酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

虹の彼方に見えるもの~辺見庸講演会に参加して

2006-12-08 14:57:19 | 社会、政治
 昨日(7日)、辺見庸氏の講演会「個体と状況について~改憲と安倍政権」(明治大学アカデミーコモン・ホール)に参加した。開場30分前には100人近い列ができる盛況ぶりで、バッハが流れる中、辺見氏が麻痺した右半身を引きずるように登場すると、大きな拍手が湧き起こった。

 脳出血後のリハビリに励みつつ、抗がん剤も服用されている辺見氏は、副題の「○○の固有名詞」(我々の飼い犬と揶揄されていた)を口にすると体調が悪化すると話し、笑いを誘っていた。辺見氏は以下に留意し、闘病生活を送っているという。第1は<今が最終到達点と考え、今という永遠に生きる>、第2は<自分の内面の声に耳を澄まし、承認できないことは拒む>、第3は<単独者として生きる>……。この3点は今回の講演の基調になっていた。

 第1章は<言葉と記憶の死>である。ここ数年、自衛隊出兵、共謀罪、教育基本法と憲法の改悪と状況は悪化しているが、根底にあるのは<言葉>と<記憶>の崩壊と説いていた。ベンヤミンが理想とした<言葉と行為の間の魔法の火花>は日本では生じえず、<手段となった言葉=資本に飼われた言葉>が社会の各層、とりわけメディアに蔓延しているとし、朝日新聞の「ジャーナリスト宣言」を例に挙げていた。

 <内奥の沈黙の核に向けて発せられるとき、真の言葉の働きが生じる>……。この表現に見合う言葉は、日本に存在するだろうか。辺見氏は自身の著作を安メッキと自嘲し、確定死刑囚の大道寺将司氏の新作句集(近日刊行)に含まれる5首の俳句を紹介された。大道寺氏は1974年8月30日、三菱重工ビル爆破事件を起こした「狼」のメンバーである。句集の序文を担当した辺見氏は「現在最高の表現者であり、言葉本来の神的響きを提示している」と大道寺氏を評していた。

 「狼」は「虹」という作戦名で天皇のお召し列車爆破を準備していた。後日、計画を知った辺見氏は、「実行したのは彼ら、望んでいたのは我々」というボードリアールの言葉を引用し、「あの日(8月14日)は不可視の昭和史の結節点であり、あの虹が懸かっていたら、私の内面の景色は変わっていただろう」と述懐する。ラディカルな辺見氏の言葉は、穿孔機のように天皇制を掘り下げるとともに、<記憶の崩壊>を照射していく。

 「軍部対天皇」「軍部対民衆」というフィクションを設定し、大元帥閣下(昭和天皇)の責任を曖昧にしたことが<主体性の喪失>を導いたとする主張は、立ち位置は異なるものの三島由紀夫と共通している。「広島の長崎の原爆投下は戦争だから仕方なかった」という戦後30年目の昭和天皇の発言は<記憶の闇>に葬られた。虹は懸からず、大元帥閣下を乗せた列車は荒川鉄橋を走り去ったが、<昭和の過誤>を大道寺氏の死とともに忘却させることは許さないと、辺見氏は語気強く<タブー=内なる天皇制>に挑まれた。

 講演の第2章は<恥辱>である。別稿(8月26、29日)で記したギュンター・グラスの告白(SS所属の過去)を、“schande”(シャンデ)と“scham”(シャーム)をキーワードに取り上げていた。ドイツ語で「恥」を表す言葉は二つあるが、前者は<岩のように重く闇のように深い恥辱>で、後者は<一般的な羞恥>という。グラスは当然、自らの過去を“schande”と位置づけている。辺見氏は「ドイツの良心の番人」と称されるグラスが自らの“schande”を告白したことを、「完全な単独者」となった証左と評価している。

 辺見氏のナイフは反転し、日本の現実を抉り出す。高名な作家が戦時中、特高警察や特務機関の一員であったことを告白しても、この国ではニュースにならない。なぜなら戦時中、文壇、メディア、教育界はこぞって戦争に協力し、戦後はヒラリと左に身を翻して民主主義を説いたからだ。現在のドイツの国是は「反ナチス」だが、権力機構が戦前と変わらぬ日本の国是は「ファシズム」だと語る。

 護憲派の文化人が勲位や褒章を受ける現状に、日本には“schande”は失われたと嘆き、潔癖さを貫いた数少ない作家に石川淳、椎名麟三、安部公房を挙げていた。興味深かったのは、友人である石牟礼道子さんのエピソードだ。水俣病を告発した「苦海浄土」で知られる作家・詩人で、反体制側とみられている石牟礼さんにさえ、皇后に近い筋から受勲の打診があったという。石牟礼さんは「私は(皇室に)何の恨みもないが、そういうわけにはいかない」と固辞したという。

 <一人の個人が意志的個人に止揚していくとき、その単独者に向き合うのが敵>……。辺見氏は詩人の石原吉郎の言葉を引用し、組織に属していても、自分の信じるものに対しては個として身を賭す<永遠の単独者>こそ、民主革命さえ起こしていない日本の<革命>の担い手になると説かれた。

 辺見氏は最後に、ロールプレーイングゲームを提示する。
 時=1943年。場所=山西省の病院。状況=健康な中国人の青年がベッドにくくりつけられて、大腸を摘出されようとしている。あなた=青年を取り囲む日本人医師の一人。設定=青年はもがき、逃げ出そうとする……。あなたはどのような行動を取るだろうか。辺見氏はこのゲームを繰り返したが、<医師たちが取った行動=青年を取り押さえベッドに戻す>を逸脱することができなかったという。自らの<見えない罪>を告白し、<単独者>になることを再度聴衆に提案された。

