新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

泊まりがけは17年ぶりの新潟遠征 #2-3

2024-03-10 16:48:00 | 旅行記

「泊まりがけは17年ぶりの新潟遠征 #2-2」のつづきです。

吉野活版所の前を通り過ぎてからは、スマホのGoogleマップを頼りに、ひたすら新潟市歴史博物館みなとぴあを目指しました。
とはいえ、もうお昼時で、どこかで食事をしたい。
みなとぴあにはレストランなさそうで、Googleマップを見ても、私が歩く方向には食事ができるお店は2軒しか表示されません。
選択の余地は少ないな… と、ちょっと不安になりながら「御祭堀(五菜堀)」という道を東に歩いて行くと、その2軒のうちの最初の店がありました。

なにやら立派な建物です (この写真は第四北越銀行住吉町支店を背に撮ったもの。今にして思えば、この銀行の写真も撮っておくべきでした)
このお店は「魚や 片桐寅吉」という和食屋さんで、建物は登録有形文化財だそうな
ちょっと敷居が高そうでしたが、店頭に出された「お品書きを見ると、2,000円程度昼食がいただけるようなので、このお店で食べることにしました。
店内に入ると、古いけれど立派ひな飾りがあって(写真はありません)、いかにも「旧家」の雰囲気です。

このお店のリーフレットによると、

1885(明治18)「片桐鮮魚問屋」を立ち上げた片桐寅吉が晩年暮らした家屋でございます。
大海原を駆け巡り、北洋漁業をこよなく愛した寅吉は、やがて北陸でも一大問屋と言える鮮魚商となりました。
江戸時代より変わらぬ「魚や」として、現在までこだわってきた鮮度と味を、日本庭園を眺めながらご堪能ください。

だそうで、天井の高いお座敷にテーブルが並べられた作りになっていて、なにやらイイ感じ…

私が頂いたのは、銀だら「焼き魚定食」(1,900円)の味噌汁を豚汁にチェンジ(+200円)したもの。

銀だらは、「皮パリ & 身トロ」で、実に美味しかった
もちろん、ご飯美味しかった
きれいに整備されたを眺めながら旨い食事を摂る、、、、旅行らしい贅沢な気分に浸れるひとときでした

「X」に、「この店で昼食とポストしたところ、フォロワーさんから「近所に美味しい大福が買えるお店がある」という情報をいただきました。
さっそくググってみると、確かにそのお店「さわ山」は近い。
よし、寄ってみよう ということで、「魚や 片桐寅吉」をあとにしました。

   

ところで、「魚や 片桐寅吉」第四北越銀行 住吉町支店がある「御祭堀(五菜堀)」は、通りの名前っぽくありませんが、こちらのリーフレットによれば、

御祭堀(ごさいぼり):江戸時代、御祭堀という堀の両側に付けられた小路であり、古い絵図では「さい小路」「御菜堀」と記されることもあった。
堀は明治の町名改正で五番堀とされたが、戦後になって埋め立てられ道路となった。今は「五菜堀」と記されることが多い。

と、今では堀の名前ではなく通りの名前です。
さらに、

昔の新潟町は、地域ごとに職業が決められていました。風間小路から片桐小路、御祭堀のあたりは「肴(さかな)町」または「助賈(すけご=魚屋)町」と呼ばれる地域で、現在の本町通11番町の西側には「大助賈(おおすけご)」よばれる魚問屋が並んでいたといいます。
当時新潟町で魚の店売りができるのはここだけでした。

だそうです。
この地域のことは、またあとで触れることになります。
なお、という字を確認・入力するために、超久しぶり漢和辞典を引きました

   

「魚や 片桐寅吉」2ブロック北に、大きなお屋敷がありました。
「北前船の時代館」と公開されている「旧小澤家住宅」です。

この建物は、江戸時代後期から新潟町で活躍していた商家・小澤家の店舗兼住宅だそうで、広さはなんと1600平方メートル、敷地が正方形だとすれば40m四方もの大邸宅です

新潟市のサイトによると、

かつての新潟町における町家の典型例であり、かつ明治時代に成長した豪商の屋敷構えを構成する一連の施設がほぼそのまま残っていることから、建造物 7棟 (主屋、新座敷、離れ座敷、道具蔵、家財蔵、蔵前及び渡り廊下、門及び東塀) と敷地は、市指定文化財になっています。

とありますが、「町家」といえば、「狭い間口に長ぁ~い奥行き」のイメージですが、こんな長大な間口「新潟町における町家の典型例」なんですか…
「吉野活版所」の辺りは、私がイメージする「町家」そのものだったんだけど…

「北前船の時代館 旧小澤家住宅」内部が公開されていますが(観覧料は一般:200円)、13時になろうかという時刻だったことから(このあと大福を買って、みなとぴあを観て、15時頃には朱鷺メッセに着きたい)外観を眺めるだけにとどめ、「粋な黒塀、見越しの松に「お富さん」の冒頭を心の中で口ずさみながら「さわ山」さんを目指しました。

「さわ山」さんは簡単に見つかり、順番待ちする間に熟慮の末(繁盛しているお店でした)大福桜餅1個ずつ購入しました。
「新潟なら『笹団子』だろ」とも思ったのですが、「笹団子」はまたいつか…
なお大福桜餅は、このあとの私の行動の過程で、バッグの中でかなり変形してしまいましたが、帰りの新幹線の中で夕食のデザートとしていただきました。
とても美味しゅうございました

   

もと来た道をちょっと戻り、「この道の突き当たりが『みなとぴあ』」という通りを歩きました。
この通りがちょっと変わっていて、車道の幅に比べて、両側の歩道が異様に広い。しかも南側の歩道の横には小さな水路が流れています。
その「謎」は、案内板を見て解けた気がしました。

この通りは「早川堀通り」という名前で、ここもかつてはが流れていて、堀が車道に、両岸の道が歩道になったことが察せられました

さらに調べたところ、こちらのサイトによると、この道路は10年前に整備されたそうで、

新潟市が早川堀通りの整備に伴い、かつて堀のあった湊町の風情を感じられる水辺空間の創出に、地元との協議を重ね復元されたもの。

だとか。
さらに、

また、篠田市長は「新潟を象徴する素晴らしい通り。みなとピアと旧小澤家、下本町をつなぐラインであり、さらに磨きをかけて、新潟の名物通りに仕上げていただきたい。この通りがさらに楽しく、潤いの通りになるよう、我々も共に頑張りたい」と語った。

とのこと。
私が通ったときは、人通りもクルマの通りも少なく、ちょっと寂しかったのですが、でも、きれいな、歩いていて気持ちのよい通りでした。

ということで、新潟市歴史博物館みなとぴあまではあと少し。
つづきの「#2-4」は新潟遠征記の完結編の予定です。

【追記】「予定」はあくまでも「予定」でしかありません (2024/03/11 21:22)  

つづき:2024/03/11 泊まりがけは17年ぶりの新潟遠征 #2-4

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