玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*オスプレイ飛行停止

2022年08月29日 | 捨て猫の独り言

 オスプレイとは、飛行機の翼の両端にヘリコプターのようなローターを備えている垂直離着陸輸送機だ。いいとこどりで、浮力を失う瞬間があり、素人が考えてもいかにも無理があるといえる代物だ。開発当時は4回の重大事を起こし「未亡人製造器」と呼ばれていたほどだったという。

 2016年12月13日午後9時半ごろオスプレイが名護沖に不時着し大破した事故があった。空中給油の訓練中で、給油ホースをオスプレイのプロペラが切断し損傷したことによるものだった。2012年の普天間飛行場への配備以来初めての事故だった。

 

 オスプレイは2018年には首都東京の米軍横田基地にも配備され、この年に陸上自衛隊は17機を購入した。ゆくゆくは佐賀空港へ配備する予定という。操縦訓練などすべての費用を含めた購入時の価格は1機あたり約200億円といわれている。

 

 この8月19日に「米空軍がオスプレイの飛行を当面停止し、地上で待機を指示」との新聞報道があった。他の新聞のことは調べてないが朝日新聞は目立たない7面に、小さく紙面を割いただけである。本当にオスプレイの機体は十分な安全性を確保しているといえるのだろうか。

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*短歌と夏野菜のこと

2022年08月25日 | 捨て猫の独り言

 郷里の朝日歌壇投稿者、垂水市の岩元秀人氏と霧島市の久野茂樹氏に注目している。お二人とも昨年末から3月ぐらいまではよく入選されていた。やっと7月3日に垂水市の岩元秀人氏の「ゆく朝の母の十指をやわらかく包めばわれは包まれてあり」が掲載された。お二人がどのぐらいのお歳か分からない。気になるところだ。

 朝日新聞の社内の研究員が、これまで蓄積された入選歌に、AIの技術の力で新たな光を当てる取り組みを始めているという。具体的にはインターネット上で作者名や単語を入力して過去の入選歌を検索したり、共通するテーマの作品を探したりできることを目指しているという。実現すれば私の切り抜き作業は止めてもよさそうだ。(小平市自慢の用水)

 

 例年通り、庭の畑にはカボチャ、ピーマン、ナス、キュウリ、トマト、シシトウ、東の窓の下にゴーヤを植えた。カボチャは受粉に失敗して収穫はゼロ、ピーマンはあまり実らず、ナスはまあまあ。キュウリは処分に困るほどで、トマトは適度のペースでの収穫があった。現在上記のうちシシトウだけが畑に残っている。

 畑の境界にあるニラが毎年よく育つ。そして植えた覚えのないオオバもある。放っていても壁沿いにはミョウガ、雲南百薬が顔を出す。プランターには万能ネギ、緑のカーテンのゴーヤは今が収穫時だ。カーテンを仕舞うのは少し先になる。家計の足しになる恵みの庭では、やぶ蚊の襲撃を受けるがそれは我慢できるものだ。

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*辺野古新基地

2022年08月22日 | 捨て猫の独り言

 沖縄発のブログ「海鳴りの島から」は粘り強い新基地建設反対運動の様子をレポートしている。百聞は一見に如かずで多くの映像が駆使されている。「勝つためにはあきらめないこと」これが非暴力抵抗運動の原則だ。8年経っても建設は遅々として進まない。私が生きているうちに基地が完成することはあり得ないというのは明らかだ。

 それでも私は毎日ブログ「海鳴り」のチェックを続けるだろう。老人の参加も多いゲート前の人たちは未来の子供たちのために座り込んでいる。その中にはこの8年間で亡くなった方々もいる。そして現在の政権中枢の政治家で完成を見とどけることができる者が何人いるというのか。メンツにこだわらず見通しの立たない建設の中止を決断する政治家の出現を待ちたい。

