今日は、山東省菏澤学院キャンパスの秋模様をお伝えしようと思って、
ここ一週間、撮りっぱなしだった写真をブログの画像フォルダにコピーしました。
ですが、英国人記者の次のフレーズが気になって、横道に逸れてしまいました。
「もしかすると日本人は、自分たちの怒りの声を、投票所ではなく、
自殺率で示すことを選んでいるのかもしれない」
From Financial Times (UK) フィナンシャル・タイムズ(英国)
Text by John Plender https://courrier.jp/news/archives/80347/
特に貧しい生活に苦しむ人々は、
「自己責任論」で切り捨てられる風潮の強い日本にあって、
外への変革の行動は取らず、自らの命を絶つ傾向が強いことが
下のグラフで見て取れます。
その中でも、まだ人生これからという
20代~40代の生活保護受給者の自殺率が、
一般の同年代の自殺率をはるかに上回っているのは恐ろしいことです。
・生活保護受給者の自殺率=生保受給者10万人分の生保自殺者数(分数)
・日本全体の自殺率=人口10万人分の自殺者数(分数)
「アベサン、口先でぺらぺら喋るの、もういいから、
生活に困っている人を助けるために国のお金を使ってくださいよ。
あなた個人の友達(しかも友達は既に金持ち)に勝手に使うのやめて。」
私は、そう言いたいです。
本当は選挙で政権を変えて、弱者を保護する政治を実現することを
切に望んでいますが、
肝心の貧乏な庶民の多くは選挙にあんまり行かないので、悪循環ですよね。
新しい回路を作らないと・・・ね。
日本では、個人の生き難さは「自己責任」として、
政府に要求すべきでないという声がいわゆる先進国の内で異常に高いことと
この自殺率及び低投票率はリンクしているのでしょう。
「働かざる者食うべからず」が、今も言われますから。
子育ての最中、我が家は倒産して貧乏していましたが、そのとき子どもたちに「貧乏は決して恥ずかしいことではない。一生懸命働いてした貧乏だから、胸を張っていろ」と言い続けましたが、苦しい毎日でした。
そんな時に助けて頂いた人たちが、本当の友達だと思っています。
自らがその意思で責任を持ってやりとげる、ならば、それは政府ではなく、自分でやるんです。もちろんブルーハートさんは自ら色々活動されていることは理解しています。弱者救済はよいことです。私も毎年程々に寄付してますし。でも、それは他人の財布に手を突っ込んでまですべきことではないはずです。
政府というのは所詮は権力を持って人々からお金を巻き上げる忌むべき存在です。どんなに崇高な理想や優れた指導者がいようとも所詮は盗っ人の延長に過ぎません。そして何よりもその存在自体が市場を歪める。
自由を尊ぶ人間ならば、政府に依存せずに、何かことをなすのであれば自分の力のみでやりきるはずです。そして政府の存在は適正な資源配分を歪めるものであり有害かつ不要と言い切らないといけない。それが独立自尊でではないでしょうか?弱者救済にお金が必要なら自分で稼ぐ、あるいは稼げる人を見つけて投資する。そしてその利益を寄付する。それ以外の方法があるのでしょうか?
なぜ政府に依存するのでしょうか?
まあ、法令や税制を変えて、アメリカのように寄付制度がもっと普及するようにして欲しいとかはあるのかもしれませんが。
私には、大きな政府を志向する安倍政権とブルーハートさんの考え方が同じに見えます。