玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*枝垂れ桜と濁り酒

2013年03月26日 | 玉川上水の四季

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 鈴木さんが始めた玉川上水オープンギャラリーは2月4日の「立春」で5年目を迎えた。今では鈴木さんは73歳のはずである。雨が降らないかぎり毎日のように玉川上水に「出勤」して、四季の風景をカメラに収めたり、スケッチを楽しんだりしている。ギャラリーは雨風にさらされ砂嵐にみまわれることもある。ギャラリーの真ん中を自転車で横切る人もいる。これほど開かれたギャラリーを私は知らない。ギャラリーは節気ごとに展示を入れ替える。その入れ替え作業は節気の前日の午後3時から始まる。今年になって私も都合がつく限りお手伝いすることにした。

 驚いたことに展示プランは1年先ぐらいまで決めてあるという。まず長期のプランがありそれに基づいて準備するのでなければとても間に合わないという。ギャラリーは展示だけでなくその節気だけにしか出会えない小鳥や蝶や植物を求めて観察会が開かれている。24日の日曜日は「春分」の観察会だった。この日の観察会は私は最初だけ顔を出してあとは不参加のつもりだった。テレビの高校野球と囲碁の決勝戦と私が見たい番組が続いていた。そのことを事前に鈴木さんに伝えると、鈴木さんは声を低くして私に考え直せという。私を片隅に連れていき細長いリュックの中に隠し持った一升ビンを示した。

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 今日の観察会は花見を中心にするというのが鈴木さんの計画だった。私は予定を変更して鈴木さんに同行することにし一度自宅に戻り急いで皆さんの後を追った。ありがたいことに曇り空から陽射しも出てきた。誰かが柵に囲まれた原っぱに土筆(つくし)が群生しているのを発見した。鈴木さんが案内した花見の場所は小平市のはずれにある名も知らぬ公園だった。枝垂れ桜があでやかな色をして垂れ下っている。息をのむほどの色合いに感動する。桜の傍にあるあずまやの中の四角形の腰かけがテーブルになった。そこに蕗の薹やよもぎの天ぷら、カンゾウのお浸し、土筆の佃煮が並べられた。一升ビンは会津の濁り酒だった。

 今日あたりは都立小金井公園では大変な人出だろうと想像した。それにくらべてこの公園の落ち着いた雰囲気はどうだ。子供連れの家族の姿を何組か見かけるだけだ。私は土筆を初めて食べた。少しの苦みとゴマ油の香りが口の中に広がる。1月の屋外での新年会の時もそうであったが、私たちは鈴木さんの厚意に甘えてばかりである。うまい酒をいただいた男たちはこの日は5人だった。そのうちの一人から私に提案があった。これから会費を集める役割を二人でやろうというものだ。このことを女性をふくめた参加者全員に宣言してこれからの協力をお願いした。あの花見の日の後は寒さがぶり返している。ふと見ると庭の柿の木の枝先にぽつぽつと新芽が目立ち始めている。

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*庭先の漏電

2013年03月23日 | 捨て猫の独り言

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 花粉が舞い、大陸からは黄砂が飛来して息苦しく感じられるのがいつもの春である。それだけでなく今年は砂ぼこりに見舞われる風の強い日が多くなった。私の花粉症は一向に治まる気配がない。しかし福島原発事故による高い放射線量の地域のことを思えば春のほこりっぽさを愚痴るのも気がひける。ところでメルトダウンの福島第一原発で停電が発生し29時間も冷却設備が停まるという事故が発生した。調べてみると仮設の配電盤にネズミが入り込みショート(短絡)したのが原因とわかった。大津波もネズミ一匹も想定外のことのようである。

 庭に一本あるツゲの木が枯れ始めた。それらのことに詳しい人に聞くと土壌か虫が原因だろうという見立てである。苦土(マグネシュウム)石灰(カルシュウム)と化学肥料とスプレー式の殺虫剤を用意した。しかし虫が取りついたような気配はない。殺虫剤の散布は後回しだ。まず根元を掘り起こして苦土石灰と肥料をほどこすことにした。掘り起こしたついでに根切りを思い立った。枝切りハサミを土の中に突っ込んで根を切断することにした。しばらく作業をしているとかすかな衝撃があり、その瞬間に胸騒ぎを覚えた。そこに埋設されていた車庫の門扉に通じる電源コードを切断したのである。根切りなどという余計なことをしなければよかったという後悔をしばらくこの身で引き受けた。