 これほど長期間の抵抗運動はめずらしいのではないか。過重な基地負担に苦しむ沖縄の人々は、その米軍基地をめぐり政治的に分断されて苦しんでいる。座り込み2964回の8月17日の「海鳴り」にはつぎのような文言があった。(ナミアゲハの来訪)

 

 「軟弱地盤の問題を抱える大浦湾側の埋め立てが終わるまで、あと何十年かかるか。完成のめどが立たない工事に予算と時間を浪費するほど愚かなことはない。こういう馬鹿げた工事はすぐに中止し、予算を子育て支援や教育、福祉、雇用拡大、新型コロナウイルス対策などに回すべきだ。中国と軍事的に対抗するなど阿呆のたわごとでしかない。米国の権力者が考えているのは、台湾有事を煽って日本に兵器を売り、軍需産業を儲けさせることだけだ。仮に中国と台湾の間で戦争が起こり、沖縄が巻き込まれても、彼らには痛くも痒くもない。戦争で金儲けしたい奴らに踊らされてはいけない」

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*聴覚障害

2022年08月18日 | 捨て猫の独り言

 年を重ねて聴覚障害を得て長年経過した。テレビはスポーツと囲碁番組が主だが音を消して字幕でみている。ニュース番組などは字幕が遅れるので不自由することがある。最近映画を見てないが洋画なら字幕が出てありがたい。残念だがこれから日本映画を見ることはなさそうだ。

 もっと残念なことがある。たとえば坂本九や西田佐知子の歌が正常に聞こえてこないことだ。歌謡曲に限らずクラッシックもそうだ。あの声あのメロディの輝きを私はもう鑑賞できなくなっている。ある音域の音が届かなくなって不快な音となって聞こえてくるのだ。

 すべてのカセットテープを処分することにした。クラッシックがブームになったおりに録音したものだ。そのほとんどは繰り返し聞くことはなかった。今となっては無用の録音だったということが分かる。深く音楽を理解したというレベルには達しなかった。なにごとにも中途半端な人生を悔いる気持ちが強い。(玉川上水緑道にて)

 

 そんなみじめな自分を救ってくれるのが般若心経だ。「あると思っているものは じつはないのである(色即是空)」「ないという そのなかにはあるも ない(空中無色)」「目も耳も鼻も舌もからだも心もない(無眼耳鼻舌身意)」伊藤比呂美訳から

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*バイオマスとは

2022年08月15日 | 捨て猫の独り言

 よく聞くカタカナ語の「バイオマス」について調べてみた。分節してバイオは生物で、マスは量だから直訳すれば「生物量」であるがこれでは何のことやら分からない。バイオマスとは、木材や草木、家畜の排泄物、資源作物、食品廃棄物、下水汚泥などの総称という定義がある。ならばとりあえず「生物資源」の方が落ち着きがよい。

 「資源」がキーワードのようだ。日本は国土が狭くて埋め立て処分する土地がなく焼却処理の方向に進んだ。日本のメーカーの焼却技術はアジア諸国に輸出されるほどになっているという。これまで私の意識では生活に不要になったものはすべて「ごみ」だった。しかし現代はそれらは「資源とごみ」なのだ。すなわち分別してリサイクル。

 ごみ処理は各自治体の重要課題でもある。小平市は2019年4月から「家庭ごみ有料化・戸別収集」に踏み切った。実施により総量は減少したとの報告があった。ごみ処理費のざっと半分は収集費だといわれている。可燃物の中に占める生ごみの割合が増え、含水率の高い生ごみの焼却は優秀な焼却炉でもいずれ限界がくるという。

  

 そこで生ごみを分別収集してバイオマス(生物資源)として活用できれば理想的である。実現の目途は立っていない。小平市には事前に3世帯以上のグループで登録し、フタつきバケツの購入という週1回回収の「食物資源循環事業」があるがほとんど普及してないと思われる。我が家では生ごみはコンポストに放り込んで処分している。

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*村上春樹(2)

