新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

上野の人出は相当なものだった (中編)

2015-05-17 10:16:21 | 美術館・博物館・アート

「上野の人出は相当なものだった (前編)」につづいて、東京藝術大学大学美術館で開催中の「ダブル・インパクト」展(きょうが最終日)で気になった作品、気に入った作品のことを紹介いたしましょう。

まず、高石重森「竜自在」

高石重森「竜自在」

全長2メートルに近い巨大な龍の置物。すべての関節や胴体が自由に動く「自在」の置物としては、世界最大級。

というだけあって、とにかくデカい ど迫力 です。

なんですが、二回りほど小さい明珍宗察「自在龍置物」(下の写真はこの後東京国立博物館で撮ったもの)が、まるで本物の竜(存在しないけど)を写し取ったかのような「生き物感」があるのに対して、

高石重森の作品は、「竜形ロボット」的な雰囲気です。
「美術品としては格が違うって感じ…

デカいと言えば、展覧会のビジュアルにも使われている竹内久一「神武天皇立像」デカかった

堂々たる体躯に、「明治天皇の『御真影』をもとに制作した」という厳ついお顔が相俟って、威圧感あふれる作品でした。

ちなみに(その1)、猪瀬直樹「ミカドの肖像」名著)によれば、「明治天皇の御真影」写実的なものではなく、政府の思いが織り込まれた相当作為的なものだったとか。

ミカドの肖像 (小学館文庫)
猪瀬 直樹
小学館

ちなみに(その2)、「ダブル・インパクト」展を見終えた後、大学美術館の隣りに広がる「林」を散策しがてら、点在する記念碑胸像などを見てきたのですが、その中に、普通じゃ見えない場所にひっそりと佇む胸像を見つけました。

通路と胸像との間にはが生い茂り、敢えてこの胸像を観ようとしない限り目に触れることのない虐げられた場所に立っています。

これが、「神武天皇立像」の作者・竹内久一の胸像でした。

竹内先生、どうしてこんな扱いを受けているのでしょうか…
不憫です…

さて、話を「ダブル・インパクト」展に戻します。
この展覧会の出品作はボストン美術館の収蔵品と東京藝術大学の収蔵品で構成されています。ボストン美術館日本コレクション凄まじさは何度も体験済みですが、東京藝術大学のコレクションも相当なものです。

東京藝術大学ではその収蔵品を、教育・研究のための資料として「芸術資料」と呼んでいます。 現在に至るまでこの目的にそって行われてきた収集によって、今日では指定物件(国宝・重要文化財)22件を含む、 約29,000件という日本有数のコレクションが形成されています。 その内訳は美術作品にとどまりません。作家や作品にまつわる資料、制作教育のため、 あるいは美術史研究のための資料、音楽資料など多岐にわたっています。
また、コレクションのなかでとりわけ大きな比重を占めているのが、「学生制作品」というジャンルです。 東京美術学校では、その開校当初から学生の作品を収集してきました。 通常の課題として制作された平常制作、卒業や修了の際の優秀作品を買い上げた卒業制作・修了制作などがそれにあたります。 なかでもよく知られるのは、油画(西洋画科)の自画像でしょう。 これらの収蔵品は、卒業生達が後に巨匠へと育っていったために、 日本の近現代の美術史を語る上で欠かせない作品群となっています。

だとか。
そんじょそこらの美術館では叶いませんな

最後に紹介するのは、激しく興味を惹かれたこちらの作品。

河鍋暁斎「侍者」

河鍋暁斎「侍者」です。

「侍る」先の「竜神」と共に展示されておりまして、図録によれば、

細密克明な線描で描かれた竜神とその侍者。(略)本紙の紙継ぎの様子から、これらが完成作ではなく本画のための下絵ではないかと考えられてきた。しかし1881(明治14)年の第2回国内勧業博覧会に出品された金工の置物、大島如雲《俵藤太竜神図蝋型彫刻》(出品目録によるタイトル)の存在が近年明らかとなり、本図は金工作品のための図案であることがわかった。異様なまでに細部が描き込まれているのも、立体となることを意識してのことだろう。(略)

だそうです。
それはともかく、この作品を観て思い出したのは、山口晃画伯の「摩利支天像」「五武人圖」など一連の線描の作品。

暁斎「竜神・侍者」といい、絵日記(展示されていません)といい、山口画伯(東京藝大OB)暁斎ファンなんだろうなと推察されます。

暁斎「竜神・侍者」金工作品(立体作品)の下絵だったとすれば、山口晃画伯の「摩利支天像」を立体作品(フィギュアともいう)化してくれないものでしょうか? 観てみたいなぁ~

ということで、かなり楽しめた「ダブル・インパクト」展でした。

ただ、小林永濯「菅原道真天拝山祈祷の図」竹内久一「神武天皇立像」をフィーチャーした展覧会のビジュアルポスターチケットなど)は、この展覧会を象徴するものになっていないと思います。

私なんて、「前編」で書いたように、このポスターを見て、観に行く気がまったく起こらなかったのですから。

セミ・ファイナルということもあってか、展覧会には結構な人出がありましたけれど、もうちょっと良いポスターだったら、もっと集客できたのではないかと思ったのでありました。

つづき:2015/05/17 上野の人出は相当なものだった (後編)

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