玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*私設ギャラリー

2009年03月31日 | 玉川上水の四季

 昨年の夏ごろ玉川上水の新小川橋近くで、緑道に面している9坪ほどの土地がロープで囲われました。狭い土地だから人の住む家を建てられるはずがありません。不思議な思いのまま、その場所のことをすっかり忘れていました。ところが2ヶ月ほど前、そこに突然青空ギャラりーが出現したのです。東側に3枚、西側に2枚のパネルが打ち立てられました。掲示物を風雨から守ることのできる、あく色の頑丈なパネルです。

 パネルには玉川上水付近の野鳥や草花などの写真約15点やその他が展示されています。散策やランニングで通りがかった人が足を止めます。写真はなかなかの出来栄えです。この付近で撮影したものばかりですから大いに興味も沸きます。野鳥や草花などの自然観察について、私などはいかに甘いか反省する気持ちにさせられる写真です。我が家と駅の途中にありますから、これからは頻繁に立ち寄ることになるでしょう。

 これが私設のものとは思いませんでした。新聞の地域欄などにも取り上げられるようになって、いろいろと分かって来ました。あの狭い土地を購入して 「玉川上水オープンギャラリー」 を始めたのは、元小平市職員の鈴木忠司さん(68歳)でした。長くグリーンロードの仕事に関わっていた方です。趣味がそのまま仕事だったのでしょう。退職後も毎日のように玉川上水を回り、カメラ撮影やスケッチを楽しんでいるそうです。鉛筆画の達人でもあるといいます。

 二十四節気ごとに作品は入れ替わります。自分のテーマは玉川上水の四季を追いかけることで、それは無限にあるといいます。通常日曜日の午前10時から午後3時頃はギャラリーにいて野鳥の生態などを説明してくれるそうです。3月5日から3月19日の啓蟄の期間のテーマは  「玉川上水の野鳥(留鳥)」 でした。コゲラ、シジュウカラ、メジロ、ヤマガラ、オナガ、カワラヒワ、ヒヨドリ、カワセミ、ムクドリ、コサギ、ウグイス、エナガなどのカラー写真が掲示されていました。

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜中目覚めてパソコン

2009年03月29日 | ねったぼのつぶやき

 前回の滞在は、私の体が疲労困憊して悲鳴を上げ、予定を早めて引き上げたのだった。勝手の違う国で、しかも婿殿の実家に娘一家共々滞在したのだから無理もない話だ。食の相違は何とでもなる。2才の子供との添い寝は高い大人のベッドから落ちないかとか、ショッチュウ寝返りを打つ子供の振動が私の睡眠を更に妨げる。「気遣いは一切入らない国よ!」と断定する娘の言葉通りに過ごせる筈がない。帰国して計量したらー4Kgしていたのだった。

055

 そんな経緯もあっ今回毎朝繰り返される質問は「夕べは眠れた?」だった。不眠勝ちなのはいつもの事だが、今回それほど体に応えないのは、娘達の生活が確立しているせいだろう。私自身も日中は繁忙を極めるが、朝に夕に時間に追いまくられている娘達を見ると、手間を取らせるような申し出はし難い。ソンナ事もあって訪米後即のPC使用はならず、更に数日後ブログへの写真挿入は夫君専用ノートPCでしか出来ないと知り、配信時の挿入はナシで連続となった。

 Yesより先にNoが出始めた子を抱えた上に、更にもう一人娘が加わって、事あるごとに姉が先にたしなめられては泣いている。スッカリ忘れてしまったが私達もそうしてきた筈だ。私達の親も第一子を不憫に思い可愛がった事だろう。「大丈夫よ何時も一人で寝つけてるから」とアッサリ言う娘の言葉をよそに、せめて私のいる間はと寝物語や絵本を読みながら寝る。彼女は約束以上の本を抱えて私の顔を覗く。4年生の孫すら未だ泊まりに来たらせがんでいるのだもの。この近所でも、今日訪ねたビレッジを成していた程広大なデューク大学構内も、桜の満開が続いていた。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

垣間見た保育住宅事情

2009年03月28日 | ねったぼのつぶやき

 とにかく保育料と医療費は高いらしい。公共の保育は乏しく、3人の子育てをしているご婦人が自宅で7人の子供を預かっているという。私達の滞在中は1人は残したものの、普段はゴット起きのまま夫君も妻子の準備を手伝い、7時には家を出てミッキーという40代の女性の家で朝、昼をとっていると言う。愛情深くて信頼が出来ると娘は惚れ込んでおり、4月からの求職活動もそこでの保育の継続が最優先事項らしい。

