新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

お城と温泉の四国旅行記(その9)

2013-10-27 16:52:19 | 旅行記

「お城と温泉の四国旅行記(その8)」のつづきは、いよいよ松山城に登城します。

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東雲口から城山の8合目(長者ヶ平:ちょうじゃがなる・・・読めない)まで、ロープウェイとリフトで行き来できるようになっていて、料金は同額(片道260円、往復500円)。
所要時間リフトの約6分に対してロープウェイは約3分と、ロープウェイが速いのですが、いつでも乗れるリフトに対してロープウェイは10分間隔の運転ですから、タイミングによってはリフトの方が先着したりします。

131028_1_02 天気が良かったことから、私は迷わずリフトを選択しました。

やはり、気持ちよかったぁ~
大天守青空に映えています

131028_1_03長者ヶ平の茶屋で、私の旅行での定番ソフトクリームを食していると、なんとも人なつこい雀が、周りの人たちからコーンを分けてもらっていました。

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天守に向かって歩き始めると、ほどなくこの表示板が。

131028_1_05 「石垣を登らないでください」とありますが、そもそも、こんなに急峻石垣を登ろうとする人なんかいるのだろうか?

131028_1_06 ところで、松山城は、大天・小天守の上層こそ「白い城」ながら、その他の櫓(下の写真は太鼓櫓)は下見板張りの「黒い城」でした。131028_1_07

お城の常として、クネクネと曲がりながら本丸を目指すと、筒井門では、アルバイトのお兄さんたちが伊予弁で歓迎してくれていました。

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さらに、太鼓門をくぐると、

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いよいよ本丸です。
急に視界が広がって、気持ちいい

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そして、松山城マスコットキャラクター「よしあきくん」のオブジェの地点から有料区域、大天守・小天守・櫓が連なる「本壇」に入ります。

131028_1_11 ところで、櫓や門の説明を読むと、天守を含めて本丸周辺のほとんどの構築物が、天明4年(1784年)に落雷のために焼失し、現在建っているもののほとんどは焼失直後から幕末にかけて再建されたもののようです。
例外としては、上記の再建後、昭和8年(1933年)放火されて再々建された南隅櫓筋鉄門(すじがねもん:下の写真)とか(困った例外ですが…)、昭和20年(1945年)戦災で焼失した天神櫓馬具櫓などがあるようです。

131028_1_12それにしても、良い天気

下の写真は北隅櫓からの眺め

131028_1_13そして、こちら大天守からの道後温泉方面の眺めです。

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城山に登る前、麓のロープウェイのりばで松山城のリーフレットをいただきました。

こちらなんですが、

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その日の夜、復習のためにリーフレット開いてみると、、、あれ

131028_1_15「中文版(中国語版)」ではありませんか

ショックでした…

ということで、松山城本丸探訪記はまだつづきます。

つづき:2013/10/28 お城と温泉の四国旅行記(その10) 

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お城と温泉の四国旅行記(その8)

2013-10-27 09:19:40 | 旅行記

四国旅行2日目の松山に到着してからのことは、旅行当日の記事「松山といえば…」にザッと書いたのですが、「お城と温泉の四国旅行記(その7)」のつづきとして詳細版を残しておきます。

この日、松山に到着してからの行程は以下のとおりでした。

JR松山駅⇒徒歩ホテル⇒徒歩大街道⇒徒歩松山城ロープウエイ東雲口リフト長者ヶ平⇒徒歩松山城本丸⇒徒歩長者ヶ平(ちょうじゃがなる)⇒リフト⇒松山城ロープウエイ東雲口⇒徒歩大街道電停路面電車 西堀端電停⇒徒歩ホテル⇒徒歩西堀端電停路面電車道後温泉駅⇒徒歩道後温泉本館⇒徒歩道後温泉駅路面電車大街道電停⇒徒歩夕食⇒徒歩大街道電停路面電車西堀端電停⇒徒歩ホテル

というもの。
マッピングするとこんな具合。道後温泉は図の右側(東側)に外れています

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徒歩電車・リフトで示したのですが、往復同じルートの部分が多くて、ちょいと判りづらいかも…
ところで、松山初日、路面電車(市内電車) 4回乗りました。運賃は1回150円なんですが、バス/市内電車1日乗り放題「1Dayチケット」というのがあって、400円予定どおり4回電車に乗れば、200円お得になると、最初に路面電車に乗ったとき、この1Dayチケットを買おうとしたのですが、売り切れとな
それでもめげず、道後温泉に出撃する際、この1Dayチケットを購入、結局50円だけ得をしました

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初めて降り立つJR松山駅、駅前の空の広さに驚きました

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駅の裏がすぐに、というわけではなく、街が広がっているはずなのですが、背の高い建物皆無です。駅前には日通支店があるし(貨物輸送の主力が鉄道だった頃は、私の故郷も含めて、主要な駅前には日通の支店がつきものだったらしい)、こんな風景って、ある意味新鮮かも…。

