Momus(Nicholas Currie のソロプロジェクト)に「1999年の夏休み(summer holiday in 1999)」という曲がある。
学生の頃よく聞いていた。
抑え目な曲調ながらポップで、独特の雰囲気がある心地よい曲だった。
http://gw.jmd.ne.jp/media.asp?ShopCode=WR001&Pass=xsb91fub28...
その曲にならって、このエントリは「1998年の冬休み」とタイトルを付けさせていただこう。
10年前、学校を卒業してからしばらく無職だった私は、その後半年近く派遣社員として組立工場で働き、得た数十万を手に冬のロンドンへ向かった。
1月後半から3月後半までの短い間だったけど、私のはじめての海外旅行は印象深いものとなった。
Long Vacation というか、Long Sightseeing 。
オックスフォードストリート、ソーホー、ピカデリーサーカス、コベントガーデン、カムデンロック、ポートベロー。
ドクターマーチンの靴をすりへらして毎日歩き回った。
ロンドンでは、ウィンブルドン(Wimbledon)郊外のモーダン(Mordan)という街で、労働者階級のお宅にホームステイさせてもらった。
当時16歳の長男ペルリ、12歳のティファニー、小さな男の子も2人。
奥さんは34歳。新しい夫との間に赤ちゃんが産まれたばかりだった。
ウィンブルドンのスワンディーン・スクール・オブ・イングリッシュ(Swandean School of English)は小さな語学学校。午前中だけ英会話中心の授業を受け、午後はロンドン中心部まででかけてさまざまなところを歩き回った。
ソーホーではいろんな CD Shop や Sex Shop(ポルノショップ)をめぐった。
中古CDのジャケットに妙な日本語を記したものが目に付き、おもしろく感じた。
セックスショップではおとなしそうな男がゲイビデオやゲイグッズ?の棚をながめていた。
中古エロ本が山積みにされたところには千代の富士の写真冊子があった。
語学学校の同じクラスの日本人の女の子といっしょにコベントガーデンのドクターマーチン(靴屋さん)のビルに行くと、彼女はDJもやっているという店員さんから「イエモンを知ってるか」と聞かれた。
エクスカージョン(遠足)では郊外の町にも向かい、ストーンヘンジも見ることができた。
ウィンブルドンの駅の近くにはおいしいイタリアンレストランがあり、そこではじめて絶品のペンネアラビアータを知った。
大きなフィッシュ&チップスや中華街のレストランの中華バイキングをよく食べ、イギリスの食事に不満はなかった。
ビールもおいしかった。
高級住宅街のパブや労働者が集うパブ、金融街(シティ)のパブ、黒人地区のライブハウス(Brixton Academy)やテレビの音楽番組を収録するライブハウス(Hanover Grand)も訪れ、いろんなところで1パイントのギネスを飲んだ。
ダフ屋からチケットを買っては、Sleeper や Rialto、Uruseiyatsura などのライブを見に行ってビールを飲み、ジャンプした。
スーパーでホブゴブリンというビールを買って帰り、ホストファーザーに見せると、奇怪な化け物が描かれたラベルをしばし見て「これはいいビールだよ」と言われたこともある。
昨年だか一昨年だかには東京の渋谷にもホブゴブリンのパブができたので、懐かしくてときどき足をはこんでいる。
帰国が近くなったある日、ピカデリーサーカスの交差点の一角で白人男性が建物の脇に腰を下ろし、物乞いをしていた。
たて笛を吹いている。その前を通り過ぎ、しばらくして足が止まった。
「かーあさんがーよなべーをしてー、てぶくろ編んでくれたー、こがらし吹いちゃーつめたーかろうてー」の曲ではないか。
なぜ彼がその曲を吹いているのだ。
物乞いに対しては一切お金を払わないことにしている私だが、そのときばかりは引き返し、1ポンドだけ彼の目の前の帽子に入れた。
1998年の冬は、ヨーロッパ各地で記録的な暖冬だった。
子ども達とサッカーボールでちょっと遊ぶと汗ばみ、公園の脇には小さな花が咲き、3月末にもなると、桜にも似た木が見事な花を咲かせていた。
台湾人のナイキ、スペイン人のネストール、アルゼンチン人のエレアナ、リカルド、アレサンドラ、日本人のユキエ、マキコ、みんな元気だろうか。
なつかしく思い出す、1998年の冬休み。
ウィンブルドンの駅の近くのスーパーで買った、上部と下部が木でできていて中心部分が透明な Cole&Mason のペッパー&ソルトミル。
ハロッズ本店で買った紅茶が入っていた小さな木箱。
1998年の冬休みの名残は今もまだ私の部屋に残っている。
学生の頃よく聞いていた。
抑え目な曲調ながらポップで、独特の雰囲気がある心地よい曲だった。
http://gw.jmd.ne.jp/media.asp?ShopCode=WR001&Pass=xsb91fub28...
