新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

記念館・美術館・博物館をハシゴ(その2)

2013-12-02 23:33:00 | 美術館・博物館・アート

かなりややこしいのですが、「今週末も美術館をハシゴ(後編)」のつづきではなく(こちらは完結しました)、11月25日の記事「記念館・美術館・博物館をハシゴ(その1)」のつづきで憲政記念館 常設展示のお話です(「その1」で書いた特別展「戦後日本の再出発」終了しています)。

   

私は、憲政記念館の展示を観たのは、先々週の訪問が2回目でしたが、会合というか昼食会というか、まぁ、有り体に言えば「政治家の政治資金パーティーで何度か憲政記念館に来たことがありました。
憲政記念館のホール(憲政ホールだったかな?)は、国会議員には安く使える会場なんでしょ、きっと。その分、ここで出される食事には期待しておりませんでした…

131202_1_01それはさておき、憲政記念館の建っている場所は、江戸時代には加藤家(熊本藩)の屋敷が置かれたあと、井伊家(彦根藩)の上屋敷が建てられ、明治以降は陸軍省参謀本部が置かれたという、日本史的にかなり濃い場所だそうな。
右に載せたのは、廣重「名所江戸百景」から「外桜田弁慶堀糀町」で、左側に見える赤い門が彦根藩上屋敷だそうです。

この作品が制作されて4年後彦根藩上屋敷を出た行列が内堀通りを通って桜田門に向かう途中、かの有名な暗殺事件が発生したといいますから、ますますもって日本史的に濃い場所です…

   

さて、憲政記念館の門を入り、入口に向かうと、目の前にがあり、その真ん中に銅像が建っています。

131202_1_02「その1」憲政記念館の由来を引用したなかに、

尾崎記念会館(憲政の功労者である尾崎行雄を記念し1960年(昭和35年)に建設)を吸収し、1972年(昭和47年)に開館しました。

とあった、尾崎行雄さんこそ、この銅像のモデルです。俗に「憲政の神様」と呼ばれた(らしい)尾崎さん、憲政記念館には「尾崎メモリアルホール」と名づけられた一室があって、関連資料が展示されています。
こちらは、憲政史や尾崎さんに興味を持つ人にとってはドキドキワクワクする展示なのかもしれませんが、私にはちょっと… でした

それよりも、憲政記念館に出かけたら外せない展示は「議場体験コーナー」でしょう

こぢんまりと衆議院本会議場が再現されていまして、議席に座ることができるんです。
議席から演壇を眺めるとこんな具合。

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随分と演壇が近いですなぁ。
正しい縮尺の本会議場は、

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こんな感じで、どことなく河口湖ステラシアターでの「Misia Candle Night Fes.」の客席最前列とステージくらい離れています。

131202_1_05 ところが、「演壇」から「議場」を眺めると、

131202_1_07_2 やはり近い

この「演壇」は、

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というわけで、実際の「3/4の大きさ」で造られているのだそうな。

でも、議席は、その数は別として、大きさは実物大の模様です。

そして、机には、なにやら「算数セット」に入っているようなモノがセットされています。

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ピンぼけで申しわけないのですが、青緑の木札と白木の木札がありますでしょ?
実際、この木札には、議員の名前が書かれていて、記名投票の際、議案に賛成の議員は「白木の木札」、反対の人は「青緑の木札」を演壇に待機する事務局員に手渡すことになります。
そして、硬貨を数えるように、こちらの道具で賛成票(白色票)反対票(青色票)を数えて、賛成・反対のどちらが多いかを判定するという仕組み。

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「100%アナログ」な投票&集計方式ですなぁ…

ちなみに参議院では、第142回国会(1998年1月12日召集)から「押しボタン式投票」が導入されて、瞬時に採決が可能になっています。
もっとも、参議院でも、

出席議員の五分の一以上の要求があるときは、議長は記名投票で表決を採らなければならないという規定(参議院規則第138条)が残されています。

だそうで、実際、木札を使った「記名投票」も行われてこともあるようです。
「記名投票」がなくなると、あのばかばかしい「牛歩戦術」が使えなくなるという事情があるのでしょうか?
いやそれよりも、「記名投票」だと遠目からも誰が賛成・反対したのか判りますから、党議に反する投票を牽制する効果を狙ってのことなのでしょう、K.I.T

それにしても、憲政記念館の演壇周辺、小さめとはいえ、しっかりと作られています。

131202_1_10これを作るのに、いったいいくらお金がかかったのでしょうか?
既製品がありえない、一品ものですからねぇ…
費用の出所は、当然、税金なわけで、納税者としては、機会があったら観なきゃ損ですぞ

   

この他、

これは衆議院に置かれた親時計で、院内角質に設置された150余の子時計を作動させていたもので、昭和60年(1985)10月まで使用された。

という「国会議事堂の親時計」とか、

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現議事堂が竣工した昭和11年(1936)11月から門標として掲げられていたもので、昭和44年(1969)国会外構改修の際取り外された。

という門標も展示されていましたが、

131202_1_12 私としては、

この表示板は、昭和63年(1988)3月31日まで衆議院玄関に設置されていたもので、議員が登院したとき自分の名札を「赤地」から「黒地」にかえして登院したことを示した。この年4月からは現在使われている電気表示方式となった。

という「議員登院表示板」が印象深かったなぁ…

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なにせ、懐かしい「お名前」これでもか っつうくらい並んでいましたから

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昔は、総選挙後の特別国会初登院する新人議員が、この名札をひっくり返すシーンがTVニュースで流れたものでしたっけ…
「昭和は遠くなりにけり」ですなぁ~

   

最後に国会にまつわるトリビアを書いておきましょう。

衆議院の本会議場参議院のそれとは同じ造りのようでいて、実は大きな違いのある場所があります。

それは、議長席の後ろ

衆議院本会議場は、議長席の後ろに解散の詔書は、事務局員がこの扉を通って議長に手渡す)があるのに対して、

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参議院本会議場の議長席の後ろにはカーテンが下がっていて、

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その内側には「お席」天皇陛下用の座席(国会の開会式にご臨席される際に使われる)が用意されています。

131202_1_17

ご参考まで。

コメント
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