酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「日本近現代史入門」~広瀬隆が抉る日本の病巣

2017-04-21 12:37:52 | 読書
 少子高齢化、医療と福祉の崩壊、貧困と格差の拡大、原発再稼働と輸出、地方衰退、アメリカへの隷従と沖縄への冷酷な対応、秘密保護法と共謀罪、国民の沈黙と集団化……。 

 日々のニュースに怒りと無力感を覚えている俺に、広瀬隆著「日本近現代史入門~黒い人脈と金脈」(16年、集英社インターナショナル刊)が〝新しい羅針盤〟を提示してくれた。1860年代からの約120年を独自の視点で記している。

 広瀬の的確かつ迅速な情報分析の最たる例は、3・11日から12日後に開催された「緊急報告会」(デイズジャパン主催、早稲田奉仕園)での発言だった。広河隆一編集長に続いてマイクを握った広瀬は、体内被曝を隠蔽する現在の福島、東電や保険会社は一切補償に応じないという近未来を予言する。七三一部隊の系譜に連なる山下俊一長崎大教授の福島県アドバイザー就任が根拠だった。

 「体内被曝について福島県や国が発表する数字は信用出来ない」と広瀬は断言したが、当の山下は翌日(24日)の「報道ステーション」で「福島産の食物は安全」と話していた。テレビ朝日は代理店と東電に屈し、本体の朝日新聞は同年、山下に日本がん大賞を授与する。反安倍政権サイドが言及するメディア不信の典型的な事例が民主党政権下、3・11直後の朝日で起きていた。

 一方で、桐生悠々を筆頭に、戦争反対を発信し続けた言論人を称賛している。「アレクシエービッチの旅路」について綴った稿(3月24日)で、彼女が強調した言葉「人間であること」は老い先短い俺にとってキーワードになっているが、本書にも繰り返し現れる。

 歴史書は予定調和に陥りがちだ。広瀬は〝情念のアジテーター〟というイメージだが、早大理工学部卒ゆえか、歴史をひもとく手法は理系である。唯物史観を信奉する左派からは忌避感を抱かれがちだが、民衆史に分類される色川大吉や鹿野政直の著書に近い読後感がある。権力に踏みにじられてきた圧倒的多数の棄民を、その抵抗とともに記しているからだ。

 以下を読み、こう感じる方もいるだろう。<広瀬の尻馬に乗って悪口を書いているだけ>と……。小説やドラマの主人公で人気を博してきた歴史的人物の実相を、広瀬は史料と照らし合わせて暴く。偶像破壊の書ともいえる。

 俺は現在の日本を重篤な病人と考えている。日本はどこで間違えたのか? 広瀬は医者としてメスで抉っていく。行き着いたのは明治維新で、吉田松陰と福沢諭吉の思想が、アジア侵略のベースと捉えている。山形有朋や松方正義ら強欲な志士たちが国家を私物化していく経緯も詳述されていた。

 民主主義の萌芽と評価される自由民権運動だが、征韓論を唱えて下野した4人が軸になっていた。排外主義者が自由を説くのは大きな矛盾で、彼らを操り、後にスポンサーになって政党を動かしたのが財閥である。明治政府を領導した財閥によって、日本は戦争抜きに成り立たない〝戦争国家〟になる。この流れは大正、昭和に加速し、財閥とその傀儡政治家が富と権力を独占する。彼らが怨嗟の的になり、血なまぐさい事件が頻発した。

 1920年代を振り返れば、現在の日本との共通点がいくつも挙げられる。格差と貧困が拡大に喘ぐ民衆が軍国主義に引き寄せられていった。<格差と貧困がファシズムを生む>が定説になっているが、正しくは<意識的につくられた貧困が軍国主義を支える>だと広瀬は理解している。

 治安維持法の下、身を賭した大規模な社会運動が燎原の火のように広がった。翻って現在、反原発と反戦争法の広範な広がりで権力の壁に亀裂が生じたものの、たちまち修復され、以前より強大になって立ちはだかっている。この国ではなぜ、〝祭りの後〟の喪失感を繰り返してしまうのか。その謎に迫る鍵も本書に記されている。

 ニューディール派から保守派に主導権が移るGHQだが、前半において果たした役割を広瀬は高く評価している。第一に、上記した吉田茂、白洲次郎、緒方竹虎らファシストたちの策謀を食い止めたこと。この3人は<在外邦人の定着化=棄民>を提言し、GHQに呆れられた。船員たちが在外邦人の帰国に体を張り、米軍も積極的に協力する。

 第二に、GHQは無能極まりなく冷酷な政府に代わって国民を飢餓から救った。敗戦の日の1日前、1945年8月14日に何が起きたか、<軍需物資持ち逃げ 8月14日>で検索すれば、日本の支配層の実態を知ることが出来る。この動きに、岸信介も一枚噛んでいた。第三は、新憲法だ。GHQには多くの案が寄せられたが、採用されたのは鈴木安蔵らのグループが作成した要項だ。新憲法の起草者は日本人だったのである。ちなみに新憲法への苛立ちを白洲は日記に記している。彼の再評価も、安倍政権と連動しているに相違ない。

 1970年、大阪万博協会会長で財界総理と称された石坂泰三は「公害なんて大きな問題ではない」と発言し、見識を疑われた。公害の被害が拡大し、森永ヒ素ミルク事件も起きていた。その都度、御用学者が登場して隠蔽する構図は原発事故でも変わらなかった。足尾鉱毒事件から、棄民の伝統は連綿と守られている。

 本書はメディア関係者、社会を直視しようと考えている人にとって必携といえる。広瀬の結論には納得出来なくても、収録された史料群――入手可能なデータと統計、権力構造を裏付ける系図、日記や公文書の数々――は、物事を考えるベースになり得るからだ。

 オプティミズムに根差す唯物史観なら、<機は熟した。マグマは噴出しつつある。さあ、革命だ>となるが、そうはならない。広瀬は本書で病巣を抉り出し、敵の姿はくっきり浮かんできた。どう立ち向かうかが、今後のテーマだ。

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