2022年08月11日 | 捨て猫の独り言

 村上春樹は話題の作家だけあって、評価するしないそれぞれの発言が飛び交っている。評価しない派には、「ポルノまがいの幼稚な青春小説」「濃厚な米国や西側社会のあこがれがあるが、日本社会はそれほど米国を崇めていない。そのため彼の作品は少し時代遅れの感がある」などの発言が見られた。

 

 河合隼雄とは数多く対談していたようだ。高橋源一郎や内田樹は村上を評価すると公言している。「ノルウェイの森」には「山が崩れて海が干上がるぐらい可愛い」「世界中のジャングルの虎が溶けてバターになってしまうくらい好きだ」などの台詞があった。独特である。「風の歌」と「ノルウェイ」を読み終えて私はひと区切りついた。

 だがあと少し短編を読むことにした。作家は短編を書くときはモチーフを設定し3、4か月で単行本一冊分というペース書いていくという。これまで読んだのは「神のこどもたちはみな踊る」の場合のモチーフは「1995年の神戸の震災」、「東京奇譚集」の場合は「都市生活者を巡る怪異譚」、タイトル通りの「女のいない男たち」の3冊だ。短編のつぎは長編という繰り返しが創作ペースという。

 村上作品は恋愛関係であれ何であれ「三角関係」が重要なテーマとなり物語は進行という印象を強く受けた。このあとは初期の短編集の「中国行きのスロウ・ボート」「蛍・納屋を焼く・その他の短編」の2冊を読んで、しばらく村上ワールドから離れようと思う。村上はドストエフスキーについて「神を作り出した人間が、その神に見捨てられるという壮絶なパラドックスの中に彼は人間存在の尊さを見いだしたのです」と書いている。

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*村上春樹(1)

2022年08月08日 | 捨て猫の独り言
  1.  内田樹は1950年、村上春樹は1949年、蛇足ながら私は1944年の生まれである。そして内田は村上文学を評価する。狂ったように暑い今年の夏をやり過ごす一つの方策として、私はあまり読んでいない村上の作品を読んでみようと考えた。また新聞報道によるとジャズピアニストの山下洋輔が1969年に早稲田大学でした「伝説のライブ」を再現するイベントが、7月12日に村上の呼びかけで実現したという。そこで学生運動については「理想主義的なものの噴出はある程度評価していいと思っています」と語っている。

  

 村上は学生結婚をして、その3年後25歳で国分寺駅南口のビルの地下にジャズ喫茶「ピーターキャット」を開店した。私はこの頃、国分寺の近くの小平に住み始めた。国分寺駅南口には今でもよく行く。その3年後に店は千駄ケ谷に移転。29歳で小説を書き始め翌年の1979年「風の歌を聴け」で群像新人文学賞を受賞。その3年後に店を譲渡し専業作家となる。

 まず「風の歌を聴け」を読んだ。昔の記憶がよみがえった。主人公が学んだというアメリカの作家デレク・ハートフィールは架空の人物であることを今回の読後に知った。大胆な虚構が埋め込まれていた。村上作品を読むとき、なぜか映画カサブランカの中の「決め台詞」を思い出す。「昨日はどこに?」「そんな昔のことは覚えていない」「今夜会える?」「そんな先のことは分からない」。

 つぎに読んだのは「ノルウェイの森」。読んだつもりだったが読んでなかった。あるいは中断したままだったのかもしれない。/飛行機のBGMにビートルズの「ノルウェイの森」が流れていることに気がつく。その瞬間「僕」は18年前に直子が言った。「いつまでも私のことを忘れないでいてくれる?」という言葉を思い出す。/レイコさんが「あのライ麦畑の男の子の真似しているわけじゃないわよね」「まさか」と僕は言って笑った。/作品に出てくるトーマス・マンの「魔の山」やサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」はいずれ読もうと思う。

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*久遠寺(2)

