玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*娯楽

2021年08月30日 | 捨て猫の独り言

 人は誰でも何らかの目的をもって、この世に生まれたのではなく、ただ生きたいがために生まれてきたことにようやく気付きました。それを不条理とか、一定の状況の中に投げ出されている(被投性)と言っているようです。

 「何となう死に来た世の惜しまれる」これはあの夏目漱石の句だそうです。いったん生まれたこの世のあれこれがなかなか捨てられない。退き屈することを退屈と言います。退屈する心をどうやって励ますか苦心のしどころです。

 その一助に娯楽があります。最大の娯楽はスポーツでしょう。私は奇数月ごとの大相撲、MLBやプロ野球そして高校野球などを見て楽しんでいます。それと囲碁は飽きがくることはありません。聴力障害があるのでこれ以上私の娯楽が増えることはなさそうです。

 コロナ禍の中で一泊あるいは二泊の、温泉旅行を自主規制しています。移動の自由というのがどれほど重要か。今回のパンデミックでよくわかりました。「雨の日は雨を愛そう。風の日は風を好もう。晴れた日は散歩をしよう。貧しくば心に富もう」(堀口大学)

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*知・情・意

2021年08月26日 | 捨て猫の独り言

 「知・情・意」と「真・善・美」について考えた。手元の辞書によると前者は「知性と感情と意志。人間の精神活動の基本となる三つの働き」後者は「認識上の真と、道徳上の善と、審美上の美。人間の最高の理想を集約したもの」とあった。

 知情意は夏目漱石の「草枕」の冒頭にある「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ」でなじみが深い。真善美はプラトンやカントなど西洋哲学からきている。それに対して仏教における「普遍的な真理の概念」は「無我」となる。

 岡潔は、仏教的叡智や情緒の探求者であった。「人は自己中心に知情意し感覚し行為する。この本能を無明という。知性や意志は感情を説得する力がない。ところが人間というものは感情が納得しなければ本当に納得しないという存在らしいです」と述べている。

 「本当のことは何か。人が生きるってどういうことか。それをぎりぎり詰めた結果が宗教になった。〈リアリティー〉を〈真善美〉と訳してみるとぴったり合う。リアリティーが高いは、より真であり善であり美である」これは養老孟子の説。

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*国語の時間

2021年08月23日 | 捨て猫の独り言

 まずは「云々」から。「結果をうんぬんする」は日常よく用います。口出しするという意味です。そのほかには・・・と言ったわけだの意で「歎異抄」では各章の終わりに置かれています。たとえば第一章の最後「弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえに、と云々」とあります。

 まぎらわしい漢字があります。その代表格が「己」と「巳」と「已」です。己は〈おのれ〉のことで自己中心とか克己心とひんぱんに使われます。巳は十二支の一つ〈み〉です。物では蛇です。文語文法の活用形の一つに已然(いぜん)形があります。ことがらの完了または確定を表します。「祈って已みません」のように使います。

 つぎは「反日」という言葉について考えます。もともと「反日」とは日本帝国主義に抵抗するアジアの民族独立運動の思想を指す言葉でした。それが赤報隊による朝日新聞阪神支局襲撃事件における犯行声明を経て、90年代にかけて歴史修正主義の台頭とともに「反日日本人」なる用語として流通するようになり「反日」は国内の左翼を罵倒するための言葉となり果てました。

 

 「反日」という言葉について違和感を持った田中優子氏は、つぎのように述べています。「反日」というのは「親日」の反対語です。外国の政治家についての表現として使われることは、これまでもよくありました。しかし「親日の日本人」というのがおかしいように、反日というのを日本人に使うのはおかしい。反日という間違った使い方はもうやめよう。

 

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*学問の秘訣

2021年08月19日 | 捨て猫の独り言

 ブログ「海鳴りの島から」が8月11日に再開されてホッとしている。これまでと変わらず、辺野古の新基地建設への抗議行動の様子が綴られている。6月30日以来の復活だ。長い中断の理由については何も記されていない。小説の創作に没頭していたのかもしれない。(3月23日と8月11日のキンモクセイ)

 

 「基礎的な学問の秘訣というのはとにかく問題を一番極端な所まで持って行くことなんです。一番極端の所で成り立つ話というのを考えればあとはもうどうでもいいんです。途中の説明は必ず成り立つ。それが理論のいいところ」これは養老孟司の言である。

