CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

神戸 さんちか夢広場の 「神戸リリィ」展示 on 2017-7-12

2017年07月14日 04時20分19秒 | 神戸情報
2017年7月12日、さんちか夢広場で「神戸リリィ」が展示されていました。
写真紹介します。

北区淡河町ではこの時期「淡河の新鉄砲ゆり」(別名は神戸リリィ)の出荷を迎えています。

淡河町では鉄砲ユリの他に、チューリップ、グラジオラス、蓮や菊を生産出荷しています。


上の写真はさんちか夢広場での「神戸リリィ」展示

関連ブログ:
  神戸花物語 2011春 in ハーバーランド Duoドーム on 2011-3-4
    淡河の花をPRするイベント

神戸市北区淡河町は昔は播磨国美濃郡に属し史跡や伝統行事が多く残されています
以下ほんの一部ですが筆者が訪問した足跡を紹介します。


  神戸市北区淡河町 歳田神社に残されていた豊臣秀吉の制札
   湯の山街道の宿場町でもあった淡河町には当然、札場がありました。

  淡河城跡 訪問記 on 2013-4-14
   淡河氏代々の居城でしたが天正6~8年(1578~1580)羽柴秀吉による三木城(別所氏)
   攻めの後は有馬氏 一万五千石の居城として慶長6年(1601)まで淡河と共に栄えてきました。

  萩原城跡 on 2013-6-11
   萩原城は淡河城城主の淡河氏が淡河城の支城として鎌倉末期に築いたとされています。
   淡河氏の後、有馬氏(有馬重則)の居城となりました。
   天文23年(1554)三好長慶が三木城攻めをした際に、三好側に加わった有馬重則に
   攻められ萩原城は落城し、淡河氏は淡河城に移ったことが有馬氏の居城となった
   原因であろうと推定されています。

  神戸市北区淡河町 南僧尾厳島神社
    農村歌舞伎が盛んな地域です

   湯乃山街道 淡河宿 on 2013-4-14
    淡河宿は天正7年(1579)5月26日 淡河弾正忠定範が淡河城を出て滅んだ後、
   豊臣秀吉によって整備された。この時に秀吉の命を受け、宿場町建設に活躍したのは
   村上喜兵衛であった。この功績により、村上家は代々淡河の大庄屋を勤めるようになった。

   村上家の本陣跡は現在整備され地域交流拠点として利用されています。
     神戸新聞での紹介記事:https://www.kobe-np.co.jp/news/kobe/201705/0010233531.shtml

     神戸市の紹介記事:http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2017/05/20170517143001.html

  神戸市北区 淡河(おうご)八幡神社訪問記 on 2013-4-14
   2月11日に行われる御弓神事が有名

  石峯寺 on 2008-5-22
   神戸13仏に列せられている立派な寺院です。

  神戸市北区淡河町 歳田神社の御田祭 on 2013-5-3
    農村の伝統行事が継承されています

  淡河弾正忠定範戦死之碑 in 三木市八幡森史蹟公園 on 2013-4-8
   淡河城の城主の 淡河弾正忠定範は三木合戦で戦死しました

  満月堂の豊助饅頭
  
コメント
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