スーパーモデルの競演を見て、
「どのモデルもそれぞれの魅力がある。
どの人種のモデルもかっこいい」
と感じる人がいる。
でも、「モデルって異常に細くない? もうすこし肉のついてる人のほうが魅力的だな」
と感じる人もいるだろう。
花屋にならぶ花を見て、
「どの花にもそれぞれの美しさがある。
どの種類の花も特別なオンリーワン」
と感じる人もいる。
でも、「花屋の花って頭でっかちすぎない? バランスわるいよ。山野草のほうがバランスが良くてすてきだな」
と感じる人もいるだろう。
ぼくにとって、花屋の花はすでに特別なフィールドに立っている存在だ。
ほとんどの植物は花を咲かせるけど、90%以上の植物の花は目立たない。
小さくて地味で、花として認識してもらえない色形のものも多い。
特別に大きくて派手で鮮やかな、奇形的とも言える花が花屋に並んでいる。
異様に細い体型のモデルばかりを並べているようなものではないだろうか。
ほんとうの、「世界に一つだけの花」は、花屋ではなくて道ばたにあるのかもしれない。
目立たなくても、踏まれても、花と認めてもらえないほど小さくて地味でも、
子孫に命をつなぐためにしっかりと生きている花。
そういった、注目をあびない存在でも、たしかな意味を持つ。
ふと、こんな替え歌を思いついた。
■いたるところにはびこる草
道の片隅にはびこった いろんな草を見ていた
ひとそれぞれ好みはあるけど どれもあまり目立たないね
バトルロワイヤルな混乱で 日あたりと水を争い
土の上でからみあい、ねじれあって広がっている
それなのに僕ら人間は どうして特別になりたがる?
一人一人大差ない草むらの中で 何者かになりたがる?
そうさ僕らは
いたるところにはびこる草
みんな大して違わない
注目を受けることなんてなくても
ひたむきに生きていくのさ
(略)
<参考>
■世界に一つだけの花
花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた
ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね
この中で誰が一番だなんて 争う事もしないで
バケツの中誇らしげに しゃんと胸を張っている
それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で 一番になりたがる?
そうさ僕らは
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい
(略)
ときどき、槇原敬之さんの歌詞を、悪平等にむすびつけてとらえる人がいる。
だけど、槇原さんは、悪平等に違和感を覚えるタイプの人だ。
みんな平等にね、という歌詞を書く人ではない。
もしかしたら、あえてトップアスリートやトップモデルやトップ研究者などの競い合う様子を、「どの花も美しい」と表現したのかもしれない。
考えすぎかな。
「どのモデルもそれぞれの魅力がある。
どの人種のモデルもかっこいい」
と感じる人がいる。
でも、「モデルって異常に細くない? もうすこし肉のついてる人のほうが魅力的だな」
と感じる人もいるだろう。
花屋にならぶ花を見て、
「どの花にもそれぞれの美しさがある。
どの種類の花も特別なオンリーワン」
と感じる人もいる。
でも、「花屋の花って頭でっかちすぎない? バランスわるいよ。山野草のほうがバランスが良くてすてきだな」
と感じる人もいるだろう。
ぼくにとって、花屋の花はすでに特別なフィールドに立っている存在だ。
ほとんどの植物は花を咲かせるけど、90%以上の植物の花は目立たない。
小さくて地味で、花として認識してもらえない色形のものも多い。
特別に大きくて派手で鮮やかな、奇形的とも言える花が花屋に並んでいる。
異様に細い体型のモデルばかりを並べているようなものではないだろうか。
ほんとうの、「世界に一つだけの花」は、花屋ではなくて道ばたにあるのかもしれない。
目立たなくても、踏まれても、花と認めてもらえないほど小さくて地味でも、
子孫に命をつなぐためにしっかりと生きている花。
そういった、注目をあびない存在でも、たしかな意味を持つ。
ふと、こんな替え歌を思いついた。
■いたるところにはびこる草
道の片隅にはびこった いろんな草を見ていた
ひとそれぞれ好みはあるけど どれもあまり目立たないね
バトルロワイヤルな混乱で 日あたりと水を争い
土の上でからみあい、ねじれあって広がっている
それなのに僕ら人間は どうして特別になりたがる?
一人一人大差ない草むらの中で 何者かになりたがる?
そうさ僕らは
いたるところにはびこる草
みんな大して違わない
注目を受けることなんてなくても
ひたむきに生きていくのさ
(略)
<参考>
■世界に一つだけの花
花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた
ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね
この中で誰が一番だなんて 争う事もしないで
バケツの中誇らしげに しゃんと胸を張っている
それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で 一番になりたがる?
そうさ僕らは
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい
(略)
ときどき、槇原敬之さんの歌詞を、悪平等にむすびつけてとらえる人がいる。
だけど、槇原さんは、悪平等に違和感を覚えるタイプの人だ。
みんな平等にね、という歌詞を書く人ではない。
もしかしたら、あえてトップアスリートやトップモデルやトップ研究者などの競い合う様子を、「どの花も美しい」と表現したのかもしれない。
考えすぎかな。