酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

熱に浮かされながら「彼岸先生」を読む

2013-02-10 11:40:57 | 読書
 冷蔵庫に閉じ込められたみたいだ。真冬に強い自称〝薄着日本一〟だが、今年は珍しく風邪をひいてしまう。私的なイベントが重なり、加齢臭が気になる俺は、風呂に入る回数が増えてしまった。俗にいう湯冷めで、湿っぽい俺の髪は乾ききらないと風邪の原因になる。用事を作らず、入浴を出来るだけ減らすことが、俺にとって効果的な風邪予防である。

 風邪をひくと気力が萎え、録画番組を眺めることになる。WWEの「ロイヤルランブル」には愕然とした。昨年の「レッスルマニア」に続き、ロックのいいとこ取りである。CMパンクが、かつては名選手だったとはいえ、俳優に負けるなんてストーリーラインは、プロレスの冒瀆ではないか。

 救いはアルベルト・デルリオの世界王座防衛だ。日本マットに敬意を払うデルリオは、猪木の影響なのかタオルを首に掛けて登場する。表現力は完璧で、最近ベビーターンしたとはいえ、佇まいは60年代の外国人ヒールに近い。大柄ながら父ドスカラスと伯父マスカラスからルチャのDNAを受け継ぎ、五輪レスリング代表を経て総合格闘技でキャリアを積んだ。デルリオこそプロレス史上、最も引き出しの多いレスラーだと思う。

 熱に浮かされながら「彼岸先生」(島田雅彦、新潮文庫)を読んだが、ピンボケの写真が数枚、脳裏に貼りついている感じだ。当ブログでは「悪貨」、「無限カノン三部作」、「退廃姉妹」、「カオスの娘」と島田作品を紹介してきたが、92年発表の「彼岸先生」は最も早い時期に書かれ、賞レースで不遇だった島田が泉鏡花賞を受賞している。

 本作に興味を持ったのは、「こころ」(夏目漱石)を下敷きにしていると知ったからである。高校生の頃、「こころ」に強い感銘を受けたが、漱石全作品読破の一環で再読した時、心に響くものが何もなかったのは別稿(08年8月21日)に記した通りである。「10代の頃の繊細さと鋭敏さを失くしてしまったのか」と俺は自分に問うたが、答えは否だ。「草枕」、「虞美人草」、「三四郎」には、最初に読んだ時を超える感動に浸れたからである。

 「それから」の代助は社会主義にシンパシーを抱き、衝動のまま愛する人を友人から奪う。作品には生々しい感情の迸りが溢れていた。その5年後、漱石が「こころ」を書いたきっかけは、明治天皇の死と乃木大将の殉死だった。大西巨人風にいえば<俗情との結託>に堕していたと、俺は落差を分析していた。俺が研究者で、このような趣旨の論文を発表したら、袋叩きに遭って学会から追放されたかもしれない。

 「こころ」から約80年後に発表された「彼岸先生」も、先生と主人公(ぼく、菊人)の交遊を描いている。パロディーとも評されるだけあり、構成も似ている。「こころ」の遺書は、「彼岸先生」では日記に相当する。彼岸先生はさほど有名ではない中年の作家、ぼくは外大でロシア語を学ぶ19歳の学生という設定で、ともに島田本人の分身といえるだろう。彼岸を辞書で引くと「生死を超越した理想の境地、悟りの境地」とある。ぼくの目に、彼岸先生は何ものにも囚われずに生きている遊民と映る。

 「こころ」の先生は彼岸先生と対照的に縛られていた。封建的な価値観、自由恋愛は御法度という空気、そして罪の意識とくれば、自ら命を絶つのも無理はない。ちなみに、則天去私の高みに達したとされる漱石だが、家人らの証言によると噂の類が大好きで、井戸端会議に耳をそばだてていたという。俗物性も持ち合わせていたのだろう。

 彼岸先生は色事師で、ぼくの姉とも関係を持つ。師たる者、弟子の姉妹にちょっかいを出すなんてタブーのはずだが、先生もぼくも気にしない。「こころ」で二人の死者を出した三角関係も奨励され、ぼくが先生の愛人のひとりである響子と関係を持っても波風は立たない。ちなみに、先生の奥さんをめぐる三角関係も描かれているが、「こころ」ほど深刻ではない。彼岸先生は恋愛に身を焦がすというより、女の海で抜き手を切っている。先生の仲間といえば、此岸でこそ輝く俗物連中だ。

 人生を享受しているかのような先生に異変が起きる。自殺を試み、精神病院に収容されるのだ。先生と自殺というミスマッチの謎を解くべく、ぼくは女性遍歴が綴られた先生の日記を読む。俺もぼくの身になり、死を選んだ理由を探ろうとしたが、熱でぼんやりした頭に核は浮かんでこない。職業的嘘つき、反面教師を自任する先生の真情も掴めぬまま、自殺が狂言であったことが明らかになる。自由奔放なはずの先生を縛っていたのはフィクションと嘘だったのだろう。先生は筆をおき、奥さんとささやかな余生にこもる。そこは果たして先生にとっての彼岸だったのか……。別の彼岸に渡った響子が先生に宛てた手紙がラストで示される。先生と、最も忠実な弟子であるぼくと響子のその後が鮮やかに描かれていた。

 読み終えた頃、ようやく熱が下がったが、作品は夢で読んだようにオブスキュアのままだった。読み解いてくれたのが、巻末の蓮實重彦氏の解説である。優れた評者はここまで掘り下げられるのかと感心した。ピンポイントで「彼岸先生」の本質に迫りたいなら、解説込みの文庫本がお薦めだ。
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