明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



11日〜17日の銀座プランタンの人形展には3体ほど出品する予定である。今回はすべて旧作の黒人のシリーズで、架空の人物を作っていた頃の、かなり旧い作品もある。 この作品の頃は、楽器はともかく、資料写真や実際の人物の観察など避けていた。人体模型を作るわけではないし、本当の事を一度知ったら頭から追い出すことはできないだろう。実際と違っていても、私がそう思ったことには理由があるはずだ、と、いかにも独流の考えに基づいていた。デッサンもろくすっぽやったことがなく、かたくなだった私も、写真撮影をきっかけに実在した人物を手掛けるようになり、人間の部分の詳細を知ってしまう。昔想像したたことの一部は当っていて、知ってしまったらもう出て行かない。よって初期のような作品はもう作れないわけである。 そうこうして実在した人物を作ってもう16年が経ってしまった。今思うと次の段階に行くには、どうしたって本当のことを知る必要があったのであろう。実際はただやってきたらこうなっただけの話である。。そして再び架空の像を作りたくなり、出版社に提案したのが制作中の作品である。どうせなら架空の生き物で行こうと考えた。また変化の予感がしているが、私のことだから、後でこういう理屈があり、なんて顔をするのだろうが、実際は何も考えていないのであった。

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国技館内でMさんに、新作の人に非ずの頭部を披露したところ、普段自宅で見ているのと環境が違うせいであろうか、些細なことに気がついた。それは当初描いていた表情と、ちょっと違うな、ということである。不満があるわけではないし、イメージ通りに完成したと思っていたので、ほんのちょっとしたニュアンスである。そしてその理由が判った。(たぶん)  先日ツイッターで、昔の強豪レスラーが出演した映画の話題になった。昔から特異な容貌や体格を生かし、レスラーは映画に出演してきた。日本でも、例えば黒澤映画の『用心棒』に出てきた大男『羅生門綱五郎』は台湾出身で日本プロレスに所属したレスラーである。私は昔から巨人が好きなので始めて観た時はスクリーンに釘付けであった。東大の標本室に見学に行ったのも、出羽ヶ嶽文治郎の骨格標本を見たいがためであった。こちらは相撲レスラーだが。 それはともかく。話題に上がった映画は『Night and the City』  (50’)である。しかし、ここまでレスラーがどうの、といってきたが、実は関係がなく、『リチャード・ウィドマーク』である。独特の笑い声の、悪役を数多く演じてきた俳優である。日本語の吹き替えでは、なんといっても、ねずみ男(ゲゲゲの鬼太郎)ゴロマキ権藤(明日のジョー)の大塚周夫である。 私はTVでモノクロのハリウッド映画を観られた頃のファンであったが、この映像で久しぶりに観た。そしてどうもウィドマークのニュアンスが知らないうちに入り込んでいたようである。もっとも、他人が見たところで、そうかな、という程度のことであろう。この程度のちょっとしたニュアンスについてああだこうだ、やっているわけである。

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4時前に国技館前でMさん夫妻と待ち合わせ。先日書いたようにMさんには出版予定の本に登場いただく。K本の飲み仲間であるが、なんでも協力してくれる、と余計なことをいったおかげで、ご自身が作中に登場するはめに。そういう意味でいったのでは、と躊躇されていたが、大手ゼネコンを昨年定年されていたのも偶然とはいえないであろう。 先日、ドキュメンタりーという謳い文句で制作された恐怖ビデオを観たが、ちょっと見ただけで、どこかの劇団員がやる素人の演技だと判った。素人はカメラを見るものである。聞き込みのシーンでは、TVの再現ビデオで見るような役者が出てきた。実に甘い。その点、私の今回の作品には、今のところ素人中の素人しか出てこない。 相撲観戦は大鵬が優勝した千秋楽。おそらく昭和37年か9年以来である。しかも後ろも後ろの席で、土俵が小さかったが、今回は土俵から10メートルないくらいの升席である。着いて丁度、白鳳の土俵入りが観られた。実際観ると、TVで観るより土俵が狭く感じる。仕事を抜けた友人も合流。幕内も最初は豆タンクというような似た体つきが多い気がしたが、上位になると身体も違う。ライブの雰囲気で、どちらが勝とうが勝敗は気にならない。最近TV観戦もご無沙汰で、名前も知らない力士が多いせいもあるのだが。 子供の頃は立会いまでの間が耐えられず、それほど熱中することはなかったが、最もファンだったのが前理事長、放駒の大関魁傑である。「休場は負けと同じ」。なかなかいえるセリフではない。そして育てた横綱がガチンコの大乃国。さもありなん。高校から専門学校時代に熱中した。それもしまいには魁傑と誰が対戦するかにしか興味がなくなり、専門学校の陶器科で粘土を練りながらラジオを聴き、出番の頃には泥だらけで抜け出して、近所の蕎麦屋に観に行った。といっても店の外から覗いたのであるが。 弓取り式を観て、タクシーで本拠地のK本へ。そこからT千穂へと移動。 帰宅後、11日からの銀座プランタンの人形展に出品する作品を選ぶ。例によって、どうしても色を塗り替えたくなってしまうのであった。

