玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*老いの作法

2024年02月29日 | 捨て猫の独り言

 谷川俊太郎は1931年12月15日生まれの92歳だ。月に一度新聞に詩を投稿し続けている。妻だった3人はすでにこの世を去り、最後の妻は「言葉だけで生きて、人と交わらない人」と評したらしいが、2人目の女優の妻とは30年以上も連れ添い2人の子を育てたからには立派な生活者だ。

 1月21日掲載された「意見は言わずに」と題した、3連の詩のうしろ2連を鑑賞する。   「老い先短い私は このままあっちへ行くつもりですが 自分はさておき いのちをもらったこの世が心配 心配の種は人間自身が蒔いたらしいが それかどうかも他人の意見の受け売りです」 

 「意見は言わずに 詩を書きたい私です 書き続けるうちに意味に頼らない言葉が どこからか雪のように舞い降りてくる あるいは雑草に混じって芽を出す そんな平凡な奇跡を気長に私は待っています」〈意味に頼らない言葉〉とは?詩人とは言葉に新しい意味を見出す人だと思っていたが・・・。

 吉本隆明が「死」に対する考え方をいくつか紹介していた。高村光太郎「死ねば死にきり、自然は水際立っている」。ボーボワール「死は世界における不在」。道元「自分では分からないからそんなもの考えるな」。米寿も近い養老孟子は言う「生きるとはどういうことなのか?起きて半畳、寝て一畳、僕の答えはその程度」多くの先達の老いの作法の中に、谷川俊太郎の詩も加えて、参考にしてゆきたい。

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*司会者・恵俊彰

2024年02月26日 | 捨て猫の独り言

 TBSの昼の顔としておなじみ、「ひるおび」司会の恵俊彰は、出身の高校が私と同じで彼は私の20年後輩である。むろん向こうが私を知るはずもない。「通っていた高校はスパルタで、僕は落ちこぼれ組でした。高校のそばにあった同級生のお兄ちゃんのアパートをたまり場にして、友達とギターを弾いたり、麻雀したりして過ごしていたんです」

「どんどん落ちこぼれて大学受験にも失敗、東京で浪人するのですが、キラキラ輝く東京が楽しくて予備校にも行かなくなり、2浪、3浪してもどこにも行けず、芸能の世界に入ってゆくわけです」後悔が蒸し返され将来の不安がさらに膨らみという悪循環(蟻地獄)に落ち込んだ経験は私には恵俊彰より遅れて高校卒業後に訪れた。

 「父は大島紬の職人で、厳しい人でした。去年その父が亡くなり初盆で鹿児島に帰りました。東京での生活が圧倒的に長いのに、鹿児島は不思議と帰る場所なんですよね。そして桜島を見ると、今はこんなことにチャレンジしたいと思います。応援してくださいと勝手に誓っているんです。鹿児島にいた頃は見向きもしなかった山なのに、今は話しかけてしまうくらい、大きな存在なんです」

 恵俊彰のことを調べてゆくうちに俳優の岸谷五郎が、恵俊彰と同年齢で親交があるということを知った。しかもその岸谷が小平高校卒業だという。これから注目してゆこうと思う。政治風刺のソロ芸人の松元ヒロは鹿児島出身だし、落語家の林家たい平は私の好きな秩父市の出身で、それに我が家の近くの武蔵野美大の卒業生でもある。

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*縮む私の生活圏

2024年02月22日 | 捨て猫の独り言

 退職直後から12年ほど続けていた週に一度の公民館囲碁を2年前に、パタリと止めてしまった。不思議と後悔の念は全く起きなかった。このことを含めて家でゴロゴロしている私を一度も責めたことがない同居人には感謝している。囲碁については月に一度、遠出しての高校同級生との4人囲碁会は続いている。囲碁の後は飲み会というおまけつきだ。

 生活の変化という事で言えば、高校同窓生とのメールのやりとりがどういうわけかこのところ不活発になっている。また二十四節気ごとの月に2回の玉川上水観察会が無くなって、かれこれ7年になる。オープンギャラリーを鈴木忠司さんが閉鎖し、それと同時に観察会も途絶えた。今でも玉川上水の辺りで鈴木さんにお会いすることがあるのだが。

 無職になってこれまで、いわゆる世間との付き合いのない閉ざれた世界でしか生きてこなかったなあと物足りなさを感じることがある。そんな私にとって観察会が無くなったのは大きな痛手だった。出歩く機会が少なくなり、季節の草木や生き物を見逃がすことが多くなった。この2月4日の「立春」は母の百歳の祝膳に参加して鹿児島にいた。また今年は年明けから体調が万全でなく、この間引きこもりがちだった。