035

 残されたお姉ちゃんとMy bag持参で午後は散歩だ。大人一人一台という車社会。信号の少ない道路をスピードを落とさず走っているので、見通しのいい場所で左右を見計って小走りで横断する。どの通りも木立の中には綺麗な連棟式や大きな戸建風に作られたアパートが見え隠れしている。いずこも職人が入って手入れが届いている。と自宅から程遠くないなだらかな起伏に富む住宅街に行き会った。空気は澄み冷気が程々あって、家は丁度日本の別荘地を思わせる様な散らばり具合だ。目を見張るような豪華版は見当たらないけれど、通りの街路樹から各家の玄関先まで程よく飾られている。小さな植え込み作業をしていた老人に声をかけると、花を欲していると思ったか1株下さった。日本で散々楽しみ持参したシャボン玉で遊んだ。車常連の両親はその通りを知らなかった。

 現在のアパートは急いで決める必要があり、彼の両親を含めて一泊2日がかりで決めた。いい物件ではあるが、景気の悪くなかった一年前からすると今はモット安めでいい物件もあるらしい。一年契約が切れる時期もあって5月末には引っ越すべくアパート探しもしている。一日同行した。アパートとはいえ日本流ではマンション以上だ。2LDKの2寝室はいずれもトイレ、洗面、バス付だし、LDの広さは20畳近い。クローゼットは勿論、台所は食品庫、食洗機、レンジ、オーブンはフル装備で、中庭に共用のプール付だ。目安は10万円を切る値段だが、安過ぎるとそれなりの人しか住んでないし~とぼやいてもいた。

 

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

覚えてる?10ヶ月ぶり

2009年03月28日 | ねったぼのつぶやき

 シカゴ乗換えでやっとNCのダーラム空港に着いた。姉はニッコリ迎えてはくれたが、両親に押し出されためらい勝ちに抱っこされた。生まれて間もなかったベビーは父親にしがみついている。満2才で日本語を喋り始めていた姉は不充分な日本語と英語を操っては、”ママとは日本語”でとたしなめられていた。滞米20年になる日本人夫妻の子供が、英語しか話せないのを知ったせいと言う。話し始めたベビーは仲間に入ろうと、べロンべロンと発語して笑いを誘う。Skypで交信していた映像効果は大きかった。

010

 娘が移住の際に携帯した日本の包丁を、彼女の注文で今回私が持参した包丁研ぎで研ぎ、ミジン切り、線切りと食材を駆使して彼女待望の日本食を作った。出来上がった料理を”おいしい~”と満足そうについばみながら「これだから驚くはずだわ!コッチの人は」と一時間以上台所に立った私に娘が嘆息する。移住の際ドッサリ持ち込んだ日本の食材は思いのほか底をついておらず、引っ越す人や離米する人からの貰い物も多くてと言ってはいたけれど。

 昨年6月、娘のアメリカ移住と引き続きの引越しの手伝いは、慣れない台所事情に加え、生活用品、家具などナイナイ尽くしの中で大変苦労した。今回は用具も揃い高目のキッチン台ながら快調だ。それにしても新築アパート居住9ケ月にしては台所の油汚れはキツイ。小走りを始めたベビーが一時もジッとしていないせいもあるが、普段から娘より夫君の方が台所に立つようで尚更だ。3才近くと1才の子供を預けて働く主婦の家事の手抜きはこの国にだから許される?それとも今時の若者はこう?なのだろうか。料理作りの合間に台所機器磨きが今回は加わった。野菜を多用してセッセと食事を多めに作り、半分は冷凍にまわす。3年日本にいた夫君も、彼の実家に2日もいると体が固まると言っている様で日本風を好むらしい。夫君が作る日本風??とは油控えめアッサリ味仕立てのことらしい。次回は垣間見た保育事情や住宅事情をお伝えしたい。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*桜前線に異常あり

2009年03月24日 | 捨て猫の独り言

 桜の開花が年毎に早まる傾向にあります。原因は第一に地球温暖化(温室効果ガスの過剰)で、第二にヒートアイランド現象(都市化に伴う環境の変化)が考えられるそうです。今年の本州での開花一番乗りは福岡の13日でした。これは平年より11日も早くなっています。続いて熊本が16日で鹿児島は19日でした。なぜ鹿児島よりも福岡や熊本が早いのか疑問が残ります。

 気象庁の解説はつぎのとおりです。《桜は夏に翌春咲く花のもとになる花芽を形成し休眠に入ります。花芽は冬の低温に一定期間さらされると休眠から覚めます。これを休眠打破といいます。花芽は休眠打破のあと温度の上昇とともに成長し開花します》