 結びで「集まった学生の皆さん」と切り出した辺見氏は、会場を見渡して間を置かれた。大学構内で行われたにもかかわらず、前の方の席には20代の若者は少数で、平均年齢は50歳を超えていた。若者たちこそ、辺見氏の鋭く豊穣な言葉を受け止め、<革命>の主体になるべき存在なのだが、現実は悲しい。辺見氏の見た<幻想の虹>は、この国の空に懸かることはないのだろうか。

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8 コメント

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ありがとございます (のん)
2006-12-08 21:06:04
素晴らしいレポートを読まさせていただき、感謝しています。
ありがとうございます。
感動しています。
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コメント、どうも (酔生夢死浪人)
2006-12-08 21:50:14
 ありがとうございます。文中にも書きましたが、辺見さんと同世代で「同志的」な参加者が多かった。会場が若い人で溢れ返るような状況になればいいのですが……。
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Unknown (hana)
2006-12-09 00:51:08
親の世代が腐っているから、今の20代にあまり期待するのは無理でしょう。親の腐敗は下の世代に進むにつれひどくなり、こうして日本は滅びていくのです。
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厭世的すぎても (酔生夢死浪人)
2006-12-09 01:10:26
 確かに日本社会は危機的状況だと思います。でも、いつか何かをきっかけに、日本を再生させるような動きが起きることを期待しています。
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普通人にもできる? (kmk)
2006-12-09 17:29:18
私もお話聞きました。
言葉が行為と一体化している例として辺見さんが挙げたのは、大道寺さんだけでなく、一般の人でしたよね。
脳出血で不随になって、痴呆老人(失礼だったらごめんなさい)と同様な状態だった時に入浴介護してくれた若い看護士さん。体中を優しく洗ってくれて「性器は自分で洗いますか」と問うた言葉のあまりの自然さに感動を覚えて恍惚感さえ感じたとおっしゃっていました。
また、永遠の単独者として、自分の言葉に進退を賭すという例として挙げたのは、一人の教師。
日の丸君が代強制反対の意を一人で校長室に行き泣きながら(多分理路整然とでなく)伝えた。
むずかしいことだけれども、平凡な人間にもできることがあると言っていたと思います。
尚、聴衆は最近の(反体制的な)集いにしてはあの程度でも充分若者の比率が高かったと私は感じました。悲しい事ですが。
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起点とは (酔生夢死浪人)
2006-12-09 19:27:44
 どうして日本では「物言えば唇寒し秋の風」の状態なのか。理由は辺見さんが強調されたように、日本の権力構造が変わっていないからでしょう。

 欧米はもちろん、韓国や台湾でも若者が前面に立って活動している。社会にダイナミズムがあり、変化が起きうるから、意思表示が可能なのでしょう。
 
 各自が単独者であることが変革の起点になる……。辺見さんの提案は強く響きましたが、個の苦闘に期待するには限界があるでしょう。政権交代程度でも、閉塞感打破の起点になると思います。保守2党の米国だって、民主党が勝てばあらゆる点で変わるのだから。

 汚い講堂に若者があふれているという、学生時分の様子を想像していましたが、現実はきれいなホールに中高年層がぎっしりでした。この30年に何が起きたのか、そして何が起きなかったのかを考えさせられる講演会でした。 

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辺見庸の地下鉄サリン事件 (morimori)
2006-12-10 02:20:59
 mixiの、のんさんの日記から来ました。よいお話ありがとうございます。

 彼の最近の本にはほんとうに命懸けの迫力を感じますが、いちばん心に残ったのは、地下鉄サリン事件に出くわしたときの話です。

 彼は近くにいる男と協力して何人か地上に運び出していたが、大部分の勤め人は倒れている人間をまたいで出勤していった。
 メディアに異常事態だと決定してもらわないと、自分では何が起きているか分からない。そういう人間たちが、まあ日本の中枢を動かしているわけですね。丸の内だから、いちおう一流企業の社員と官僚さんなんだから、好き嫌いは別にしてそういうことです。

 苦しんでいる人間に無感覚だという倫理的な問題じゃなくて、この危険への鈍感さは、生き物として終わってると思います。
 
 こんな大事件に遭遇しても反応しないんだから、法律の一つや二つ通ってもなんとも思わないのはあたり前でしょう。ほんとに気が重くなります。

 危機意識といえば、蛙を熱湯に入れると熱くて飛び出すんだけれど、水からゆっくり熱していくと飛び出すタイミングを逸して茹で蛙になるという話があります。

 今の日本社会にはショック療法が必要なのかもしれませんが、 サリンを撒いても覚醒しないという状況でのショック療法とはいったい何でしょうか?
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「一億総茹で蛙化」…… (酔生夢死浪人)
2006-12-10 11:30:19
 蛙の話は興味深いですね。日本人は「総茹で蛙化」しているのかもしれません。

 辺見さんの凄いところは、傍観者、報告者であることを否定している点で、山谷での実践も胸を打つものがあります。

 サリン事件時のサラリーマンの行動は、オウム信者並みにショッキングでしたね。あらゆる年齢層が、一つの狭い価値観に縛られ、ロボットのように操られている気がします。複数の理念や価値からいずれかを選び取るという当たり前の道筋は、いつから消えてしまったのでしょうか。
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