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 その日の夜に一部の部屋で照明が点かない。切断の瞬間に漏電ブレーカーが作動していたのだった。翌日になって門扉のメーカーに電話したりしたが結局は近くの電気屋さんにお願いするしかないことが判明した。電源コードはビニール管に保護されて埋められている。切断された箇所を径の一回り大きいビニール管で接続して補修が終了した。全て掘り起こしてやり直しかと想像したが、切断箇所近くの一部の掘り起こしですんだ。嬉しくなって経費はどうぞ多めに請求してくださいというと、それでは五千円という申し出があった。

 列島では例年よりかなり早く桜が咲きはじめた。畑の春菊と小松菜も桜の開花に合わせるようにめざましく伸び始めている。庭先の風景が急激に変化したと感じた。とくに小松菜の葉はすでに野菜とは呼べないほどに肥大化している。それと同時に小松菜の「菜の花」が咲き始めて芳香を放っている。菜の花とはアブラナの花のことだが、小松菜はアブラナの変種だからこれも菜の花と呼ばせてもらおう。これからは葉でなくて花をお浸しにしていただくことになる。菜の花の傍らで黄色のスイセンが咲いている。畑の思いがけない場所に紫色した小さなスミレが三株も咲いているのを見つけた。

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芋餅と文旦ジャム作り

2013年03月20日 | ねったぼのつぶやき

 母の存命中は、この時期になると大玉で皮厚、ピンクの果肉をもつ「鹿児島のボンタン」が送られてきていた。 母亡き後の現在は、「土佐文旦」を職場経由で長男宅分を含め2箱発注している。10kg(中玉約20ケ入り)で送料込5000円だから「ボンタン」よりは高い。どちらも美味ではあるが、慣れて親しんできたボンタンの方が私は好きだ。息子に「文旦」が届いた旨の電話を入れ、一家と共に夕食をしようと呼んだ。折角だから、いい香りを放つ皮でジャムを作り孫達へのプレゼントにしようと考えた。

003 子供らが小さい頃は忙しい日々ながら、時にはパンを焼いたり、オヤツやジャムを作った。芋餅は年に1~2回作るから簡単だが、ジャムはダイニングに据えてあるPC画面と鍋を交互に睨みながらの作業であった。苦みを抜くために3度煮こぼし、水でもみ洗いし、砂糖を加えヘラでかき回しながらグツグツと中火で煮る。煮詰め加減を見ながら、レモン汁と蜂蜜を加えると一段とテリが増し美味しそうな色に仕上がる。甘皮付き2ケ分とレモン1ケ、砂糖150gで、半日かけてコーヒーとジャムの空ビン2ケ分が出来上り、部屋には甘い香りが漂った。

 暗くなってから一家は到着した。何度かトライアスロンに挑戦している息子は、日曜日必要があって池袋まで自転車で片道各一時間強かけて往復したという。到着を待って天ぷら鍋に火を入れる。サツマイモと庭の蕗の薹や菜の花も間にあって丁度いい。大人は蕗の苦みを喜び、子供らはいも天に競って箸を出す。賑やかな会食と団欒を終えると、いつもの様に残りの惣菜や本日作の芋餅、マーマレード、常備用に作りおいた蕗味噌、干し大根漬けなど紙袋一杯詰めて賑やかに帰って行った。

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3寒4温の合間の時候

2013年03月12日 | ねったぼのつぶやき

 3月11日を迎え震災以後の報道を多く眼にした。復興は遅々として進まず、多くの被災者の方々の疲労は色濃かった。ただでさえ人口減に向かいつつある地方が、「原状回復ではなく新しい・未来を見据えた町作り」を要求されている。色んな利害が絡み合って時間を経るごとに事態は混迷を深め、関係者ならずともその困難さが偲ばれ嘆息がでる。遂には他市から応援に入った役人さんが自死の道を選んだ。町に残るも出るも多くの困難が待っている。幾多のジレンマの唯中で、一旦は廃止を謳った筈の国はまたしゃぁしゃぁと原発再開発と言いだした。

001 三寒四温の時候となり、春嵐が吹き荒れてイッキに春~初夏到来と陽気も定まらない。蕾の長かった梅の花は一気に咲き数日で散り果てた。芽吹いていた蕗の薹も、日々せわしく開花して私は摘果に勤しみ、PC片目に格闘した。天ぷら、蕗味噌、おやきは例年通りだが、アク抜きのため重曹を加えた熱湯でさっと湯がき、3~4個づつラップでくるみ冷凍保存を試みた。小出しにして使えるが風味の方は大丈夫だろうか。当分創作料理?に精をだしてみるか。

 春は人や物が入れ換わり引っ越しのシーズンでもある。転勤族でもない私ですら成人後8回引っ越したが、最後の引っ越しから18年が過ぎた。 今後(老後)のことを思えばあと1~2回はその必要が生じるのだろうか。娘は次女が小学校入学で近々再度引っ越すという。人も物も仕事も移動の多い地ではあるが、渡米5年で6回目の引っ越しとは!。「料理の手伝い大好き」の孫娘と台所に立つのは2ケ月後。彼女の舌も少しは肥してやらずんばなるまい。

