キュヴェ タカ/cuvee taka 「酔哲湘南日記」

新鮮な山海の恵みを肴に酒を吞み、読書、映画・音楽鑑賞、散歩と湘南スローライフを愉しんでいる。 

散歩のち相撲、風呂のち酒

2024年03月11日 | Weblog
散歩から帰って相撲を観た。
最近は妻が相撲に凝って錦木を贔屓にしていて、TV放送が佳境に入る4時過ぎからはTVに釘付けになっていて晩飯の支度をしない。
全くしないと自分も飯にありつけないから煮物をストーブの上に載せている。
最近の相撲は群雄割拠で断然強い角力がいないから、誰がヒーローになるか分からなくて面白い。
僕は小兵の力士が早く動いて多彩な技を繰り出すのが好きで、半世紀も前に活躍した旭国のファンだった。
大関まで行ったがクンロク大関と呼ばれた。

風呂に入って出てきたら既に台所に妻の姿はなく、さっさと食べて居間でTVを観ていた。
鯛の刺身、菜花の辛子和え、煮物はおでんで、袋物には海老や茸が入ったのと餅が入ったのがあり、黒はんぺんと牛蒡巻きがあった。
こうなると酒以外ありえず、チロリで湯煎で燗をした。
これが一合のチロリで、多分正八勺くらいは入っていると思うが、大磯の丸窯で焼いた気に入っているぐい吞みに丁度入る量なんだ。
それで4杯呑んでいい気持になっていたが、カルバドスに替えて柿の種と落花生を肴に3杯飲んだから酔いがかなり回った。

8畳に移動して中森明菜を聴いたが、大人になってから声が低く掠れて色っぽい。
松尾和子が色っぽいと思ってアルバムを2枚買ってみたが、中森明菜のほうが色っぽいんで驚いた。
丁度いま聴いている「歌姫4」の「スタンダードナンバー」なんて、多分40代の歌唱だと思うが色っぽくてうっとりする。
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公園で遊ぶ子供を観て思った

2024年03月11日 | Weblog
すっかり飲んで酔いが回ってしまったが、昼飯の事から書かなきゃいけないな。
タイ料理と共に妻が多く造る料理は揚げ物でなかんずくトンカツの頻度が多い。
分厚いトンカツとチキンカツとソーセージカツが揚がっていた。
豆腐ともやしの赤出汁、自家製キムチと共に飯を二杯も喰って仕舞った。

プレシネは「犬神家の一族」で、松嶋菜々子が珠子を演じているやつだ。
金田一は石坂浩二で、刑事部長は加藤武で同じ配役だった。
途中で居眠りをしたり電話がかかってきたりで飛び飛びで観たが、何時もはこの手の映画何が何だか分からないのに、やけにはっきりと筋書きが分かったので驚いた。

総会の書類を整えているが苦手なExcelで、四苦八苦していて気分は最低だったな。
PCの使い方を僕に指南してくれる人が、週に一度か二度来てくれていたのに、何時も珈琲を飲みに出て世間話に費やしていたのが悔やまれる。

3時過ぎに町内のかたに香典とお礼を持って行ったりして外へ出たが、ついでに大磯方面へ散歩に出た。
下川窪公園では小学生の女の子が4人ボール遊びをやっていたが、もう学校終ったのだろうか、あるいは卒業式で休みだったのか。
最近は塾に通っていて、仲間とつるんで公園でボール遊びをする子供を見かけることが少ないが、実に楽しそうだった。
塾に行ってもどうせ勉強しか教えてないんだから、今だけカネだけ自分だけになるのが関の山だ、友達と遊んだほうがよっぽどためになると思うんだけどね。



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80年代の高揚感

2024年03月11日 | Weblog
昨日、落語会の帰りに国府分館へ寄り、売野雅勇「砂の果実 80年代の歌謡曲黄金時代の疾走の日々」朝日新聞出版 2016年、石原慎太郎「絶筆」文藝春秋 2022年を借りた。
「絶筆」は二宮図書館で貸し出し中だったのを予約してしまったのでキャンセルして大磯図書館で借りたのが本館から届いた。

