毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「お母さんになった教え子からメールが」No.2135

2017-12-14 20:45:49 | 中国事情

江西財経大学時代の教え子からメールが来ました。

可愛いベビーシッターだなあと思ったら、

お母さんになった劉思婷さんでした。

6年ほど前、私を江西省の自分の故郷の村に連れて行ってくれ、

4年前はお礼に大阪に招待した懐かしい教え子です。

「教え子がやって来た!」 2013年7月29日(月)No.719

「小娘からおばさんになり」

と書いてありますが、

写真は歳の開いたお姉さんと妹みたいな感じです。

「子どもを得て、もう一度人生を生き始めている感じ」、

さすが、劉思婷さん。

私は彼女の感性が大好きでした。

大きくなった娘を連れて、また日本に遊びに来て欲しいものです。

年々、中国と日本の距離は短くなっているような気になっているのは

私だけではないでしょう。

劉思婷さんの時代は、ぽつりぽつりとしか来日する子がいなかったのですが、

今はもう、関西は中国人の教え子でいっぱいです(笑)。

先生
ご無沙汰しております。
ご元気でしょうか。
先生のブログを見て、荷澤は寒くなりましたね。
ここ広州は暖かくて、昼は半袖を着ています。
 
 
夕べ先生のブログを見て寝たあと、
娘を連れて、先生を訪れる夢を見ました。
先生はすごく元気でいて、7年前と一緒です。
時間の経つのは本当に早いです。
7年間で、大学卒業、大学院卒業、就職、結婚、妊娠、出産
半分の人生を終え、
小娘からおばさんになり、
成長したか、しないかのようです。
 
8月から産休に入り、9月28日娘が生まれ、
今は彼女と一緒に成長しています。
子供のころの記憶がなくて、
自分がどうやって大きくなったのか、
ずっと前から知りたかったです。
娘ができて、自分の人生ももう一回できるような感じです。
(ああ、子供って本当に繊細ですね)と
おむつ交換の時よくそう思います。
大人が面倒を見ないと、生きていけないです。
でも最近よく児童虐待事件が報告され、
心が痛くて、その子がもしこれからこういうことにあったら
自分は何ができるのか、思わず考えます。
 
先生の荷澤での生活は面白そうですね。
暖房があって、冬は南昌より暮らしやすいでしょう。
これからもご元気で。
ではまた。
(日本語を忘れかけています
 
劉してい
 
↓約6年前、故郷の村を案内してくれた
大学4年当時の劉思婷さん(右)と思婷さんのお母さん(左)。

 

 

 ↓ 劉思婷さんの村を訪問した時の拙ブログ記事 ↓ 

「江西省の農村を訪ねる①」      2012年1月13日(金) No.260

「江西省の農村②」      2012年1月13日(金) No.261

「中国の農村訪問③~思ていさんとお母さんの喧嘩~」  2012年1月26日(木)No.268

「中国の農村訪問④~散歩~」   2012年2月6日(月) No.274

 

「中国の農村訪問⑤~散歩の続き~」 2012年2月7日(火) No.275

 

「中国の農村訪問⑤~小学生たち~」  2012年2月8日(水) No.277

「中国農村訪問⑥~村の様子~」    2012年2月11日(土) No.280

「買い物市の日~その1~」   2012年2月12日(日) No.281

「買い物市(いち)~その2~」     2012年2月13日(月) No.282

「さよなら江西省の村」    2012年2月15日(水)  No.284

 

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1 コメント

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教師一番の喜び (こきおばさん)
2017-12-15 06:37:28
教師冥利に尽きますね。
時間のある時に劉さんとの思い出の記事を読ませていただきますね。
ブルーはーとさまが帰国したら、教え子たちが代わる代わる訪問してくるのでしょうねぇ。良いなァ~

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