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弥生時代の巨大環濠集落 池上曽根遺跡 on 2017-3-28

2017年04月03日 06時00分05秒 | 大阪情報
2017年3月28日、大阪府立弥生文化博物館で講演会があり出かけていました。

その時に見学した弥生時代の巨大環濠集落「池上曽根遺跡」について写真紹介します。
池上曽根遺跡は大阪府和泉市池上町と泉大津市曽根町とにまたがる弥生時代の全期と
中世までにまたがる複合遺跡です。

池上曽根遺跡の基本情報
住所:和泉市池上213-1(池上曽根史跡公園) 
TEL:0715-45-5544(池上曽根弥生情報館)
国史跡指定:1976年4月26日(1978年11月15日、1993年2月5日追加指定)
国史跡指定面積 115,000㎡
池上曽根史跡公園面積:35,000㎡(第1期整備範囲)
復元建物(平成13年(2001)にオープン):
 大型掘立柱建物、大型くり抜き井戸、竪穴住居、小型掘立柱建物、
 遺構復元(環濠、竪穴住居、祭祀遺構ほか)


Goo地図はこちら
 






上の3枚の写真は2001年に復元された大型掘立柱建物と大型くり抜き井戸とその説明版

大型建物は東西19.2m、南北6.9m、面積133㎡(約80畳)26本の掘立柱で
支えられそのうち16本の柱が残存していたとのこと。
柱の材種はケヤキが3本 その他はヒノキ

柱の年輪年代法で伐採された時期は紀元前52年と鑑定。

1995年、96年度の発掘調査で上記の大型掘立柱建物が一度きりの建物ではなく
弥生時代中期後半という短い期間「にほぼ同位置で3~4回建て替えが行われており
大型掘立柱建物D→同A→同B→同C→同1(Cと1は同時存在の可能性あり)の順で構築。
2001年の建物再現は大形建物1をモデルとしている。

上の写真は大形掘立柱建物と大形井戸の重複関係


上の写真は1995年に発掘調査(94-1区)された時の様子です。










上の4枚の写真は復元された大型くり抜き井戸とその説明版及び発掘調査時の様子







上の3枚の写真は池上曽根史跡公園と池上曽根遺跡全体を示した説明図


上の写真は2001年に復元の竪穴式住居
池上曽根遺跡全体では250戸の竪穴式住居が見つかったことから約1,000人の人が
住んでいたと推定されています。発見された水田などから推定して何人が食っていけるかで
推定した村の人口は約600人。

どの時点かはハッキリしないが池上曽根遺跡の村は他の村から攻撃を受け滅亡した模様

発掘の経緯 By Wikipedia
1903年(明治36年):池上町在住、南繁則が自宅の土塀(遺跡の土を用いて築造)から石鏃を発見。
1921年(大正10年):池上町在住、南繁則が長首壺を発掘。
1949年(昭和24年):和泉市池上ポンプ場東方から畿内第II様式の壺形土器が多量確認され、
           大規模遺跡として知られるようになった。
1954年(昭和29年):大阪府立泉大津高校地歴部が土器を採集。
1958年(昭和33年):市営住宅の建設に伴い、和泉市教育委員会が発掘調査。
              紀元前2世紀頃の土器・炭化米などが出土。
1961年(昭和36年):府営水道敷工事に伴い、泉大津高校地歴部が発掘調査。
          多くの溝、竪穴式住居跡、土壙などを検出。弥生時代中期を中心とした
     土器などが多量に出土した。遺跡の南北約400メートルにおよぶ広がりが把握された。
1967年(昭和42年):国道26号建設に伴い、大阪府教育委員会が範囲確定調査を行う。
1969年(昭和44年):国道26号建設に伴い、大阪府教育委員会が発掘調査を開始
                       (〜1971年(昭和46年))
1971年(昭和46年):府道松之浜曽根線内範囲確定調査を行う。
1974年(昭和49年):府道松之浜曽根線内第一次発掘調査開始。
1978年(昭和53年):国道26号建設に伴い、大阪府教育委員会が発掘調査を開始(〜1979年(昭和54年))。
1987年(昭和62年):府道松之浜曽根線内第二次発掘調査開始。
1990年(平成2年):史跡池上曽根遺跡整備委員会による発掘調査。
1993年(平成5年):集落を取り囲む大溝を検出。南北約300メートル、東西約400メートルの大環濠と推定された。
          この溝の中から多量の土器・石器や獣骨の他に農工具を中心とした木製品出土。
          その中には鳥形木製品、男性器形木製品など含まれていた。
          方形周溝墓(弥生時代前期)、厚さ30センチメートル以上堆積した土器片、
1995年(平成7年):大型高床式建物・丸太くり抜き井戸検出。




上の写真は漆や土器の製造をしたと考えられる工房跡(掘立柱建物)


上の写真は土器の製造をしたと考えられる工房跡(掘立柱建物)


上の写真は工房施設の関連説明板




上の2枚の写真は土屋根を持つ竪穴倉庫 イワシ醤油が生産・貯蔵されていたか?




上の2枚の写真は環濠の再現







上の3枚の写真は再度、池上曽根遺跡の全体説明図と遠景
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