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昨日からT千穂の常連と伊豆に行ってるkさんより『今大盛り上がりです。川に落ちるかも?』というメールが着た。『落ちてもいけど、浮かび上がってこないでね』と返事。 今回出版予定の出版社は、大ヒット中の書籍のおかげでまだ打ち合わせができない。なんとかGW開けには、ということであったが、それもかないそうにない。今月末には編集者も編集作業にようやく戻れる、とのことだがどうであろう。そこまでブームになっているのなら、私の出版のさいには“○○の大ヒットでご存知”と帯に書いてよ、と提案したいくらいである。  主役の生き物は短時間でできたからといって、出来が満足ならそれで良いわけである。今日も頭部のディテールアップに努めていて、かなり気持ち悪い感じになった。これは当初からそうするつもりであったが、そこに10パーセント程の愛敬を盛り込むことが肝腎である。堀辰雄はこの短編小説を“氣味惡くなつて來てしかたがなかつた”と評しているが、基本的にはユーモア小説である。ただ気持ち悪いだけでは不十分であろう。
死んだら魂はどこへ行ってしまうのか?と同じ調子で、頭の中でイメージした物はどこへ行ってしまうの?幼い私はよく一人悩んだ。特に一人で居る時に空想したイメージは、知っているのは私だけである。絶対頭の中にあるのに。と思っていたが、それを頭から取り出して、「やっぱりここにあった。」と確認するのが私の創作行為といえるだろう。今あの頃の、洟をたらして口を半開きでボンヤリ考えている私に会ったら、今にそんなことばかりすることになるぞ、といってやりたい気がする。 ボンヤリと天井のスミを見つめる子供はお化けが見えているのかもしれないが、口を開けっ放しで遠くの空でも見つめていたら、直ちに頭を叩いて我に帰らせるべきであろう。なにしろ、取り出した物が良い物か悪い物かは、また別の話である。つまり取り出すほどの意味がある物かどうか。これは創作を続ける間ずっと付きまとう恐ろしい問題である。おかげで私の場合、多少満足のいく物ができたとしても、はしゃいでいられるのはせいぜい一週間である。

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永井荷風の養子であった永井永光さんが先月、荷風と同じ享年、同じ部屋で亡くなったという。永井さんには何度かお目にかかった。99年に神奈川近代文学館の荷風展に荷風像を展示し、その直後だったろうか、銀座で長年やっておられたバー『遍喜舘』にうかがい、荷風のエピソードを聞かせていただいた。04年の市川市文化会館の『永井荷風』―荷風が生きた市川―では現在の市川市を背景に、荷風像を撮って歩いた。これは後に『江戸東京たてもの園』や『世田谷文学館』における現在の風景を背景に作家像を撮影・展示につながっていったが、お宅に伺い、荷風が亡くなった部屋で荷風像を撮影させていただいたのは、大きな想い出となっている。最後にお会いしたのは08年世田谷文学館の『永井荷風のシングル・シンプルライフ』の搬入の際だったろう。まだまだお元気なご様子であったが。この時の展示では、現在の風景を背景に撮るどころか、ついにこの展覧会自体を荷風が訪れ眺めている状態を撮影した。これは学芸員の方のアイディアであったが、実に楽しい撮影であった。 永光さんもおっしゃっていたが、荷風は戦後性格が一変してしまったという。その吝嗇ぶりは有名で、全財産を青緑色のバッグに容れて持ち歩いた。市川市文化会館の展示には、荷風と交わった人々もご存命で、数々のエピソードが寄せられていた。市川に引っ越してきた時、世話をした地元の不動産屋は有名な作家ということで、息子を連れて掃除に掛け付けたが、『縁の下の塵も自分の物だ。余計なことはするな』。と追い返している。永光さんには、子供の頃、離れに住んでいた荷風に電話だと伝えに行くと、食べてる最中のカステラを、あわてて股の間に隠した。そういったものを分け与えられたことは一度もなかった、と伺った。しかし最近は、こういった荷風の性格は、戦争による恐怖症によるものではないか、と川本三郎さんの発言により、名誉回復?が成されつつあるようである。  永光さんのおかげで貴重な財産が守られ、我々も眼にすることができた。謹んでご冥福を祈りたい。