 冬の低温がなければ休眠打破ができません。温暖化で桜が開花できないこともあり得るということです。暖冬の鹿児島の桜は休眠打破で福岡の桜に遅れをとりました。自然界の神秘的な仕組みです。「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえてすずしかりけり」 深読みすれば、この歌の結句はこれまでと違った意味合いで感受することもできます。

 大別すると西日本は照葉樹林帯で東日本は落葉広葉樹林帯だそうです。新緑や紅葉の季節にも変ることのない黒い森の近くで育った者にとって、おおよそ西日本では桜は貴重な落葉樹といえます。植物は移動することができません。気候変動の影響をまともに受けることになります。温暖化で九州ではソメイヨシノが開花しないという事態にならないとも限りません。またヒートアイランド現象によって桜前線は南からでなく、都市部からということも現実味を帯びてきたような気がします。 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不景気風が吹き荒れる

2009年03月21日 | ねったぼのつぶやき

 中古は娘に譲り、娘の意を汲んだ車にしようと近場のトヨタに行った。ニッサンからトヨタへ。”車種変更は強力な値引き交渉になると”私は思った。娘は値切り交渉を若者特有の強引さでバンバンやり通した。先方は営業を越えて身についていると思える笑みを絶やさず丁寧に対応した。アレから3年経ち車検を迎えた。

Suisenn_001

 バッテリーが上がったりで、車使用の頻度が下がった我が家の事情も承知だったせいか、見積りには軽自動車への買い替えプラン迄付け足してあった。車検日も近づき”走行距離も少ないし費用も抑えたい”と申し出ると、2回目の見積書を持って急遽訪問を受けた。買い替えは消え、極力抑えたプランで再度のチェックで不要の項もと指した。(川沿いの水仙)

 最初から担当している〇〇氏は購入時と変わらぬ笑顔を称えていた。「ご免なさいね。娘も米国で派遣としてトヨタで通訳をしているの。厳しくて何時解雇されるか解らないそうよ」と伝えると「そうなんです。国内外で売れず厳しいんです」と玄関先で言う。「近くアメリカに行くし、少々の応援も必要だから」と返すと尤もと肯く。頑張りましょうも相応しくなく”堪えましょうね”と頷きあった。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*映画「禅」を観る

2009年03月17日 | 捨て猫の独り言

 暮れに映画 「禅」 の招待券を2枚頂きました。1月から全国各地で封切られましたが最寄の立川での上映を待つことにしました。鎌倉初期の禅僧で曹洞宗の開祖である道元の生涯の映画化です。親鸞や日蓮に比べ物語性に欠けるとされ過去に映画化されていません。3月8日の日曜日に出かけました。ビルの違う階では話題の映画 「おくりびと」 が上映されていました。それに比べてこちらの観客数の少なさはやむを得ないところです。

 道元役は歌舞伎俳優の中村勘太郎(27歳)です。中国語を半年かけて基礎から勉強し、撮影現場で中国人通訳を驚かせるほどだったそうです。勘太郎はなかなかの大器と評判ですが私も同じ思いをもちました。道元は24歳で宋に渡りました。中国のある寺の食事係の老僧に叩きのめされた話があります。立派なお年なのに雑用ばかりでなんのいいことがありますかと問う道元に、外国の好青年よあなたはまだ修行の何たるかをご存じないようです、経典の文字がなにを意味するものなのやらご存じないものとみえると老僧が答えるのです。

 映画はその場面から始まりました。食事係の老僧役は笹野高史です。「外国の好人、いまだ弁道を了得せず、いまだ文字を知得せざるあり」 というセリフは観客には了解不能です。この映画の難点は導入部にありました。隣の席の人は 「映画の最初はうとうとしていた」 と正直でした。道元は実際的な人だと思います。なぜなら食事係の職(典座=てんぞ)が特に強い求道心がなければ勤まらない大変な要職であると強調しているからです。著述の一つに 「典座教訓」 があります。

 「普勧坐禅儀」 の内容は具体的で丁寧です。坐禅は静かなところがよろしい。坐る時には厚く敷物をし、坐蒲をつかう。半跏趺坐は左の脚を右のももの上におくだけである。衣服はゆるく身に着ける・・・・などです。手元の映画のパンフレットの初め頁には 「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえてすずしかりけり」 があり、最後の方には 「生という時、生よりほかにものはなく、滅という時、滅よりほかにものはなし」 とあります。道元の考えはひょっとすると死ねばそれっきりという考えに近いのかもしれません。この世こそ浄土でなければなりません。 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3寒4温の日々の中で