 「俳句で学ぶ唯識 超入門」を読むと「唯識とは、あらゆることがらをすべて心の要素に還元し心の問題として考えます」とある。これが養老先生のいう「極端な所」だろう。さらに「外側に実在する対象というものは無い。同じ対象をみても、受け取る意味も人それぞれで、同じではない。つまり、私たちの心こそが対象の内容を決定している」とある。

 唯識仏教は私たちの認識作用を分析してみせる。前五識(眼、耳、鼻、舌、身)の対象は(色、声、香、味、触)である。私たちが普通「心」と考える第六意識の対象は法(ものごと)で、その器官はさしずめ脳神経か。第六意識は時空を超え、またそのはたらきは広く知・情・意にまたがる。ここまでは表面心で、深層心として自己中心性の第七識、これまで経験したことがらをすべて蓄積した第八意識の八種類で成り立つとしている。

 

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*マドン監督と大谷

2021年08月16日 | 捨て猫の独り言

 NHKBSのMLB 中継を見るようになったのは私が定年退職した頃だった。なぜか私はアメリカンリーグで激戦区と言われる東地区のレッドソックスのファンになった。本拠地のフェンウェイパークは左翼に変則的なグリーンモンスターがある特異な球場だ。ヤンキースと並ぶ人気チームであり、松坂大輔投手が2007年から6年間在籍して、日本ではレッドソックスの試合は多く放映されていた。

 大谷翔平が所属するエンゼルスのマドン監督(67歳)を私が知ったのはその頃だ。レッドソックスと同じ地区のレイズの監督としてレイズ旋風を巻き起こしたり、その後はカブスの監督としてワールドシリーズ制覇を成し遂げた名監督である。無精ひげが印象的で、まず選手の髭を禁じているヤンキースの監督には、なることはないと誰もが考えていたと思う。

 大谷選手とマドン監督はすこぶる相性がよい。「翔平と野球をするのが楽しい」と公言してはばからない。同監督はこれまでも一人でいくつものポジションをこなす選手の起用、外野手4人シフトなど、常識にとらわれず多様な戦術を駆使することで知られている。大谷は20018年にMLBに飛び込んだ球団がなぜエンゼルスだったのか。この筋書きを深く考えた人物がいるような気がしてならない。

 大谷入団の年を最後に19年間もエンゼルスの監督を務めたソーシア監督が退団し、満を持して2020年にマドンが就任する。マドンは1995年から2005年までエンゼルスのベンチコーチであり、エンゼルスとは浅からぬ因縁がある。本塁打王争いをしているゲレーロと、大谷が投手として対戦した試合が先日あった。その試合のあとでマドンは「大谷は恐れを知らず、正々堂々と勝負していた。カル・リプケンを思い出す」と語った。リプケンは現役時代のすべてをオリオールズで過ごし、連続出場の記録もつ内野手である。マドンに「大谷よエンゼルスで骨を埋めよ」という思いがあるのではないだろうか。

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*秋深き隣は何を

2021年08月12日 | 捨て猫の独り言

 図書館の新刊本コーナーで多川俊英著「俳句で学ぶ唯識超入門」に出会い、興味深く読み終えた。やはり西洋哲学よりも仏教の方が私には馴染みやすい。小林秀雄の言葉「無私」は仏教の要諦だし、池田晶子も晩年は禅仏教に共感していた。養老先生も「唯脳論はお経だった」なんてことを言っている。(ヤブランとカサブランカ)

 

 この本の中で長谷川櫂氏の「隣にいるのは誰か」という一文が紹介されていて、それを読んだ私に衝撃が走った。どうしてもその一文をここに採録したくなった。それは芭蕉が亡くなる十日ほど前の句「秋深き隣は何をする人ぞ」についての重厚な解釈である。《病に倒れて横たわっていると、あたりはひっそり静まっている。その静寂の向こうに耳を澄ますと船場の町の賑わいがかすかに響いてくる。

 それは5年前の夏、立石寺の岩山の句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句ができたときと似ていた。芭蕉は現実の世界をふっと忘れて天地に満ちる宇宙の静寂に包まれるような気がした。あるいは8年前の春、江戸深川の芭蕉庵で「古池や蛙飛び込む水のおと」と詠んだときも同じだった。あのとき芭蕉の心に浮んだぼっとしたかたまり、それが古池だった。

 町中の座敷に横たわる芭蕉の身にそれと同じことが起きていた。また永遠の静寂を見つけてしまったのだ。その静寂こそが「秋深き隣」だった。何光年も離れたはるかな宇宙空間に浮かぶ白い部屋。芭蕉は死の姿を見たわけではない。死の気配を感じただけである。だからこそ「隣」なのだ。そこに存在しているのに壁や襖や塀に隔てられて見えない場所、それが「隣」》