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昨日主人公の頭部が数時間で完成したと書いた。細かな仕上げを含めてまる一晩、というところであろう。しかしいくらなんでも、と思い、何種か作って決めようと思っていたのだが、細かいディテールを作ってみると、これで良いのではないか、と思えてきた。短時間でできたとはいえ、これには何日にもわたり、作りたいのを我慢し、空腹状態が頂点に達するのを待って制作した結果である。この焦らし作戦?は、ここぞ、というときに時折行うのだが、集中力は高まるし、空腹のところへかぶりつくように作るわけだから、躊躇することなく、一直線に完成に向うことになる。不満といえば、物心付いて以来、この快感を味わうために作ってきたようなものだから、それを考えると、少々呆気ないところが不満とはいえる。  この頭部には、やはり人毛を植えようと考えているが、それはまた後日。この頭部を基本に撮影用の、異なった表情を何個か作ることになるだろう。後は以前触れたが、水中モーター取り付け用のバージョンも必用だが、こちらは夏までにあればよい。

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ここ数日、ブログを留守していた。キーボードに水をこぼし、近所のヨーカドーに買いにいったが、今は置いていない。面倒な方法で、ツイッターには書き込んだが、あいかわらずKさんは、ここでそのまま書けないようなことばかりだし、まあいいや、と誘われて友人の家でダラダラすごし、本日キーボードを買って帰宅した。 作る作るといって作り惜しみをしていた主役である、人に非ずな物を制作開始したのだが、数時間で頭部が完成してしまった。いくら架空の物で、資料も使わずイメージだけで作れるとはいえ、これでは楽しみにしていたのに拍子抜けである。これはこれとして何体か作ってみることにした。 資料を見ながら実在の人物の制作は、苦手なわりに随分作ってきた。これはそういうことが必用な時期だった、ということであろう。人形制作を開始した頃のように、架空の物を作ると私は実にのびのびとしている。 
この間K本の常連で、今度の作品にも登場いただく予定のMさんから、平日の7日、相撲見物にお誘いいただいた。奥さんと行かれるそうで、有り難いことに母も一緒にどうぞ、といっていただいたが、母の都合が悪い。そこで作中、Mさんの女房役に、と考えているデザイナーのYさんを誘うことにした。スケジュールさえ合えば夫婦同時に撮影したいので、事前に顔を合わせていたほうが良いし、それにMさんの奥さんには、Yさん用の着物をお借りする可能性があるので、奥さんにも会っておいてもらったほうが都合が良い。  それにしても、相撲見物は久しぶり、などという程度の話ではない。昭和30年代、大鵬が優勝した千秋楽以来である。幼稚園児の私も沿道で手を振った。以来もっぱらTV桟敷で観戦である。 ということで、作中鼻の下が長い、と描写される役のMさんだが、鼻の下の長さも少々手心を加えることになるであろう。それはそうである。私だって人間だもの。他の出演者の方も、お付き合いの仕方によってはシミをとったりその他諸々御相談に応じることが可能であります。こういった点において、私はかなり人間味が強い方である。

