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周東町通化寺(つうけいじ)その2

2004年11月09日 06時23分09秒 | 岩国情報
昨日雪舟の石庭の紹介に続き本日は幕末の史跡遊撃軍陣営遺跡を
紹介します。
遊撃軍は、文久3年(1863)10月、蛤御門の戦で壮烈な戦死をした
来嶋又兵衛が藩命により三田尻で組織、狙撃隊など十三の諸隊に、
のち周東町ゆかりの維新団も編入され、高杉新作の奇兵隊と同様
明治維新成就の原動力として活躍した。

周東町へは、慶応元年(1865)3月対幕府戦に備えて須々万村から移駐、
6月に本陣が出来た。通化寺に陣営を置き明治3年3月の解散時まで駐屯。
この間、四境の役、鳥羽伏見の戦、奥州討幕の役等に参加。

明治元年の明治天皇東京行幸の際はその供養を命じられています。
通化寺に来たときの兵員は250人、総督は高杉晋作でしたが、
幕府は間もなく、兵員330人に増員、毛利幾之進を総督、
石川小五郎を副総督に任じています。
四境の役では、遊撃軍は芸州方面防御の主力となり、慶応2年(1866)
6月小瀬川に出陣、小方・玖波・大野の幕軍を撃破、二十日市に迫らんと
したとき休戦となり、翌3年(1867)2月に凱旋この役の勝利こそ、
まさに近代日本の幕明けを象徴するものでした

遊撃軍遺品展示室あたりが本陣のあったたところで、展示室には
來嶋又兵衛の絵像や陣笠、砲車、軍服、維新団士の肩章などが
展示されている。
本殿(写真)は昭和39年大西ヨシエさんが私財を投じて建て替えた
もので非常に立派なものである。
檀家は24軒と非常に少ない。

通化寺前の看板の文を引用
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