CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

湯島聖堂

2007年06月16日 06時32分42秒 | Weblog


写真は湯島聖堂のメインの建物で「大成殿」である。
昭和10年(1935)鉄筋コンクリートで再建された。
昌平坂学問所として朱子学を学ぶために
日本各地から青雲の志をいだいた青年が集い
学問に励んだり青春を謳歌したところだと思います。
幕府は柴野栗山、岡田寒泉、尾藤二洲ら林家の系統以外の
学者を教官に登用した。
栗山について生家のある牟礼町(高松の近く)が栗山記念館を開設

本来は孔子廟。
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孔子像

2007年06月15日 05時43分01秒 | Weblog


5代将軍徳川綱吉は儒学の振興を目的とし
元禄3年(1690)湯島昌平坂に聖堂を創建
しました。
さらに寛政9年(1697)に幕府直轄の学校
として昌平坂学問所が開設されました。

この学問所であった建物の隣に孔子像が
あります。
昭和49年(1974)に中華民国ライオンズクラブ
の会長の命により、中華民国で鋳造され、
昭和50年(1975)寄贈建立されたものである。
世界最大の孔子像だそうです。
学問所の歴史は今でも続いており斯文会として
生涯学習の場として活発に活動されている。

斯文会のHPはこちら
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聖橋

2007年06月14日 05時38分29秒 | Weblog


写真は江戸時代に掘られた運河をまたぎ
JR御茶ノ水駅の東詰めにある聖橋です。

場所はこちらの地図を参照ください

聖橋の設計者は、山田守(1894-1966)。
放物線を上手く取り入れた設計で岩国の
錦帯橋も連想される。
山田守は聖橋の他に「武道館」「京都タワー」
の設計でも有名である。
また完成した時期は昭和2年(1927)である。

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ニコライ堂

2007年06月13日 06時04分42秒 | Weblog


JR御茶ノ水駅からすぐのところにニコライ堂が
あります。
正式名称は「日本ハリストス正教会教団復活大聖堂」

住所:東京都千代田区神田駿河台4-1-3
地図はこちら

建物の完成は明治24年(1891)2月
ニコライ神父( Ioan Dimitrovich Kasatkin 1836-1912)
の名に由来し命名されているそうです。

すばらしい建築物だと思います。
ドームと鐘楼の部分は関東大震災でもなんとか残り
創建当時のかたちを残しているそうです。
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東郷元帥記念公園

2007年06月12日 06時02分35秒 | Weblog


写真は東郷公園にあるライオン像である。
東郷公園は千代田区三番町にあり
日露戦争日本海海戦で連合艦隊を率いた
東郷平八郎が明治14年(1881)より昭和9年(1934)
までの53年間をこの地で過ごしました。
彼の事跡を記念して東郷元帥記念公園となった。
三番町には永井荷風、国木田独歩、与謝野鉄幹
などが住んでいました。

さて東郷元帥について略歴などを記します。
東郷平八郎は弘化4年(1847年)12月22日に
鹿児島の薩摩藩士の四男として生まれました。
薩英・戊辰戦争に参加後、イギリスに留学し、
日清戦争では戦艦「浪速」の艦長として出征。
日露戦争では連合艦隊司令長官として
ロシアのバルチック艦隊と戦い完勝した。
日露戦後は海軍軍令部長となり元帥となり、
大正期は東宮御学問所総裁となった。
昭和8年暮れに病床につき、
昭和9年(1934年)5月30日に没しました。
墓は多摩墓地にあります。
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時の鐘

2007年06月11日 05時27分54秒 | Weblog


台東区教育委員会の説明書きより簡略引用

時の鐘(浅草寺)
住所:台東区浅草2丁目3番

江戸時代、人々に時刻を知らせる役割を
果たしていたのが時の鐘である。

当初、江戸城内にあったが江戸市街地の拡大
に伴い日本橋本石町、浅草寺、寛永寺など9箇所
で時を知らせた。
元禄5年(1692)8月5代将軍綱吉の命で深川在の
太田近江藤原正次が改鋳造した。

松尾芭蕉の俳句「花の雲 鐘は上野か 浅草か」
はあまりにも有名である。
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浅間神社

2007年06月10日 05時38分35秒 | Weblog


台東区教育委員会看板より簡略引用

浅間神社は富士山信仰に基き勧請された神社で、神体として
「木花咲耶姫命坐像(このはなさくやひめのみことざぞう)」
を安置する。創建年代は不詳であるが
浅草寺誌所収「寛文11年江戸絵図」に表記されており
江戸初期の寛文11年(1671)までには鎮座していたようだ。
江戸時代は、富士講信者の崇拝を集めた。
本殿は土蔵造りで、明治11年の造営です。
平成9・10年の改修工事で外観のみ新たに漆喰塗がほどこされた。
この改修工事に伴い調査が実施され江戸時代以来の神殿、祭祀用具
古文書などが確認された。
江戸初期以前に勧請された浅間神社の景観をよく伝えており、
平成11年(1999)台東区有形民俗文化財に指定されました。
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三社まつり

2007年06月09日 11時17分32秒 | Weblog


江戸の三大まつりのひとつ三社まつり
2007年も5月20日に宮出しが行われた。
写真は二之宮(西部を巡回)
見学は最初で最後となりそうであるが
とにかく熱気が凄い。
5月20日は宮出しが6:00からあり
宮入は20:00の予定であったが
宮入は見学出来なかった。


三社祭の公式サイト
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浅草寺 六角堂

2007年06月08日 05時53分40秒 | Weblog


浅草寺最古の建造物で、元和4年(1618)の建立。

日限を定めて祈願すれば必ず霊験があるという
「日限地蔵尊」を安置されています。
現在地へ移されるまでは、現在の影向堂辺りに
位置していたが1994年に移設。

場所は影向堂の左隣
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並木五瓶句碑

2007年06月07日 05時53分32秒 | Weblog


写真は浅草寺・浅草神社の敷地内にある
並木五瓶句碑である。
(The poem monument of Namiki Gohei)

以下は台東区教育委員会の説明文より簡略引用

正面には「月花のたわみころや雪の竹」
右手側面には「なにはづの五瓶、東武に狂言を
出して、あまねく貴賎の眼目を驚かし、金竜の
山中に雪月花の碑を築て、永く繁栄を仰ぐ、
つづくらん百三十里雪の人晋子堂大虎」と
刻まれている。

寛政8年(1796)に建立。

並木五瓶は歌舞伎狂言作者として活躍。
桜田治助とともに江戸の二大作者と言われた。
延享7年(1747)大阪生まれ。
文化5年(1808)死去。
作品には「隅田春奴七容性」「富岡恋山開」
「金門五山桐」「幡随院長兵衛」がある。

四代市川田蔵、四代松本幸四郎らにより演じられた。


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