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昨晩から制作を続け朝。今日はKさんがファンであるT屋のかみさんに、誕生日のケーキを届ける日である。大統領にもゴーストライターがいる。このケーキに何を書くか、Kさんは毎年迷っているので私が考えるのだが、昨年の『結婚してください』に続き今年は『一緒に逃げて』を提案した。旦那と一番下の娘の○ちゃんに、その部分を食われて何が面白いかである。しかし、字数が多くて断られた昨年に続き、今年も躊躇して頼むことができず、手書きの紙切れをケーキに乗せるにとどまった。 徹夜明けの所にKさんより何度も誘いの電話。私はその部分を齧られないなら、まったく面白くないので行かない、と拒否。かみさんにも、これはケーキに書かれていないと、といわれたという。 夕方Yさんからの電話でT千穂に。隣のKさんは例によって引き続き酔っている。今日は藤あや子似だとKさんがいっていた女性と9時に待ち合わせているという。確かに大変素敵な女性であったが、藤あや子に似ているかといえば、共通点は目と鼻の数くらいであろう。 そこへ昨日に続きK本の常連。Kさん嬉しくなってしまい、藤あや子との約束を後悔している。さらに中国人の団体。若い女性も大勢。完全に舞い上がるK。止めは女将さんが、9時に私の彼女が来るとアドリブでホラを吹き、さらに身をよじる。『あんたとは一切関係ないだろ!』しかしついにあきらめ、店中の女性にまるでスターのように愛想を振りまきながら藤あや子の所へ。 帰宅後、仕上げ作業をし、ひとごこち付いた頃、Kさんの携帯より藤あや子からKにいると電話がくる。行ってみるとKさんあい変わらずである。 店の人から先日Kさんが、○○客を○○○○、その女性に「テメェ○○○○!」といわれて○○○○た話を聞く。○の数に特に意味はないといっておくが、こういうことを書けば、間違ったKさん人気も収束のはずだが、Kさんはどうでも良いが、こんなヘンなオジサンと毎日のように会ってるの?と今度は私の常識が疑われてしまうことになる。

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T千穂で飲んでいるとK本の常連が流れてくる。そこでどうしてもKさんをいじることになってしまい、カワウソに角砂糖の如しで喜んでしまっている。この光景を目にするたび、このKさんの間違った人気を収束させるのは私しかいない、と責任を感じるのであるが、かといって、実態をあからさまにはどうしても書けない。 一人の奥さんはKさんと同郷ということで、Kさんの隣に坐ってしまう。二日酔いであまり飲んでいないから良いようなものの、酔っていたら絶対止めるところである。Kさんは敬語を使うところを聞いたことがないのでハラハラするが、気さくな奥さんで、お互い子供の頃裸足だったと盛り上がっている。Kさんは熱いものやベトベトしたものでないと、なんでも手でつまむ癖がある。奥さんに進められたものをまた手で食べている。しょうがないな、と思うとキュウリのおしんこに楊枝を二本だした。さすがに奥さんに気を使ったな、と思ったら、キュウリを手でつまんで楊枝を刺した。そしてキュウリを持って齧っている。なんの役目も与えられずただキュウリに刺さってプラプラする楊枝。またそのキュウリもネズミのようにチビチビと齧るのである。 Kさんは奥さん連中が参加するK本の集まりに加わりたくてしょうがないが、私が阻止している。確かに愛嬌のあるKさんだが、カワウソの皮をかぶったタスマニアンデビルといってよく、女性の乳房に対する異様な執念には、誰しもが後ずさることであろう。K本の常連と違って、T千穂の常連のM子さんは、私がブログではオブラートに包んでいるから、とよくご存知である。 本日もこんなに品のないジジイだ、とネガティブキャンペーンのつもりなのだが、大手ゼネコンのMさんあたりが、オシンコと楊枝を前に、「Kさんこれ食べてみて?」などとやりそうである。絶対止めるように。そんなんじゃないんだから。

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出版のため取り掛かっている作品は、人の形をしている、いないを含め異界の物が数種登場する。そのうち主役、準主役その補佐役で3人。準主役のお姫様は頭部が完成した。連休中に、いよいよ主役の頭部の制作に入ろうと考えている。これが見た目からして人に非ずというわけである。 今まで常に著者を作中に登場させてきたが、今回は未定である。そのかわり当初から考えていたのが著者とは別の、某作家を登場させることである。これは誰かは完成まで内緒にしておくつもりだが、見てもらえれば、著者を登場させていないのに(ヒッチコックのように、通行人ぐらいで登場させる可能性はある)その作家を私が登場させる理由がわかっていただけるであろう。そしてその頭部はすでに出来ている。その他の異界の物は、粘土で制作するか、あるいは写真の合成で制作するか、それはもう少し進行した時点で、どちらが効果的かにより決めることにする。 そして異界の物共に対し、人間である他の登場人物は、友人知人にやってもらうのだが、主だった配役は決まったが、通行人などの端役もいずれ考えなくてはならない。 そうこうして、私は登場させるつもりはまったくないのに、自分が登場する、と近所の某店で、女の子達に言触らしている人物がいることが発覚した。「マアすごい」とかなんとかいわれてやに下がっていたらしい。作中に額にへの字の傷がある人物が出てきたら、何か意味があるように見えるではないか。へを消すのもうっとおしい。まったく、62歳になる夜に何をやっている、という話である。

