波打ち際の考察

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波屋山人

毎日新聞には大川総裁や庭野会長や桐山管長や谷口総裁のコメントは載るのだろうか

2009-01-26 00:14:17 | Weblog
毎日新聞に池田名誉会長のコメントが載っていて違和感があった。
政治家でもないし、学者でもないし、新宗教のカリスマのコメントがなぜ一般紙に?

大川隆法総裁や庭野日鑛会長や桐山靖雄管長や谷口清超総裁のコメントが載るようなことはあるのだろうか。

毎日新聞と創価学会の関係はいろんなところに書かれているが、創価学会から何か干渉があったりもするのだろうか。

・創価学会との関係
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8E%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%81%9E#.E5.89.B5.E4.BE.A1.E5.AD.A6.E4.BC.9A.E3.81.A8.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82

毎日.jpとライブドアニュース(毎日新聞提供)では微妙に文面が違う。
毎日のほうが詳しい。

■毎日.jp
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090126k0000m040045000c.html
創価学会:池田名誉会長が平和提言
 創価学会の池田大作名誉会長は25日、「人道的競争へ 新たな潮流」と題する平和提言を発表した。人類が人道的な価値を巡って競い合うべきだとして、「『人道的競争』こそ21世紀を拓(ひら)きゆくパラダイム(認識の枠組み)の先駆けたりうる」と訴えている。
 米国にオバマ大統領が誕生したことを受け、核軍縮を促進するため米露首脳会談の早期開催を提案。これと並行し、各国に核兵器の使用や保有を全面的に禁止する「核兵器禁止条約」を締結すべきだとしている。
毎日新聞 2009年1月25日 19時21分

■ライブドアニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/3989230/
<創価学会>池田名誉会長が平和提言
2009年01月25日19時55分 / 提供:毎日新聞
 創価学会の池田大作名誉会長は25日、「人道的競争へ 新たな潮流」と題する平和提言を発表した。人類が人道的価値を巡り競い合うべきだとして、「『人道的競争』こそ21世紀を拓きゆくパラダイムの先駆け」と訴えている。各国に核兵器の使用や保有を全面的に禁止する「核兵器禁止条約」を締結すべきなどとしている。


創価学会について、ぼくは対立する意識はない。
中学校の時の友人も信者になったし、高校の時の学会員の友人とは仏教について語り合ったこともある。
なじみの居酒屋のマスターも学会員。
学会の考え方についても全く知らないわけでもなく、大白蓮華(だいびゃくれんげ)の名前も知ってるし、去年のバレンタインデーに会社の女の人が配っていたチョコに付けられていた短い詩が、池田大作氏のものだということも知っている。

だけど、ぼくは大乗仏教にはあまりそそられないのだ。
初期仏教には興味があるけど。
初期仏教と大乗仏教はあまりにも違いすぎる。
別の思考、思想だ。

そもそも、初期仏教では教団の組織化を重視していない。
絶対的に否定されるものとか絶対的に肯定されるものについても言及していない。
ぼくの認識では、初期の仏教には「何々をするべき」とか「何々をしなければいけない」というような「教え」はない。少なくとも、それはメインではない。
「誰々は何々をしない」「何々は何々のようなもの」ということは言っているけど
「何々をしない」という「考え」や「分析」と、「何々をしていけない」という「教え」はまったく違う。
ぼくは、仏教は元来は信じるべき「教え」でなく、「考え」とか「哲学」だったのではないかと思っている。

だけど、創価学会の方は、法華経こそがお釈迦様の本当の教えなんだ、ということを信じている。あくまで法華経が正しい、ということを論理の根底に置いて話を進める。
初期仏教の経典、スッタニパータなどに少し目を通せば、仏教哲学がそんなに単純なものではないと気づくのではないかとも思うけど、そうはいかない。

初期仏典には、こういうことも書かれている。
「かれらは自己の道を堅くたもって論じているが、ここに他の何人(なんびと)を愚者であると見ることができようぞ。他の説を、愚かである、不浄の教えである、と説くならば、かれはみずから確執をもたらすであろう」

ブッダは、これが正しい、これが真実だ、という論争に加わらなかった。
客観的に、世の中の仕組みや人々の価値観、世界観といったものを認識しようとしていたのではないだろうか。
組織化とか形とか価値とか認識といったものに興味を持つぼくが初期仏教の考え方に興味を持つのは当然かもしれない。

初期仏教において、ブッダは各宗教が「これが真実だ」「これが絶対正しい」と主張して論争していることに疑問を抱いていた。
ブッダはそれを超越する意識に到達したのに、大乗仏教、特に鎌倉仏教においてはブッダ以前の状態に戻ってしまったのではないだろうか。

ブッダはいろんな悩みや苦しみといったものが、わだかまりや確執とか執着といった心から発生することに気づいて、わだかまりとは何なのだろう、確執とはどうして生じるのだろう、などといったことを考えたのではないだろうか。

学会員の人たちが敵対者を強く攻撃するのもまた一つの確執ではないかと思う。
わだかまりや確執の解消法は、敵対者を駆逐することではないのではないかということをいつか学会員の人にうかがってみたい。


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1 コメント

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Unknown (こいちゃん)
2009-01-26 17:27:56
毎日新聞社の輪転機を使って盛況新聞を刷っています。
有名な話です。
だから毎日は悪口いえません。
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