玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*物置の組み立て

2019年08月26日 | 捨て猫の独り言

 引きこもりの経験がある人たちを積極的に採用している「屋根ふき会社」を紹介した民放のニュース番組はグッと胸に迫るものがあった。炎天下に高さ10mの屋根の上での作業は過酷なものがある。番組は男女それぞれ一人を紹介していたが、自立の目途が立ち、ひかえめな喜びが伝わる。悩みを深く経験してきた人たちだけに簡単にやめることはないと社長は語っていた。

 8-23毎日新聞夕刊で探検家であり医師でもある関野吉晴氏の近況を知った。1949年生まれで武蔵美で文化人類学を教え現在は名誉教授だ。03年に都内の「皮なめし工場」において無給で1年間働いた記録を一冊の本(非売品)にまとめた。少数派の視点で文明や社会を見つめ直したいという。鷹の台駅前通りの関野吉晴・屋外写真展は期限がとっくに過ぎても写真は壁に貼りついたままだ。この状態が続くことは町の人の願いだろう。

 

 これまでの物置はシャッタータイプだった。プラスチック製で劣化が進んで上下に開閉できなくなった。これまで店頭で物置をそれとなく物色していたがなかなか適当なものが見当たらない。こういうときこそパソコン検索ということに気づき、さっそく選んで注文すると、すばやく品物が届いた。これまで使っていたタイプの物置はネットのカタログに全くない。今回の物置は扉式でスチール製である。新潟県三条市で作られていた。

 

 ジグソ―パズルやプラモデルにはなぜか縁がなかった。おそらく物置の組み立てはプラモデル作りの気分にも似ているのだろう。地枠に側板を取り付ける初期段階では手助けが必要だが、その後は一人で大丈夫だった。取付穴に徐々にねじ溝を作りながら締めるためのタッピンねじと呼ばれるねじがあった。その必要性をまるで理解できなかったがとりあえず完成した。これまでより縦長になった。古い物置処分のため粗大ごみ回収の手続きをせねばならない。

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*ヤブガラシ

2019年08月22日 | 玉川上水の四季

 囲碁棋士の坂井秀至(46)が医師に転身する。ただし引退とはせずに復帰に含みを持たせている。坂井八段は「休場は断腸の思いだが、20年、30年単位で人生を考え判断した」と話した。これを聞いて数学者の森毅の「人生20年説」を思い出した。自分の一生に見当がついてしまったようなことを言う若者に対する苦言だった。八十までなら、人生を四度生きられる。

 我が家の北側は都営住宅の駐車場になっている。フェンスに沿って都営住宅の敷地にはベニカナメの植え込みがある。今年になってヤブガラシがベニカナメを覆うように繁っているのに気付いた。驚くほどの繁茂ぶりなのだ。数は少ないが、ところどころにはかわいそうな名のヘクソカズラの花が可憐な姿を見せている。ヤブガラシとは別に、名も知らぬつる植物が知らぬ間に雨どい(縦)に絡みついて屋根まで高く伸びていた。(ヤブガラシ、?、ヘクソカズラ)

 

 鈴木さんの「立秋」の冊子にヤブガラシの解説があった。蝶にとって一番大切なのが食草(食樹)だ。アオスジアゲハの幼虫の食草はクスノキで、成虫となってヤブガラシの蜜を吸います。ヤブガラシはつる植物で、梅雨の頃につるを伸ばして、他の植物の上に覆いかぶさって、枯らしてしまうのが名の由来です。子どもの頃にアオスジアゲハを追いかけて捕まらないのであきらめかけた時にヤブガラシに止まっている姿に出会って、そこで待っていて何匹も捕まえたものです。だからアオスジアゲハを撮るときはヤブガラシのところで待ちます。