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昨日のブログに、かつてのプロレスラーを列挙したが、幼稚園児の頃からTVの前で、目を皿にしてあらゆる人種の裸体を見つめてきた。毎週展開される日常ではあまり目にすることのない姿態。これによって骨格から筋肉の構造が凡そ頭に入った。 私の場合、勉強しようと表層の脳を駆使して企んだことはだいたい徒労に終り、プロレスを観て、筋肉を研究しよう、などと、ただの一度も考えたことのないものに限り頭に入ってくる。 私の方向音痴や、数字に弱い部分は、この無意識の間に収集するデータを収納するために、ハードディスクのスペースを空けているのだと解釈している。そうとでも思わないと納得ができない。 子供の頃から馴染んだレスラー名鑑に匹敵する物に出合ったのが、高校時代のブルースブームの時、黒人ブルースミュージシャン名鑑である。明らかにジャズマンと違う佇まい。中には人前に晒して良いのか?という御面相も混じり、“ハウンド・ドッグ”や“ライトニン”など、レスラーのリングネームのような芸名。“ペッグレッグ”なんていうのまでいる。そして数年後、初個展が『ブルースする人形展』(82’)ということになった。 人間の諸々相ほど興味深いものはない。

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先日、仕上げを残し完成していたお姫様の頭部だが、主役との対応を考えると、まだ甘いと判断した。俗物の主役に対し、あくまで見下ろした立場の姫が、あまりにも庶民的に過ぎると思えたのである。改良を続けていた。しかし顔が6センチ程度の頭部である。ほんのちょっとの、ヘラの動きや気分で奈落へ落ちたり、ピンチを脱したりするわけで、その大きさの物を数日間、或いは一月以上制作する間は、気が気ではなく、頭部さえ出来れば楽しいことが待っているのだ、とひたすら耐えるわけである。  ところでこちらのブログで、プロレスラー100人を選出する、という企画がなされていて、あと12人は?ということで私も考えてみた。 『ビッグダディ・リプスコンプ、カウボーイ・ビル・ワット、ホイッパー・ビリー・ワトソン、パット・オコーナー、キラー・バディ・オースチン、スカル・マーフィー、ゴリラ・モンスーン、キラー・カール・コックス、ドン・イーグル、キラー・カン』。 キラーと名乗るレスラーを3人も選んでしまったが、一人は実際リング上で2人殺している。 亡くなった父が最後まで大のプロレスファンで、唯一の共通の話題なので、入院中スポーツ新聞を持って見舞いにいったことは何度か書いた。子供の頃の映画で、病気の子供の所へジャイアンツの選手が見舞いにきて、約束どおりホームランを打つ、というような映画があったが、ここにアントニオ猪木が見舞いに来たら父はどうなるだろう、と想像したくらいで、当時の雑記にそう書いた覚えがある。 保守的な父は保守的なジャイアント馬場を嫌っていた。一方私はというと、父とは逆に、手前勝手な猪木が嫌いであったが、父はそれを知らずに亡くなった。  話は戻る。キラーだゴリラだスカルだカウボーイだ、と懐かしいレスラーを想い出しながら選んでみたが、これがなんとも愉快で楽しかった。そして選び終えて40分程であろうか、お姫様の頭部が完成していたのである。 ことほど左様に、ちょっとした気分でも制作に影響する、ということなのである。

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私が子供の頃、『慌てる乞食はもらいが少ない』といった。子供でもこれなら意味が判った。というわけで主人公の制作に未だ入らず。『乱歩 夜の夢こそまこと』(絶版)の時は一作につき数ページであり引用文も短く、オムニバスの絵本という感じであった。それぞれ作品ごとに個別に考えて制作したが、今回は短編とはいえ、まるごと一作である。よって全体を考えて制作しなくてはならない。人に非ずの主人公と、準主役というべき姫(こちらも形こそ人だが、人間ではない)との聖と俗の対比が話の展開上重要であろう。

