながら、こんな調子が保たれているのか。そこへ品の良いお婆さん登場。この店の雰囲気の源はこれだ、とすぐ解った。お婆さんに夫婦。私たちにはどこかの店と同じ構成で小津監督が撮り直した映画のように思えてしまい、晴れ晴れとした気分で店を出た。落ち武者の皆さんには朗報である。だがしかし、だからといって落ち武を全員集めて、なんてことはしてはいけない。少人数でシミジミするに限る。

青木画廊サイト。小津安二郎像に写真2点出品。
開廊55周年記念「眼展2016Part1〜妄想キャバレー〜」銀座青木画廊
2016.11/05(土)~2016.11/18(金)

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解読  


初代中村吉衛門のサイン入りブロマイドなど、数点出てこないものがあったが、他所に歌舞伎の番付を借りに行くというので帰りに寄ってもらい、歌舞伎展飾りつけ中の深川江戸資料館へ。私が個展をやったレクホ一ルが本会場だが、江戸時代の深川を再現した会場に面した場所を設営中であった。ここに私の團十郎が入るはずだった、という大きなガラスケ一スが設置してある。ここは一年展示する、ということいなので、そこまでしてもらったら完成を考えねばならない。 今日来たのは、近世の古文書を学んだ職員がいて、色紙や掛け軸に書かれた文を読んでもらいたかったのと、これはいったい誰だ?というのを解明してもらいたかったからである。私から見るとずいぶん若い女性だが、サッカ一で推薦で大学に入ったということで、なるほどそういわれればいかにもパキパキして、そのギャップが面白い。そして解読のしかたの一端を見せてもらったが実に興味深い。 この日は持って来なかったが、新しい演劇にチャレンジし、鼻の奇病で亡くなった十三代目守田勘彌の左馬を描いた掛け軸がある。それと一緒くたにしていたが、明治時代のやはり守田勘彌のキャステイング表がある。これは興行師として有名な十二代目守田勘彌ではないか、と考えている。だとすると九代目團十郎や五代目菊五郎の展覧歌舞伎にデイレクタ一的にかかわった人物ではないか。表に書かれた役者には守田ゆかりの玉三郎の名もある。それらを特定すれば時代が判るので調べてみましょう、とのこと。大学では日本の戦時について進もうかと思っていた、というので、そっちの方でも読んでもらいたい物が随分ある。 そこから青木画廊に向かい、その後三州屋にておなじみの顔と飲む。

青木画廊サイト。小津安二郎像に写真2点出品。
開廊55周年記念「眼展2016Part1〜妄想キャバレー〜」銀座青木画廊
2016.11/05(土)~2016.11/18(金)

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