家に帰って来て手に取ったのは「砂の果実」で、何故これを借りたかというと、年末から歌謡曲についての本を読んでいたが、その一環であり、売野雅勇は余り馴染みが無かったが、「少女A」の作詞者だ。
半分ほど読んだが、僕の好きな川上弘美が出てきて驚いたりしながら、熱気のあった80年代の感じを懐かしく堪能している。

思えば82年に日本に帰って来て、ハワイで作っていたマカダミアナッツ・チョコレートが海外土産として爆発的に売れたが、食品や酒の商品開発をすると、時代に押されて必ず一定量は売れたから、失敗など考えられずイケイケだった。
客先と銀座や横浜の関内で飲んで、タクシーを飛ばして帰って来る日々だったし、そのタクシーが中々捕まらなくて難儀した。

あの頃の時代のことを書いた本を読むと、その感じが蘇って来て、何だか元気になるという効用がある。
その後の失われた30年、近頃の若い人は可哀想だなんて同情しているんじゃなく、あの高揚感を身をもって再現し、世の中を変えちゃう方が早いんじゃないのかなんて思っている。

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馬淵睦夫の予言

2024年03月11日 | Weblog
昨夜は小田巻蒸に叉焼、キャベツと卵炒め、鰺の刺身があったので酒をストーブのお湯で燗して呑んだ。
その後、変わり餅を焼いて肴にしてカルバドスを飲み、柿の種と落花生でサミュエルのウイスキーを飲んだ。

YouTubeで馬淵睦夫のひとりがたりを聴いていたが、名前を忘れたり言い間違いなどがあり、随分お年を取られたと思って視聴していたが、我が身を振り返るともう随分前からそういった現象が出現しており、一体お幾つになられたんだろうと調べてみた。
1946年の1月生まれだから78歳になられている。
ウクライナの駐在大使などをやらされていたから外務省では主流ではなかったにしろ、退官後は安逸な生活が出来たろうに、ディープステイトの話を始めた頃は陰謀論を操るペテン師と見られたろうから、自ら苦難の道を歩いたわけで立派な方だ。

大体、学界や省庁などの組織に都合の悪いことを云うやつは組織内では出世しないから隅に追いやられるか抹殺されるが、野に下ってどっこい生きている人もいるわけで、小室直樹、西部邁なんて人はその典型で、口を糊しなきゃいけないか著書が多くなり、内容が薄まる傾向にあり、繰り返しが多くなる。
しかも売れなきゃいけないから語り口が平易になり、組織の肩書が無いから一般の人には胡散臭い目で見られる。
読者あるいは聴視者は、本物を見分ける目を要求されるから、自ずと勉強をしなきゃいけない。

話しを戻すと、馬淵睦夫はディープステイトの力が明らかに弱くなってきたうえに、プーチンとトランプが政権を握る期間が重なる2025年から2029年までの4年間で、世界は激変し、真っ当なことが真っ当に行われる世の中になると予想している。
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粗忽長屋

2024年03月11日 | Weblog
前は2か月に一度だった大磯落語茶屋の落語会が去年から3か月に一回になった。
女将の直ちゃんが打つ蕎麦が評判となり、忙しくなって頻度数を減らさないと負担が大きくなったことが表向きの理由だが、ご本人の高齢化が一番の理由なのではないかと疑っている。
店を始めたのが多分4年前の4月だったような気がする、昨日の落語会が第22回だったから多分合っているだろう。
始めた時に70だと聞いたから、その勘定でいけば74になるわけで無理もない。
僕も彼女より若いが、すっかり足腰が弱まり、身体の節々が痛くて外へ出るのが億劫になっているくらいだからね。
蕎麦打ちというのは、傍で見ているより力が要り大変なんだけど、逆にみればいい運動になっていて、健康と体力維持に大いに貢献しているのかもしれない。

昨日掛った噺は「初天神」「金明竹」「時蕎麦」「しじみ売り」「粗忽長屋」だったが、なんといっても取りの「粗忽長屋」は落語の傑作で、やけに面白いうえに存在論の深みにまで関わる滑稽噺だ。
デカルトのCogito ergo sum が1937年の「方法序説」だから、「抱かれてるのは確かに俺だが、抱いてる俺はいってえ誰だろう?」 という最後の台詞は、方法序説批判としてこれが出来たんだろうかと疑わせるようなシロモノだ。
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