Kさんがファンの、T屋のかみさんの誕生日が近づいている。一昨年○○命と書いたケーキをプレゼントし、その部分を旦那と中学生の娘に食べられた。昨年の丁度今頃、三島由紀夫へのオマージュ展のために、F-104戦闘機を撮影に行った浜松に、暇なKさんも同行。前日に飲んでいて、KのRさんにハグされ有頂天になってしまった。翌朝の出発から一日中酔っ払ったままRさんの話を延々と聞かされ続けた。「結婚はしないよ」。飲み屋で冗談で一回ハグされ、なんでそうなる? 宿泊先の舘山寺温泉では、布団に入ってから、今年はケーキに何と書くか悩んでいるので『結婚してください』がいいよ。と提案した。私としては、旦那と娘にその部分を食われて何が面白いかである。ケーキ屋の店頭で勇気を出して私の案を注文したが、字数が多すぎ断わられた。 そして今年もすでに悩み始めている。字画、文字数の制限はどうなのであろう。食われるには『一緒に逃げて』など面白いが、ケーキ屋の店頭で恥ずかしいなら、Kさんが切々と歌う曲にちなんで『矢切の渡し』。これでは面白くない。娘の○ちゃんが、Kサン馬鹿じゃないの?と笑顔で齧るイメージ。

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先日ツイッターで、今年某作家生誕○○○周年ということを知った。只今出版に向けて制作を開始したのは、この作家の著作のビジュアル化である。つまり私が出版の話をした相手で、なるほど今年は丁度良いな。と思った人がいたかもしれないが、それはまったくの偶然である。以降当然知っていて決めたことにする。 先日携帯の液晶を壊して修理を依頼し、書類に日付を書くとき今年が何年か訊いてしまったが、直したと思ったらまた修理ということになり、また訊いてしまった。日にちを訊くのはどうということはないが、年を訊くのは少々恥ずかしい。平成を十年も間違えた場合は、ちょっとウッカリして、という小芝居は必ず必用であろう。 30代の頃からすでに自分の齢が出てこないことは良くあった。年号が身に沁みるには365日は私には短すぎる。母の誕生日も8月ということしか覚えられないし、父の命日に至っては4月か5月のどちらかであろう。日にちなど連続した時間のただ一点であって、それが3だから5だからといって、それほどの意味があるとは私には思えないのである。 数字というものはすでにあるから利用しているが、自分の為だけだったら本当に必要なのか、と思わなくもない。時間などは数字で区切らず、谷啓的にいって、ただ“ビロ〜ン”としたもの、というわけにはいかないものであろうか。こんなことをいっていては社会では生きていけない。ここだけの話である。 しかしKさんの日々の行動を見ていると、自分の年齢は自覚すべきだ、と思わされる。小学生が退職金と年金でフラフラというのはヘンである。

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K本からのKさんのメールをスルーして専門学校時代の友人Hと門前仲町のOに行く。Kさんとはどうせまた会うだろう。Oは満席で入れず。閉店時間になると酔っ払ってビリー・ホリデイを大音量で流していた親父さんは亡くなったらしい。ビリー・ホリデイが一番好きだ、と赤い顔してウットリしていたが、場所柄からして『奇妙な果実』は客の追い出し効可抜群であったろう。 煮込みのOへ行く。こちらに越してきて二十数年になる。ここは先代がくわえ煙草の灰を落とさないとか、京塚昌子が何本食べた、とか有名であったが、たまたまきっかけがなく本日初めて。 煮込みは甘めの濃い味噌味で、ほとんど生の宝焼酎に申し訳程度の梅エキスに大変合う。瓶ビールに焼酎4杯。狭い店だが、奥に二畳あるか、という座敷があり、K本その他でよく顔を見るIさん。状態が牢名主の如しで、そうとうな常連なのであろう。女将さんに私の話をしている。大袈裟に伝わったのか、色紙を渡される。いやはや、そんな大そうな者じゃ御座いませんと辞退。こいつは誰だ?意味不明な色紙を飾られても。 次にT千穂へ。KさんはHと何度か飲んでいるが、KさんにはHが妙にハンサムに見えるらしく、やたらというので少々気持ちが悪い。そして3人で再び門前仲町に戻りカラオケスナック。先日のカラオケ大会ではK本の常連の女性Hさんに、年取ってはまるとこうなる、といわれてしまったが、私の場合は選曲の意外性だけが勝負である。傾向としてゴーだのレッツゴーだのエレキがどうした、というのが多い。 望月浩がビートルズの武道館公演の前座で歌った『君にしびれて』。前座といえばドリフや尾藤イサオばかりで、忘れられているのが残念だが、懐かしい、とさえいわれないところに快感がないとはいえない。なんなら同じ望月の『高速エスパー』も歌うぜ。いしだあゆみといえば『ブルーライト・ヨコハマ』より間違いなく名曲なのは『太陽は燃えている』であろう。というわけでまた一日。

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