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*志村けんの銅像

2021年08月09日 | 捨て猫の独り言

 西武線東村山駅の東口に、2020年に亡くなった志村けん(本名志村康徳)の銅像がある。志村けんは東村山市で生まれた。父親は小学校教諭で、2人の兄は大学を卒業して公務員になったが、自身は大学へ行かず異なる道を歩む。8時だよ全員集合の少年少女合唱隊のコーナーで歌った「東村山音頭」がヒットする。

 振り返るとクレージーキャッツの植木等の「スーダラ節」が1962年で、テレビの全員集合が終了した後の志村けんの「バカ殿様」は1986年である。二人は四半世紀ズレて活躍した。だが笑いの質は大きく違う。バカ殿で共演していた東八郎に「東さんはいい歳になってもなぜ馬鹿な演技ができるのでしょうか」と質問している。

 父・憲司が厳格な人物で家庭に笑いがなかったという。父とはかなりの葛藤があったと思われるが、芸名の「けん」は父親の名前からとった。高校卒業間際に「いかりや長介」の家に直接押しかけ弟子入りを志願する。その頃父は交通事故の後遺症でボケており弟子入りに関して両親の反対はなかったという。

 

 我が家から、自転車で府中街道を北上すると30分で志村けんの銅像のある東村山駅の東口に着く。和服正装の志村けんがアイーンのポーズをしている。黒光りしていて、近づかなければその表情は分からない。バカ殿のメークは銅像では表現不可能だ。志村けんらしくないけれど、関係者がいろいろ悩んだ末のことだろう。

 

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*宇宙デブリ

2021年08月05日 | 捨て猫の独り言

 7月に通販大手アマゾンのベゾスCEOが率いる米宇宙企業ブルーオリジンが有人宇宙飛行を終えた。定員6人のカプセル型宇宙船は、再利用ロケットで米南部のテキサス州から打ち上げられた。初飛行にはベゾス氏も搭乗した。一般に高度100㌔以上を宇宙と定義するようだ。

 宇宙船は高度100㌔超の宇宙まで上昇し、その後パラシュートを広げて同州の砂漠に着地した。飛行は約11分間で、このうち数分間は無重力状態を経験できるという。将来は宇宙観光に利用される。ちなみに国際宇宙ステーションは高度400㌔を約90分で1周しているそうだ。

 今年の毎日新聞元旦の「ひと」欄は、2013年に宇宙ベンチャー「アストロスケール」を創業した兵庫県出身の岡田光信さん(47歳)を取り上げていた。40歳を前に人生が無意味に感じる「ミッドライフクライシス(中年の危機)」に陥ったという。そして宇宙ごみを掃除しようと決意する。

 有人ロケットが宇宙へ旅立つのに宇宙ごみの除去は欠かせない。すでにあるデブリ除去の挑戦のほかに、打ち上げ前に準備して運用終了時に除去できるように仕込んでおく。あるいは衛星の寿命を延長する技術にも取り組んでいるようだ。 

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*孫たちと夏野菜

2021年08月02日 | 捨て猫の独り言

 トマトとキュウリの収穫量は予想以上だった。「接木苗」がこの結果をもたらしたのか。あるいは、苗を植えこむ前にそれぞれ穴を掘り、そこに堆肥と化学肥料を置いたのがよかったのか。さまざまな偶然が重なったのだろう。滞在中孫たちはその収穫を楽しんだ。

 ほぼ毎日のように朝採りトマトにかぶりついていたという印象がある。キュウリも大ぶりのものがつぎからつぎとぶら下がり、ピクルスにするやら、キュウリには似合わない薄切りにして乾燥させるやらして、調理にいろいろ苦心していた。

 ゴーヤの苗を例年の4個から1個減らした。さすがに緑のカーテンは少しすき間があるなという感じだ。いまのところまだ実りは少ないが、はたしてこれからどうか。まず黄色に熟す前に収穫することが肝要だ。熟すると中の種は甘くて真っ赤なトロミで包まれる。

 ありがたいことに放置していても庭に毎年生い茂るのが、「雲南百薬」と「茗荷」だ。ゴーヤは天ぷらにして孫たちに食べさせる。雲南百薬はみそ汁に入れる。雲南百薬を一枚ずつ収穫することを楽しそうにやっていた。 

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