2009年03月13日 | ねったぼのつぶやき

 姪の披露宴の招待状が届いた。兄夫婦も九州から出向いて来る。折角の機会だから我が家にもお出でよと電話した。「この所兄がムッツリしてるから解らないわ」と義姉が言う。「いずこも同様似たようなもんよ」と返し是非おいでと念をおした。(芽吹きが待たれる緑道)

Suisenn_005

 我が家もムッツリが解けたばかりだった。ソレは女性の独壇場ではないか?。少なくとも我が家ではそうだ。機嫌を損じ、説明するのも面倒な時ムッツリを決め込むと伝わる。相手が気が利かなくても、時には気が利きすぎてもイヤな時があるのだから始末が悪い。そんな時はそ~っとして自然解凍を待つのがいいカモ。

 定年以来、旅行先では勿論の事、ウォーキング、スーパー、街、レストラン、映画館でご夫婦連れが目に付く。人口も多いが、共働きに始まって共動するパターンが増えたせいだろう。先日TVでアカデミー授賞式をみた。晴れやかな舞台で挨拶の最後には決まって家族に感謝を表明していた。日本でも似たような現象を見かけることも多くなった。例えば小さな舞台が用意されたとしよう。どんな感謝がなされようか。お互いの口から。

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

*検索しヒットした

2009年03月10日 | 捨て猫の独り言

 長い人生の中で無関心であったことの一つに宗教があります。そのマイナスをカバーするかのように最近の読書傾向として宗教がらみのものが増えました。もとより宗教に深く帰依せざるを得ないような事態ではなく、ごく平凡な教養主義的な動機からです。これから仏教は瀬戸内寂聴、キリスト教は遠藤周作、日本の神々は前登志夫や白州正子などを通して学ぶつもりです。まだそれぞれ1冊ほど読んでみたにすぎません。

 そのうちの一人である遠藤周作(1923~1996)の本は1983年に光文社から出版されたインタビュー形式の本 「私にとって神とは」 でした。私の信仰は 「無理しない」 「きばらない」 ことの上になりたっているとあとがきにありました。すらすら読めました。生涯のテーマが 「キリスト教と日本人」 で 「沈黙」 や 「深い河」 が代表作だそうです。

 この作家のもので2冊目は1970年に講談社から出版された 「狐狸庵閑話」 という抱腹絶倒の珍談・奇談の随筆集でした。その中に古今馬鹿集、万尿集、放尿記 乞食、糞土記、くみとり物語、さらした日記、ドサ日記、贋物語、源痴物語などが出てくる一文がありました。さてさてこの傾向のことを表すカタカナ語があったはずだと考えましたがなかなか思い出せません。この言葉探しを解決してくれたのはネット検索でした。

 ためしに排泄物嗜好と入力してネットで検索してみました。即座に 「スカトロジー」 に辿りつくことができました。そこには著名なスカトロジストとしてフロイトとモーツァルトが上がっていました。ためしに我家の国語と英語の両方の辞書を引いてみましたがスカトロジーが載っていません。これはどうしたことでしょうか。それにしてもネット検索の威力に今さらながら驚いています。関連して思い出したことがありました。それはオムツの孫が最初は椅子の上で顔を真っ赤にしながら排便していたのに、そのうちテーブルの下に潜りこんで排便したことです。せつなくもけなげと感じた瞬間でした。 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メール交換・金星物語

2009年03月05日 | ねったぼのつぶやき

 トロント発の金星物語が発端だった。「今月今夜のこの月を見て!上弦の月の右斜め上に金星が見えます。これはオスマントルコがローマを滅ぼした時出ていた形と同じで、イスラム諸国の国旗にはその象徴として付いています」とあった。知人の考古学者が、退職パーティ先で参加者を外(-15度)に連れ出し解説したという。

Peace_boat_270

 重ねて小メンバーにも追信された。「昨夜見た月は雪の上でしたが、あの夜ハーモニカ伴奏で歌った”月の沙漠”も思い出しましたよ。砂ではなく沙なんだと解説しましたよね」 一日遅れのメンバーの返信の後「イスタンブール、札幌、トロントはほぼ同緯度にあるけど、東京は5度ぐらい低いから、トルコの国旗とはズレていた?昨夜は戦いの後疲れた兵士達も同じ月を見ていたカナとロマンチックな気分になって・・」とあった。

 一日遅れのメールは犬の散歩時いつも明星を見てると言い、最近読んだ本との関連性を語っていた。スッカリ前回同様皆で集まって語ってる気分になって、殺していたつもりがニヤニヤ笑いが出てとか、多忙な女史は、子供の頃もらい湯の帰り母と夜空を仰いだ。夜空は大好きでよく見るという。程なくSkypeで顔を見ながらのお喋りになるといいね!と賑やかに空を駆け巡ってのお喋りは広がった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする