玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*「無知の死」を再読

2024年04月01日 | 捨て猫の独り言

 つい最近、2021年10月出版の島田博巳著「無知の死」を読んだ。読み進むんでまもなく、これは以前読んでいると気づいた。それでも最後まで読むことにした。そして、この本は第一章の「人はどうやって死んでゆくのか」だけを押さえればいい、というのが二度目の読後感だった。あとの章には死生観とか安楽死などが取り上げられている。

 このブログ内で検索してみると、2021年の12月に私はこの本について「死生観」という題で投稿している。時を経れば読後感も違ってくる。私の父親は14年前に死んだ。病院に駆けつけたときは回復の見込みのない昏睡状態という状況だった。

 

 第一章にある医者の自然死の話。「お別れの時までの目安として、食べられなくなってからは1週間、尿が出なくなったら2~3日です。臨終の場面では、のどの奥がゴロゴロとなることがあります。呼吸が不規則になります。顎だけでしゃくりあげるような呼吸を”下顎呼吸”といいます。亡くなる直前のサインです。このとき、本人は苦痛を感じていないので見守ってあげましょう」

 立花隆が父を看取るときの話があった。「いよいよ危ないという時に、病床の傍らに僕はいました。そして彼の喉仏が上がったり下がったりするスピードがだんだん遅くなって、ついに止まるところを目撃したのです。散々人の死をみたり書いたりしてきましたが、人間が息をひきとる瞬間をじっくり見つめたのはこのときがはじめてで、死とはこういうものかと思いました。そして臨終を細部までウオッチしたとき、そこになにか恐ろしい瞬間があるわけではないと思いました」

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