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さて、いつものように、チェックイン前にホテルに荷物を預けた私、松山城本丸に登城する前に昼食を摂ろうと街へ向かいました。
松山の街のことはさっぱり判りませんが、どこかしら食事する場所はあるだろうと、南堀端電停前から南に曲がり、大きな通りを松山市駅方面へ向かいました。

ところで、この松山市駅、略称が「市駅」だそうで、バスの行き先表示板にもそう書かれています(駅前にある市内電車の駅が「松山市駅前駅」っつうのも面白い)。この駅名を見て連想したのが、埼玉にある和光市駅東武東上線東京メトロ)でした。以前から、どうして「和光駅」ではなく「和光市駅」なのだろうか疑問に感じています。松山の場合は、JR松山駅があるから(しかも、かなり場所が離れている)「松山市駅」なのでしょうが、和光市の場合、「和光駅」はありませんWIkipediaにもその辺の事情は書かれていないし…。

それはともかく、南堀端交差点から松山市駅に向かう電車通りは、歩道にアーケードのかかる立派な通りながら、人が歩いていない…

131027_1_05シャッターを閉めた店が多くて、寂れた感じです。
食事できそうな店もなくて、営業しているのは全国チェーンのカフェくらいのもの…

大丈夫かぁ~、松山ぁ~ と叫びたい気分でした。

と、歩道にこんな石碑が立っていました。

131027_1_06 傍らの説明板には、司馬遼太郎「坂の上の雲」から

この物語の主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれないが、ともかくもわれわれは三人の人物のあとを追わねばならない。そのうちのひとりは、俳人になった。俳句、短歌といった日本のふるい短詩型に新風を入れてその中興の祖になった正岡子規である。

という一節を載せて、さらに、

近代文学史上に大きな足跡を残した正岡子規は、慶応3(1867)年9月17日、この地に生まれ、東京根岸で35年の生涯を閉じた。子規の本名は常規(つねのり)であるが、近親者は生涯を通じて「のぼさん」と呼んだ。
生家は、東西の道路の南側にオロ垣(竹の枯れ枝)を結い、垣の内にサンゴ樹の並んだ家であったという。

と書かれていました。
この短い説明の中に重大がことが書かれていて、翌日、それが明らかになるのですが、この時の私は、そんなことを知るよしもありませんでした。

それはそうと、昼食難民になりかけた私でしたが、なんとか営業中の焼肉屋さんをみつけ、ちょっと贅沢な昼食を摂ることができました(ちなみにその時の客は私一人。日曜日の13時だというのに…)。

お腹が満ちて元気を回復した私は、松山城ロープウェイのりばに向かって歩き始めました。

途中、見かけたこちらの建物、

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なんとなく「日銀っぽい…と思ったところ、案の上、日本銀行松山支店でした
日銀の支店には、サインポールや看板がない代わりに立派な車寄せがあって、そして、窓が異様に小さいという印象を持っていますが、日銀松山支店もその条件に叶っておりました。
ちなみに、JR北戸田駅の近くにある日銀戸田分館(おそらく日本で最も大量現金が保管されている場所)も、巨大な建物なのにとにかく窓が小さい

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「松山といえば…」「街から見上げる天守はなかなか壮観として載せた松山城本丸の遠景日銀松山支店前から撮ったものですが、その天守の構造を見るには、松山中央郵便局の前の郵便ポストが役立つかもしれませんゾ

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131027_1_09 松山中央郵便局から大きなアーケード街「大街道商店街」はすぐ。
ようやく賑わいに出会えました(アーケードに吊り下げられた巨大な日章旗から日本武道館を連想しました。「MISIA 星空のライヴVII -15th Celebration- Hoshizora Symphony Orchestra」東京公演楽しみ

大街道を北に進み、電車通りを横断すると、そこからロープウェイのりばまでは、ホントに観光地っぽい雰囲気で気分が高揚します
下の写真は、初代伊予藩主で、松山城の築城に着手した加藤嘉明像。

131027_1_10 加藤嘉明は、1602年(慶長7年)築城に着手したものの、完成前の1627年(寛永4年)に会津藩へ加増転封(20万石⇒40万石)されてしまい、入れ替わって会津から松山に減移封(60万石⇒24万石)された蒲生忠知が松山城を完成させたとのこと。25年間も築城に取り組んできたのに、その完成を見ることなく松山の地を離れた加藤嘉明はどんな気持ちだったのでしょうか? 「栄転」「事業完遂」の間で、複雑だったのではなかろうかと思います。

城山の麓にたどり着いたところで、「その8」はお終いです
相変わらずはかどりませんなぁ…

つづき:2013/10/27 お城と温泉の四国旅行記(その9)

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