その曲にならって、このエントリは「1998年の冬休み」とタイトルを付けさせていただこう。
10年前、学校を卒業してからしばらく無職だった私は、その後半年近く派遣社員として組立工場で働き、得た数十万を手に冬のロンドンへ向かった。
1月後半から3月後半までの短い間だったけど、私のはじめての海外旅行は印象深いものとなった。
Long Vacation というか、Long Sightseeing 。
オックスフォードストリート、ソーホー、ピカデリーサーカス、コベントガーデン、カムデンロック、ポートベロー。
ドクターマーチンの靴をすりへらして毎日歩き回った。
ロンドンでは、ウィンブルドン(Wimbledon)郊外のモーダン(Mordan)という街で、労働者階級のお宅にホームステイさせてもらった。
当時16歳の長男ペルリ、12歳のティファニー、小さな男の子も2人。
奥さんは34歳。新しい夫との間に赤ちゃんが産まれたばかりだった。
ウィンブルドンのスワンディーン・スクール・オブ・イングリッシュ(Swandean School of English)は小さな語学学校。午前中だけ英会話中心の授業を受け、午後はロンドン中心部まででかけてさまざまなところを歩き回った。
ソーホーではいろんな CD Shop や Sex Shop(ポルノショップ)をめぐった。
中古CDのジャケットに妙な日本語を記したものが目に付き、おもしろく感じた。
セックスショップではおとなしそうな男がゲイビデオやゲイグッズ?の棚をながめていた。
中古エロ本が山積みにされたところには千代の富士の写真冊子があった。
語学学校の同じクラスの日本人の女の子といっしょにコベントガーデンのドクターマーチン(靴屋さん)のビルに行くと、彼女はDJもやっているという店員さんから「イエモンを知ってるか」と聞かれた。
エクスカージョン(遠足)では郊外の町にも向かい、ストーンヘンジも見ることができた。
ウィンブルドンの駅の近くにはおいしいイタリアンレストランがあり、そこではじめて絶品のペンネアラビアータを知った。
大きなフィッシュ&チップスや中華街のレストランの中華バイキングをよく食べ、イギリスの食事に不満はなかった。
ビールもおいしかった。
高級住宅街のパブや労働者が集うパブ、金融街(シティ)のパブ、黒人地区のライブハウス(Brixton Academy)やテレビの音楽番組を収録するライブハウス(Hanover Grand)も訪れ、いろんなところで1パイントのギネスを飲んだ。
ダフ屋からチケットを買っては、Sleeper や Rialto、Uruseiyatsura などのライブを見に行ってビールを飲み、ジャンプした。
スーパーでホブゴブリンというビールを買って帰り、ホストファーザーに見せると、奇怪な化け物が描かれたラベルをしばし見て「これはいいビールだよ」と言われたこともある。
昨年だか一昨年だかには東京の渋谷にもホブゴブリンのパブができたので、懐かしくてときどき足をはこんでいる。
帰国が近くなったある日、ピカデリーサーカスの交差点の一角で白人男性が建物の脇に腰を下ろし、物乞いをしていた。
たて笛を吹いている。その前を通り過ぎ、しばらくして足が止まった。
「かーあさんがーよなべーをしてー、てぶくろ編んでくれたー、こがらし吹いちゃーつめたーかろうてー」の曲ではないか。
なぜ彼がその曲を吹いているのだ。
物乞いに対しては一切お金を払わないことにしている私だが、そのときばかりは引き返し、1ポンドだけ彼の目の前の帽子に入れた。
1998年の冬は、ヨーロッパ各地で記録的な暖冬だった。
子ども達とサッカーボールでちょっと遊ぶと汗ばみ、公園の脇には小さな花が咲き、3月末にもなると、桜にも似た木が見事な花を咲かせていた。
台湾人のナイキ、スペイン人のネストール、アルゼンチン人のエレアナ、リカルド、アレサンドラ、日本人のユキエ、マキコ、みんな元気だろうか。
なつかしく思い出す、1998年の冬休み。
ウィンブルドンの駅の近くのスーパーで買った、上部と下部が木でできていて中心部分が透明な Cole&Mason のペッパー&ソルトミル。
ハロッズ本店で買った紅茶が入っていた小さな木箱。
1998年の冬休みの名残は今もまだ私の部屋に残っている。