酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「COUNT ME IN 魂のリズム」~ビートに心を刻まれた

2024-03-23 22:38:55 | 映画、ドラマ
 養護施設で暮らす母に面会するため1泊2日で京都に帰った。1927年生まれの母は97歳。すっかり萎んでしまったが、担当者たちの手厚い介護で無事に過ごしている。〝放蕩息子〟は母、亡き父と妹によって生き長らえていることをあらためて実感出来た。いつも通り住職である従兄宅に泊まったが、雪交じりの気候に、「こんなに寒い彼岸は記憶にない」と話していた。

 新宿シネマカリテで先日、「COUNT ME IN 魂のリズム」(2021年、マーク・ロー監督)を見た。21人のドラマーたちが語る熱い思いが胸に刻まれる秀逸なドキュメンタリーだ。併せてWOWOWで放映された「セッション」(2014年、デイミアン・チャゼル監督)の感想を簡単に。バディ・リッチを目指してシェイファー音楽院で学ぶニーマンは、学院最高の指導者であるトレッチャー率いるスタジオバンドのドラマーになる。

 〝無能な奴はロックをやれ〟なんて貼り紙があるように、ジャズ界はロックを一段下に見ているのだろう。トレッチャーのしごきに耐えて主奏者になったニーマンだが、不幸な事故もあり、学院から去ることになる。行き過ぎた指導で職を辞したトレッチャーと再会してバンドに呼ばれるが、それは策略だった。ラストで自分を無視してバンドを主導したニーマンを罵倒するトレッチャーだが、不思議な表情を浮かべる。父子の相克と重なる人間ドラマだった。

 なぜ「セッション」を紹介したかといえば、「魂のリズム」と通じる部分があるからだ。作品中で紹介されているドラマーの多くは、上記のバディ・リッチやアート・ブレイキーらに影響を受けている。ジャズのテクニックをロックに導入したのはジンジャー・ベイカーだった。ジャズを学んだリンゴ・スターとチャーリー・ワッツはビートルズとストーンズで地味なメンバーだったが、証言者はバンドを支えていたのは彼らだったと語る。

 2度にわたって紹介されていたのがザ・フーのキース・ムーンだ。天衣無縫なドラミングで絶大な影響を誇ったが、キースは楽曲と歌詞に注意を払い、バンドのアンサンブルを際立たせる役割を担っていたとジム・ケルトナーは分析していた。映画「BLUE GIANT」で玉田がジャズドラム教室に通っている時、才能豊かな少女が「キース・ムーンになりたい」と話していた。ジャンルは違うが、テクニックを超越するキースは憧れのドラマーなのだろう。

 トッパー・ヒードンはキースに憧れてクラッシュのメンバーになったが、「ドラマーが注目を浴びるというのは勘違いだった」と語っていた。フロントマンのジョー・ストラマーは「ヒードンはバンドの生命線だった。ドラマーが良くないグループは失敗してシーンから消える」と証言している。ドラマーの価値を再認識させられる言葉だった。

 多くのドラマーが憧れたツェッペリンのジョン・ボーナム(ボンゾ)はパワーとテクニックを兼ね備えていたが、ボンゾについては逸話がある。1972年の2度目の来日時、級友たち数人は大阪フェスティバルホール、京都会館でのライブに足を運んだ。大阪でのライブは最高だったが、翌日の京都は時間も短く出来も最悪だった。ボンゾは京都のホテルで女性従業員を襲い、何とか示談で収めたが、演奏どころではなかったという。あくまでも噂で、真相はわからないが……。

 証言者たちの多くが子供の頃からドラマーを夢見ていたことは、ホームムービーの映像からもわかる。鍋をナイフで叩いているシーンが微笑ましい。英米ではロックが文化として定着していることが窺える。聴く側はポップとかヘビメタとかニューウェーブとかジャンル分けしているが、ラストのセッションでも明らかなように、ドラマーたちが親しく交流している姿も感動的だった。俺など〝ロックファンOB〟だが、音楽を楽しむ意味を教えられた映画だった。
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