 そして2月19日の、「雨水」は全国的に季節外れの夏日となった地域が多かった。この日、庭の蕗の薹が今年初めて我が家の食卓に登場した。かつて近隣に自生していたの蕗の薹は、急激な宅地化で壊滅的な状態だ。さあて、これから先は手元に残る鈴木さん作成の二十四節気パンフを手引きに積極的に外出することを心がけようと思う。

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*医療現場

2024年02月19日 | 捨て猫の独り言

 こんな記事を読んだ。「膝が痛い」と病院を転々とするも治らぬ夫、医師は2週間後には治っているはずと豪語したそうだが、その気配は全くない。多少の医療知識を持つ妻の私が付き添って、当日一緒に診察室に入り、脇の椅子に座った。だが医師はパソコンに向かったままで、私を一顧だにしない。それどころか、夫の膝も診ずに次回の予約を入れようとした。ところで、この記事の筆者の提案は「医学部入学選抜はくじ引きに」だった。

 養老先生がつぎのように指摘している。「問題はむしろ人間がどんどんAI化していることですよ。もはや統計やデータが現実になってしまっている。医療現場では随分前から、医師は目の前の患者の肉体なんて見ていない。診察室でもカルテとパソコンの数値をひたすら眺め、統計の正規分布の両端だったら異常ですなんて言っているんだから」

 東京慈恵医大は宮崎出身の高木兼寛によって創立された。病院には兼寛が残した「病気を診ずして、病人を診よ」という標語が掲げられている。最終の目的は病気を治すだけでなく、病気を持った患者さんの苦しみをなくすことだ。医学的力量だけでなく、人間的力量を兼ね備えた医師を育てたいという思いがこもる。

 幸いにも、私の膝は2週間経過したあたりから痛みがやわらぎ、快方に向かった。痛みの原因は腰にあるとの説明を受けた。年末に過激に鋸を引く作業をしたのが原因かもしれない。この種の痛みは2週間の辛抱が相場のようだ。この経験のあと、この世には足が痛そうに歩いている人がいかに多いかに気付いた。

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*さわやか人事

2024年02月15日 | 捨て猫の独り言

 アメリカ大統領選挙の候補者の顔ぶれを見て暗澹たる思いの人は多いだろう。有力候補とされている二人とも高齢のため激務に耐えられるのだろうかと危ぶまれる。共和党はともかくとして、民主党はバイデン氏に代わる若手が出てこないのがなんとも不思議でならない。

 女三四郎の異名を持つ柔道出身の山口香(1964年生まれ)さんは、2011年まで10年間オリンピック委員会理事、現在は筑波大学で教鞭をとる傍ら日本サッカー協会の理事も務める。数多い組織のトップ(権力者)たちの中でも、これまで山口さんの言動は信頼され広く受け入られてきた。

 その山口さんが寄稿したコラムで、つぎの事を知をしり久しぶりに爽やかな気分になった。日本サッカー協会では今年3月、宮本恒靖(つねやす)さんが新会長になる見通しだという。47歳での就任は史上最年少。元Jリーガー、W杯経験者というのも初だ。サッカー協会に栄あれと声援を送りたい。

 宮本氏は2002年の日韓W杯と2006年のドイツW杯でキャプテンを務めた。ケガのための顔面マスクを覚えている方は多いだろう。W杯でともに活躍したのが同年齢の中田英寿だ。ヒデは高校生の頃からイタリアのプロリーグを目指してイタリア語を勉強し、イタリアに渡って2か月後には通訳なしで会話ができたという。そういったスターたちを巻き込めと山口さんはアドバイスしている。

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*自分の身体

2024年02月12日 | 捨て猫の独り言

 一月の半ばに足を引きずりながら、整形外科を受診してレントゲンを撮り2週間の痛み止めを処方してもらった。ところが我慢できずに1週間後に相談に行くと、担当医は「薬を追加します、また2週間後に」と宣う。帰省する予定があることを伝えて、それを3週間後に変更してもらう。

 初診から2週間後に腰が伸びたねといわれるようになった。快方に向かっているとの実感があった。しかし医者は症状の見通しとか、注意事項などはなにひとつ話してくれなかったことに気づいた。ちゃんと質問しない患者の私が悪いと責められた。

 しばらく日課の朝6時半のラジオ体操は椅子に腰かけて行った。旅行中はゆっくり歩く限り、それほど足を引きずることもなく、寝床で痛みを感じることもなかった。関東地方が大雪に見舞われた日に、雪と同時に帰宅した。その翌日からラジオ体操は椅子に座ることなく行えている。