 作家・梨木香歩の「植物と仲良くなり、ときどき食べる」という毎日新聞日曜版の連載記事にヤブガラシの蜂蜜のことが出ていた。ヤブガラシの蜜は軽やかでフルーティーで華やか、上品ですらあるという。一つ一つ、小さな花の真ん中に珊瑚色の花盤があって、その中央に白っぽい花柱が小さなロウソクのように立っている。これをさらにミニチュアの燭台のように見せているのは、花盤に溜まった蜜である。

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*手紙

2019年08月19日 | 捨て猫の独り言

 =帰国した13歳と11歳の孫に=ジジはフェイスタイムができないので手紙を書きます。手紙の方がいろいろと伝えることができるような気がします。初めての二人だけの飛行機の旅で何か困ったことはありましたか。13歳は大人の料金で、11歳は子供の料金というのはジジは納得できません。世間では一度決まったことを改めてもらうのはとても大変なことです。

 明日香ちゃんと巡くんと鈴ちゃんに帰ったら手紙を書くと約束していましたね。約束は守られていますか。2人が飛行機で帰った翌日に、巡くんたちは24時間かけて船でしか行けない小笠原の父島に出かけて、台風で予定より5日遅れてやっと帰ってきました。誰のせいでもないけれども、あなたたちを見送った翌日の出発にしたためにこんな結果になりました。

 新学期が始まってあわただしい毎日のことでしょう。二人とも楽器はフルート、スポーツはサッカーと同じものを選んだそうですね。ジジは楽器は何もできずに、バスケットボールだけでした。何か楽器のできる人がうらやましい。ママは二人が大学まで行くことを願っているはずです。そこで専門の資格を取るべきです。ジジはそれに気付くのが遅くてその後苦労しました。

 二人ともよく本を読んでいましたね。これからも読書は続けてください。スペイン語も習うようですね。世界中にいろんな言葉があるのも不思議です。いつもは仲良しなのに、2回ほど大喧嘩をしましたね。それとは別にスミレは「アンガーブック」に英語で書き込んでいました。セルフコントロールなのでしょう。そのブックは誰かのアドバイスですか。

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*クズの花

2019年08月15日 | 玉川上水の四季

 鈴木さんの自宅の隣にある「花のアトリエ」の前を通ると、鈴木さんがその庭先でスケッチをしている姿を見かけた。孫が帰国する前のことだ。上の孫を連れていた私は、鈴木さんの作業が中断することを承知で声をかけた。鈴木さんは庭先のオニユリの開花のいくつかの瞬間をとらえて一枚の絵の中に描き止めようとしていた。孫たちが来日する前に、五日市街道近くで鈴木さんを見かけた時のスケッチはノカンゾウだった。

 上の孫は鈴木さんとは顔なじみである。ギャラリーの展示を手伝ったこともある。「いや~大きくなったね」と驚き、喜んでくれた。「大学を卒業したら日本で働くといいね」などとけしかけるが、日本語能力がそれほどの水準にないこと知る保護者としては忸怩たるものがある。そのうち何ごとかと、母屋から奥様も姿を見せた。鈴木さんは新たにアトリエ前に植えたクズの葉を手に取り、これはウラギンシジミの観察のためと教えてくれた。

 鈴木さんご夫婦は、二世帯住宅の同じ屋根の下に住んでいた息子さんに先立たれた。オープンギャラリーを閉じたのもそれが原因だった。以前と違い六畳一間のアトリエは雑然としていた。薄暗いアトリエの部屋から数枚の鉛筆画を持ち出してきながら、そのうちここも片づけて皆さんにこのようなものの展示を見てもらおう。そして昔と同じように集まって「うどん会」を開こうと自らを鼓舞するように話されるのだった。

 繁り始めたハギの周りを小さな黄色の蝶が飛んでいる。その名を思い出したいときには鈴木さんの冊子を見ればよい。そしてキタキチョウであることを確認する。毎年更新されていたので同じ節気のものが何冊もある。それは私の貴重な図鑑である。キタキチョウの横のページには「ウラギンシジミを観察するには、クズの花が咲く処暑(今年は8・23)が一番良いようです。時間帯は午前11時ごろ」とあった。図鑑以上の冊子である。