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*春蘭とカタクリ

2013年03月11日 | 玉川上水の四季

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 この日は5時前に目覚めてラジオのスイッチを入れた。本当に久しぶりのことだ。目覚めきれない寝床の中で「誕生日の花」がシュンランで「花言葉」は飾らない心などと聞こえてくる。「今日の一句」は全部は思い出せないがシュンランはなにやら水の香りがするという句だった。しばらくして「季節のいのち」ではシジュウカラとヤマガラの鳴き声が流れてきた。日曜日10時からの「啓蟄」のミニ観察会は季節外れの暖かさとなった。

 参加者の中にシュンランが咲いている場所に案内してくれる人がいた。草の中にかくれんぼうをするようにひっそりと咲くのがシュンランである。私の一人歩きではとても気付くことは不可能である。昔からかなりの人々に親しまれていたらしい。乱獲ですっかり少なくなってしまったという。この日は玉川上水で何本かのシュンランを発見たのでほっとした気分だった。農園の一角にある満開の河津桜の下では沈丁花が鮮烈な香りを漂わせている。去年この桜にはメジロが群がっていたが今年はその姿はない。

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 遅かった水仙や梅がここにきてやっと満開になった。この近辺では多くの人に親しまれている梅屋敷の梅を愛でる。歩いていると3月1日の春一番の時のような強風に見舞われ始めた。風で砂が舞い上がり煙のように見える砂煙である。執拗な砂煙に気休めにマスクを取り出して着けてみる。この時期のウグイスカグラは小さな赤い花をつけてその存在を主張するので、その数の多さに気付く。鈴木さんはフサザクラ、イヌザクラ、ヤマザクラの場所を案内してくれた。花の時期を迎えるにあたり予習しておくということらしい。

 ここのところの眼科通いで玉川上水を片道50分のサイクリングをする機会が重なった。その帰り路には毎回のように都立小金井公園に立ち寄ることにした。梅林の近くにはロウバイ、アカバナマンサク、サンシュユ、ミツマタ、キブシなどが集中して植えられている。公園の広場では幼稚園児たちがぎっしり輪になってお弁当をいただいていたこともあった。今日の帰り路のことであるが、めずらしく自分一人の力で発見するという出来事が起きた。ケヤキの木が伐採されて、日あたりのよくなった玉川上水の土手にカタクリとアズマイチゲが咲いていた。通りがかりのおばさんが、これはあの角の家の方が育てたものだと私に教えてくれた。

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*口語自由律の歌

2013年03月04日 | 捨て猫の独り言

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 1日に凄まじい春一番が吹いた。自転車で外へ出たが、ほとんど閉じるぐらいに目を細めて視線は下向きにゆっくり進むしかない。店先の商品棚は一気に砂にまみれて、品物はあわただしく店内に移されたようだ。まとまった落葉がかわいた音をたてながらまるで生き物のように路上を蛇行していた。いつも春はほこりっぽく、どことなく気持ちが落ち着かない。

 宮崎信義さんの95歳と96歳の折の歌をまとめた歌集が刊行されて、その中のいくつか歌を紹介した記事を読んだ。私はこの記事で初めてこの歌人のことを知った。口語自由律の歌とある。私はこれらの歌に新鮮な驚きを受けた。そして忘れかけていた「むずかしいことをわかりやすく、わかりやすいことをふかく、ふかいことをおもしろく」という言葉を思い出していた。

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 その歌を何首かここに取り上げる。「私のいのち見えるだろうか空を飛ぶ一羽の鳥のいのちが見える」「私のいのちがあなたに移る不滅のものこそいのちなのだ」「近く一人の生涯が終わる過去と未来の中継ぎ役は果たせたか」「何にしても別れはつらいが始めと終わりはやっぱり一人」「生きていようが死んでいようがどちらでもよくなったよいお天気だ」

 小平市では6日に住民投票条例案を審議する臨時本会議が開かれる。2日の新聞報道では、多くの会派が最終的な判断を決めかねており見通しは不透明とある。どんな結末を迎えるのか落ち着かない。さらに今週は3日も病院通いをせねばならなくなった。昨年暮に半年に一回の内科医の診察をキャンセルしたままで放置していた。なんの未練かやはり受けておくかと予約申し込みをした。まず検査がありそのデータに基づいた診察となるから2日は必要となる。ところが予想に反して申し込んだ翌日すぐに検査で一日おいてただちに診察と今週中にまとめてやることになった。そんなに急がなくてもという気持ちをひきずりながら眼科と合わせて週の前半に3日の通院となった。

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