2022年08月04日 | 捨て猫の独り言

 1500人が入れるという本堂の大広間には誰一人いない。奥の柵の中には金色に輝く仏像、天井には墨で描かれた龍の画が見える。雨はますます激しさを増してきた。ずいぶんと開放的なお寺である。雨で参拝客は少なく、回廊でつながる堂を順に見学してゆく。一番奥の廊下には日蓮聖人の御一代記の絵が飾られていた。日蓮は「念仏をやめ題目を唱えよ」と語った。念仏は浄土への往生を約束し、題目は現実世界を救うものということだ。

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、2代執権の北条義時が後鳥羽上皇を隠岐へ、その子の順徳上皇を佐渡へ配流した「承久の乱」がそのうち取り上げられるだろう。日蓮はその乱の翌年1222年に安房国小湊で生まれた。そして「法華経を信じて一刻も早く正しい世の中に戻すべき」という立正安国論を5代執権北条時頼に上申したのは日蓮38歳のときである。そして佐渡への流罪を解かれて53歳のとき身延山を建立している。

 

 不思議と雨は上がり、三門を出て日蓮の墓である「御廟所」に向かった。晩年を過ごした草庵の跡もある。ここが久遠寺発祥の地であり日蓮宗の聖地である。日蓮聖人を崇拝するのは、この久遠寺を総本山とする「日蓮宗」、富士大石寺を総本山とする「日蓮正宗」、新宿信濃町を本部とする「創価学会」が主なものと理解している。これら三者の関係はどのような濃淡があるのだろうか興味深い。徒歩で山を下りることにした。行きにバスでくぐって見逃した「総門」を確認しよと思った。

  

 この判断が甘かった。総門を出るとすぐに、再び雨が降り出した。そのうち稲妻が走り、たたきつけるような激しい雨になった。坂の途中の民家の軒先で雨宿りをしたが、すぐには止みそうもない。膝から下はぐしょ濡れになりながら富士川にかかる身延橋を渡り、ほうほうの体で駅にたどり着いた。線状降水帯の中にいたにちがいない。東海道新幹線は新富士駅と静岡駅間の運転を一時見合わせていた。

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*身延山久遠寺(1)

2022年08月01日 | 捨て猫の独り言

 前日にみどりの窓口で乗車券・特急券を購入し、5時起きして久遠寺に出かけた。久遠寺は満開の枝垂れ桜と五重塔という絵柄のポスターぐらいしか知らない。立川から甲府まで「あずさ号」、甲府で「ふじかわ号」に乗り換えて国分寺から身延まで約2時間半で到着する。この日は雲は低く垂れこめて、計画を一日延ばすべきだったと悔いたが、雨の身延山も得難い体験になるだろうと開き直った。

 バスは身延駅から富士川を渡り、坂を登り「総門」をくぐりぬけ門内商店街の「三門」の近くが終点だ。普通は山門だから、これは駄洒落なのかと訝った。三門横の観光案内所で地図を手に入れて、外に出るとはやばやと大粒の雨が落ちてきた。三門とは「空・無想・無願」の解脱を意味するという、それにしても巨大な門だった。三門をくぐるとそこからは厳粛な聖域だった。

 

 両側を巨大な杉の並木の囲われた、ごつごつした石畳を歩いていくと正面に、天にそそり立つ長い石段が見える。「菩提梯」と呼ばれ高さ104mで287段もある急な石段である。無理は禁物の警告の立て札がある。菩提とは悟りの境地、すなわち「悟りへの階段」である。これを登り切ることが今回の楽しみの一つだった。足の置き場は狭く、腿を高く上げなければ登れない。

 

 登る石段は太いステンレスのパイプの手すりが命綱である。途中逃げ道もあるが、心臓の鼓動を静めつつ集中して登り続ける。左手には傘、右手でパイプをこすり上げるたびに水が撥ねる。慎重に慎重に登りつめると最後の石段の向こうに荘厳な本堂が目に飛び込んできた。このような劇的な瞬間を演出したのは何者だろうか。あるいは劇的と感じたのは私だけだったのか。思いのほか広い境内に、本堂、祖師堂、仏殿、五重塔などが偉容を誇っていた。

 

 

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