 旅から帰って3日後に、こんどは発熱があった。風邪をひいたのは、いつのことだか思い出せないぐらい遠い昔のことだ。これは3日ほどでひとまず治まる。しかし膝痛も鼻グズもまだまだ不快感は残る。「自分の身体は自分で管理せよ」というのを、故郷の友人は親から「我がこっじゃが」と、しきりに言われたと教えてくれた。

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*百寿

2024年02月08日 | 捨て猫の独り言

 鹿児島に住む母が、この1月31日で百歳を迎えた。順に男、男、女、女の子をきっちり3年おきに生んで共働きをしながら4人を育てた。施設に入らず、千葉から介護のために故郷に戻った長女と二人で暮らし、今でも週に3回デイサービスに出かけ、その間長女は仕事に出る。室内での移動は手押し車につかまり、どうにか用を足すことができている。

      

 鹿児島市 〇〇慶子殿 

  大正13年1月31日生

 あなたが百歳のご長寿を達成されたことは誠に慶賀にたえません。ご長寿をことほぐこの日に当たりここに記念品を贈りこれを祝します。

 令和5年9月15日

内閣総理大臣   岸田文雄

             

      百寿のお祝い

      〇〇慶子殿 

     大正13年1月31日生

 あなたは本日めでたく百歳の誕生日を迎えられました。全市民とともに心からお祝い申し上げます。一世紀という長きにわたり社会へ貢献してこられましたことに深く敬意と感謝の意を表しますとともにこれからもすこやかにご長寿を重ねられますようお祈りいたします。

 令和6年1月31日

    鹿児島市長 下鶴隆央

                      

 百寿者のことを英語では「センテナリアン」というそうだ。日本でその数は51年連続で最大を更新し続け、今年度は92139人という。団塊の世代(1947~1949)が100歳を迎え始める2047年には50万人を突破すると予測されている。

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*再び養老先生

2024年02月05日 | 捨て猫の独り言

 養老先生がその手の内を語ったことがある。「学問の秘訣というのは、とにかく問題を一番極端な所まで持っていくことなんです。たいてい学問には両極があり、一番極端なところで成り立つ話と言うことを考えれば、あとはどうでもいいんです」

 ここで学問とは、ひとつの体系だった秩序と世界観でまとめあげられた思考のことと解釈してよいだろう。有名な「唯脳論」の展開を見ていくことにする。ここでの両極端は「脳」と「身体」だろう。ヒトの歴史は「自然の世界」に対する「脳の世界」の浸潤の歴史だという世界観が示される。

 意識と無意識という両極も登場する。意識とは何ぞやについては、ひとまず「意識(心)とは脳の機能である」と定義される。しかしその正体は何なのかよく解っていないとした。唯脳論は「心身二元論」でも「心身一元論」のどちらでもないと言われるゆえんだろう。

 養老先生の思索は両極を振り子のように移り続ける。唯脳論は脳への眼差しを社会に伝えたが最後はアンチ脳の態度を表明する。「ひとたび大地震に見舞われれば脳化の産物たる東京などもろい。電気や水道のシステムが止まれば、人間は呼吸し、食べ、排泄する身体的存在だという当たり前の現実に向き合わざるを得ません」と語る。

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*生活歌人・俵万智

2024年02月01日 | 捨て猫の独り言

 歌集「サラダ記念日」で社会現象を巻き起こした俵万智さんが、昨年第七歌集「アボガドの種」を出版した。短歌を始めて40年がたち俵さんは還暦を過ぎた。20代、30代では恋愛の歌を、40歳で男児を出産し、シングルマザーとして子育をする。父親が誰なのか公表していない。

 1911年の東日本大震災による福島原発事故のため、仙台から沖縄へ移住する。この移住がちょっとした話題になった。沖縄に住んだ5年間は子どもの歌を数多く詠んでいる。子供の教育を考えてのことだろう沖縄から宮崎に移住する。

 一昨年春に息子は大学に進んだ。これを機に6年半暮らした宮崎から高齢となった両親と暮らすため仙台に移る。この頃悪性リンパ腫の治療を受けて寛解し「病気して初めて自分の心を支えてくれていたのはこの身体なんだ」と気付いたという。「これまでと変わらず日常を味わって生きていけば、歌を続けていける」という思いを述べている。

 「言葉から言葉をつむがずテーブルにアボガドの種芽吹くのを待つ」AIが瞬時に短歌を作成する様子を目の当たりにして詠んだ歌という。言葉から言葉をつむぐことならAIにもできるが、ゼロから言葉を生み出すことは人間にしかできないとの思いを込めた一首だ。

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