映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

ランナウェイ

2013年10月18日 | 洋画(13年)
 『ランナウェイ 逃亡者』をヒューマントラストシネマ渋谷で見ました。

(1)ロバート・レッドフォードが、監督のみならず久々に出演もする作品(2007年の『大いなる陰謀』以来)だというので、映画館に行きました(注1)。

 本作は、妻を交通事故で亡くしていたにもかかわらず、11歳の娘と平穏無事に暮らしていた弁護士のジムロバート・レッドフォード)が、30年前に一緒の反政府グループに所属していたソラーズスーザン・サランドン)がFBIに逮捕されるとわかると、生活のすべてを投げ出して身を隠します。
 一方で、地元の新聞社の記者のベンシャイア・ラブーフ)は、上司(スタンリー・トゥッチ)にこの件を調べるように言われ、ジムが、過激派グループ「ウェザーマン」の一員のシャローンであり、銀行を襲撃した際に守衛を殺したことから殺人罪を問われていることを突き止めます。



 ただ、身を隠すにあたり、ジムが一人娘を同行させずにジムの弟(クリス・クーパー)に預けたことを、ベンは不審に思います。上司がそれ以上の追求を止めるように指示したにもかかわらず、そこには何か深い意味があるに違いないと調査を続行します。
 果たして、ジムはFBIの追求をうまくかわすことができるでしょうか、そしてその逃亡劇の真の狙いは何だったのでしょうか、………?

 如何にもレッドフォード好みのシチュエーションであり、そこにサスペンス性が加わり、また家族に対する深い情愛や、若い新聞記者の真相追求にかける情熱も見られ、最後まで観客を飽きさせません(注2)。

(2)とはいえ、FBIの追求を逃れて走り回ったり、更には11歳の娘がいたりするという設定は、今年77歳のレッドフォードにとり荷が重いのではという感じが見ていてしてしまいますが。

 さらにいえば、新聞記者のベンは、ジムのような論理性の高い人間が一人娘を同行しないはずがなく、何か目的を持って逃亡しているに違いないと考え、そうした見方に立ってジムを追い詰めますが、その点がよくわかりません。
 常識的には、幼い子供を連れて逃亡すれば、足手まといになるだけでなく、酷く目立ってすぐにFBIに通報されてしまう可能性の方が高いのではないでしょうか?むしろ普通は、ジムのやり方は当然とし、通常の逃亡と考えるのではないでしょうか?
 また、ジムは、昔の「ウェザーマン」の仲間を次々と訪ね歩きますが(注3)、ジムのような人間にとってそうするのは当然であり(親族と連絡をとることは難しいでしょうから)、女の子を連れて行くかどうかということと関係がないのではとも思えてしまいます。
 ただ、こんなことを言い出すと、お話が何も進展しない恐れがありますが(注4)。

 なお、本作には、「ウェザーマン」という過激派の活動グループ(1969~75年に政府機関や銀行の爆破を行う)が描かれていますが、これは日本で言えば、ちょうど同じ頃連続企業爆破事件(1974~75年)を引き起こした武闘派左翼グループ「東アジア反日武装戦線」に相当するのかもしれません。
 そう思って、本作を最近の邦画に引き当ててみると、例えば新聞記者ベンは、ある意味で『凶悪』の雑誌記者・藤井(山田孝之)のような感じですし(上司の命令を聞かずに調査を続けてしまうところなど)、また本作のラストは、『藁の楯』のラストシーンに類似しています(注5)。
 もしかしたら、日本でも類似のプロットの映画を作れるのかもしれないと思うと(注6)、面白くなってきます。

(3)渡まち子氏は、「潜伏していた過激派メンバーの逃避行と秘められた真実を描く社会派サスペンス「ランナウェイ 逃亡者」。あまりにも豪華な出演者にレッドフォードの人脈の豊かさを見る」として65点をつけています。
 また、相木悟氏は、「レッドフォードの演出も流行のせかせかしたサスペンス・アクションにせず、じっくり腰を据えたクラシックな趣き。今となっては逆に新鮮である。が、生真面目すぎてケレン味がなさ過ぎ、正直、ちょっと退屈してしまった。ご都合主義の展開や、結局、アメリカ映画定番の家族主義におちつく大甘ぶりもシビアな題材にしては残念なところ」と述べています。
 さらに、粉川哲夫氏は、「レッドフォードは、明らかに、ネットやライブラリーでデータを自力で調べあげて、事実に迫る〝ネットオタク〟的なベンの姿勢に期待をいだいているように見える」などと述べています。




(注1)レッドフォードの監督作品としては、最近では『声をかくす人』を見ました。

(注2)新聞記者ベンを演じるシャイア・ラブーフは『トランスフォーマー ダークサイド・ムーン』で、ジムの弟になるクリス・クーパーは『リメンバー・ミー』や『ザ・タウン』で、最初に逮捕される元活動家ソラーズ役のスーザン・サランドンは『ソリタリー・マン』で、それぞれ見ています。

 なお本作には、『50/50 フィフティ・フィフティ』や『マイレージ、マイライフ』、『恋愛だけじゃダメかしら?』で見たアナ・ケンドリックが、ベンの元恋人のFBI局員ダイアナとして出演していますが、ほんの少しの役割しか与えられていません。

(注3)ドナルニック・ノルティ)には車を用立ててもらいますし、ジェドリチャード・ジェンキンス)からはミミジュリー・クリスティ)に関する情報を教えてもらいます。
 ジムは、昔の恋人のミミに会って、自分が銀行襲撃には参加していなかったことを証言してくれるよう頼むつもりなのです。



(注4)もっと言えば、ジムは何かあった時に直ちに行動できるように準備していたようですが、娘のために身の潔白を証明する必要があるのだとしたら、なぜもっと早くに行動を起こさなかったのでしょうか?なぜ、自分に危険が迫ることを察知するまで、行動を起こさなかったのでしょうか?もっと早くに行動を起こして、身の潔白が明かされたなら、娘と早くから平穏無事に暮らすことが出来たのではないでしょうか?
 まあ、ジムとしては、なかなか踏ん切りがつかず、ズルズルとここまで来てしまったのかもしれません。でも、それではベンが期待するジムの論理性に反することになるのではないでしょうか?
 それに、本来的には、娘との間で信頼関係が出来上がっていれば、たとえ冤罪で逮捕されたとしても、その絆が壊れることはないのではないか、と思われるのですが。

(注5)大沢たかおの銘苅警部補が、清丸(藤原竜也)に殺された白石巡査部長(松嶋菜々子)の遺児とともに画面の奥に向かって歩いていくというシーンでした。

(注6)冤罪にもかかわらず警察から追われる主人公を描いた邦画としては、例えば堺雅人主演の『ゴールデンスランバー』があるのではないでしょうか?



★★★☆☆



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2 コメント

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Unknown (ふじき78)
2014-01-13 02:58:12
> 常識的には、幼い子供を連れて逃亡すれば、足手まといになるだけでなく、酷く目立って

映画的には、だからこそ連れて行って、二人一緒に行動しない(モーテルに待たせておくなど)ことにより、レッドフォードの対象確定を避けるという手段があります。

でもまあ、ラブーフの推論当てに必要なプロセスとして使われた感じが濃厚で、本当は連れて行かない方が正しい気がしますねえ。
Unknown (クマネズミ)
2014-01-13 06:48:27
「ふじき78」さん、TB&コメントをありがとうございます。
なんだか、ジムは自分の思いをわかってくれる若者を必要とし、そのためには云々というように、ラストの方から脚本が作られているように感じたのですが。

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