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*「苦情」いろいろ

2019年08月12日 | 捨て猫の独り言

 玉川上水の柵の内側で、季節になるとそれはそれは見事に咲くヤマユリがあった。我が家から数分しか離れていない場所にそれは咲くのだった。今年はそのヤマユリに異変が起きていた。時期が近づいても茎や葉が確認できない。悔しいことに盗掘されたに違いない。これは私の花だと言っていた孫の「りり」も今年はついに見ることなくアトランタに帰った。

 

 今年も甲子園で炎天下の熱戦が続いている。テレビに映ることの多いバックネット裏の最前列あたりには、今では招待された野球少年たちがおとなしく、すまし顔で陣取っている。少し前までは「8号門クラブ」のおっさんやら、おばはんの姿を確認するのが私のひそかな楽しみだった。あの曰く言い難い庶民的な情熱を、社会は良識という名のもとに排斥した。

 小平市ではこの4月からごみの有料化が始まり、戸別収集に変わった。今まで燃やさないごみだった革製品、ゴム製品、カセットテープなどが燃やすごみに変わった。3世帯以上でグループを作れば週1回生ごみを回収して「たい肥化」するシステムがあるようだ。燃やすごみ用の指定収集袋の頑丈なことに感心した。どんなにぎゅうぎゅうに詰め込んでも破れることはない。破れやすいという苦情をあらかじめ避けたのだろう。

 その是非について住民投票も行われた小平市でも、都の道路建設事業が着々と進行している。隣の国分寺市では道路予定地の立ち退きはほぼ完了して住宅は撤去されている。小平市部分は遅々として進んでいない。それでも櫛の歯が欠けたように空き地が目立つようになった。そのすべての空き地はアスファルトで覆われ、頑丈な金網のフェンスで囲われて立ち入ることはできない。雑草を何とかしてくれとか、安全対策が不十分だとする苦情を避けるためだろう。

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*奇跡ということ

2019年08月05日 | 捨て猫の独り言

 梅雨が明けて、死者が出るほどの高温の日々が続いている。昼間の外出は熱風の中を急ぐことになる。最近の自然は中庸ということを忘れたらしい。異常と言えば今年は育てているゴーヤが葉は繁っているのに実をつけない。梅雨時の日照不足が原因だろう。毎年のことだがトマトは市販のものを補充しないと間に合わない。その一方でキュウリは順調で消費しきれないぐらいだ。

 奇跡ということを信じるようになった。この地球上に自分を含めて生きものが存在することこそが奇跡そのものだ。地球上に満ち溢れる数々の命に驚く。この狭い町でも、行き交う人はほとんどが初対面の人だ。テレビでは初めて見る数限りない動植物の映像が紹介されている。この自分というものが消滅するとき、世界も消滅するのだが、いずれ人類も地球と共に消滅する時が来るという考えも消し去ることはできない。

 孫たちが今日で51日間の日本滞在を終える。初体験になるが、今回の帰国は子供2人だけの飛行機の旅になる。先に帰国した母親に負けないぐらいの大きさのカバンを持参していた。ところで今回の来日はこれまでと違った意味があったのだ。祖母が予防的とはいえ大手術を決断し、その手術の日程に合わせての来日だった。幸い大手術は無事に終わった。

 

 短期間とはいえ「そろばん塾」を開いて大成功だった。「3ケタと1ケタのかけ算」まで進んだ。そろばんのことを何も知らない塾長だったから、塾生と一緒に悩むことができた。選んだテキストも良かったようだ。何よりも暑さの中の生活に、「そろばんの時間」という、芯が一本入ったことは大きい。泊りの旅行には連れてゆけなかった。西東京市にある六都科学館、池袋のサンシャイン水族館は記憶に残ることだろう。

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