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2月6日放送の鎌倉殿の13人の第5話「兄との約束」(石橋山の戦い)

2022年02月11日 04時35分08秒 | Weblog

俳優の小栗旬が鎌倉幕府第2代執権・北条義時を演じるNHK大河ドラマ

「鎌倉殿の13人」の第5話「兄との約束」が2月6日に放送されました。

以仁王の令旨と頼朝挙兵

治承4年(1180)8月17日、三嶋明神の祭礼の日、以仁王からの令旨(皇族の命令書:

平家討伐)を手にしていた源頼朝、北条時政・義時らは平家方の山木兼隆(伊豆国の

目代で平時忠に仕えていたことがある人物)の館と堤信遠の館を襲い勝利します。

北条義時(当時17歳)にとっては初陣であった。

戦いの主戦者は父の北条時政(坂東彌十郎)と義時の兄の北条宗時(片岡愛之助)。

 

上の写真は1980年8月17日の山木館襲撃の攻略図

出典:歴史人 2022年2月号(NO.134) Page25

頼朝は、北条義時(小栗旬)の知恵も借り、坂東での政の第一歩として土地の

分配を始める。「政の始まりは、土地の配分じゃ。敵の所領を召し上げ、わしが、

それを分け与える」だが、これを知った平家方が激怒。相模では、奉行を務める

大庭景親(國村隼)が梶原景時(中村獅童)ら3,000の兵を率いて出陣。

伊豆でも、頼朝討伐に燃える伊東祐親(浅野和之)が動き出す。

これに対する頼朝軍には、山木兼隆、堤信遠との戦いに勝利したことを知った工藤茂光、

その子親光、土肥次郎実平とその子遠平などが参陣して300余騎で鎌倉を目指し、

石橋山に布陣する。

北条館を出立したのは8月20日であった。北条義時(小栗旬)は別行動で北条政子

(小池栄子)、北条時政(坂東彌十郎)の後妻りく(宮沢りえ)、義時の妹

実衣(みい)別名:阿波局(宮澤エマ)を伊豆山権現に送り届ける役目であった。

その後、石橋山へ参陣します。

源氏方は三浦義澄(佐藤B作)、三浦義村(山本耕史)の1,000の援軍が頼みの綱だが

酒匂川の増水で進軍できない状態であった。結局、8月23日に石橋山に進撃した

大場景親らに行く手を阻まれ、激戦の末、大敗し敗走を余儀なくされる。

北条宗時(片岡愛之助)は頼朝のわがままを聞き、北条館に残した本尊の観音像を

取りに戻るが、その途中、河原で伊東祐親(浅野和之)の下人の善児(梶原善)に

背後から襲われ命を落とした。

上の写真は上述の山木館襲撃と石橋山の戦いの位置を示した

出典:歴史人 2022年2月号(NO.134) Page24

上の写真は源頼朝(大泉洋)が石橋山で挙兵後の転戦と勢力図

出典:歴史人 2022年2月号(NO.134) Page26

 

石橋山古戦場跡

上の写真は源頼朝挙兵之地「石橋山古戦場」と書かれた石碑。付近は一面みかん畑。

出典:Googleストリートビュー

 

 

佐奈田霊社

頼朝に生き残ってもらうため石橋山で討死した佐奈田与一義忠を祀る佐奈田霊社

について簡単に紹介します。鎌倉殿の13人の紀行でも紹介されていました。

住所:小田原市石橋420 アクセス:東海道本線早川駅より1.8Km(徒歩約25分)、

小田原駅より路線バス「石橋」下車

佐奈田霊社は1180年(治承4年)8月23日、石橋山の戦いで討死した頼朝方の先鋒の

佐奈田与一義忠を祀っている。与一は持病の痰のため、味方からの呼びかけに対し

声が出せず、そうこうしているうちに敵に討たれてしまったという言い伝えから、

咳・声・のどに霊験があるとされ、芸能関係者も数多く参詣する。例祭は毎月23日。

与一の命日である8月23日には大祭が行われる。 与一が敵方の俣野景久(大庭景親の弟)

を組み伏せた畑は「ねじり畑」として残り、作物が全てねじれてしまうという

言い伝えがある。この南方の丘の上には、与一の討死後8人を討ち取り散った家臣

(与一の爺や)文三家康を祀る「文三堂」が建てられている。

Googlenoストリートビューより何枚か写真を紹介します。(下の4枚の写真)



ねじり畑

まず、これまでに記載してきた石橋山古戦場跡、佐奈田霊社、ねじり畑、与一塚

文三堂などの位置が示されたGoogle地図を添付します。(下の2枚の写真)

上の写真はねじり畑に建つ現地説明板。

佐奈田与一義忠は1180年(治承4年)8月23日、敵の俣野景久(大庭景親の弟)を

組み伏せたが、駆け付けた敵方の長尾新六に首を切られ、この地で討死しました。

上の写真は現地の案内板。ARで石橋山の古戦場の様子を見れるようです。

この付近は昔、神奈川県秦野市や開成町、川崎市に長く住んでいたので土地勘があります。

鎌倉殿の13人の第6回(2月13日放送予定)では頼朝が身を隠していた真鶴町の洞窟

から船で安房(千葉県房総半島)へ脱出する場面が出てくると思われます。

 

源平の争乱(源平合戦)(1180年~1185年)

打倒平家を掲げ治承元年5月(1180)源頼政は以仁王(もちひとおう)を奉じて挙兵

しますが宇治川の戦いで敗死。以降、源平合戦が繰り広げられ元暦2年(1185)3月

壇ノ浦で平家が滅亡するまで争乱が続きます。経過は上の図のとおり。

出典:小和田哲男監修 すぐわかる日本の歴史(2004)Page45

 

視聴率

初回は17.3%、第2回は14.7%、第3回は16.2%、第4回は15.4% 第5回は13.4%

コメント
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