新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

モアイさんにご対面!

2013-03-23 16:43:41 | タウンウオッチング

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予定どおり、モアイさんにご対面しました。 [携帯]

【追記】写真をデジカメで撮ったものに差し替えました。(2013/03/24 00:26)

【追記その2】別の記事に仕立てるのも忍びないので、【追記その2】としてこのネタを続けることにします。

130323_1_03 このモアイ像は、公式HPから転記しますと、

今回、展示されるモアイ像は、高さ約3メートル、重さ約2トンの巨大な石像で、“Moai”には「未来に生きる」という意味が込められています。1960年のチリ地震から始まったチリと南三陸町との友好関係により、1990年に復興と友好、防災のシンボルとして南三陸町にモアイ像が設置されました。しかし、東日本大震災で頭部が流出。新たな町の復興のシンボルとしてモアイ像を復活させたいと考えた南三陸町志津川高校の生徒の皆さんの想いがこのプロジェクトを実現しました。

というもの。

1990年に設置された初代のモアイ像は、会場で配布されていたナショナル ジオグラフィック 日本版[特別版]によれば、

南三陸町とチリとの関係は1960年のチリ地震に端を発する。この地震による津波は日本の旧志津川町(現南三陸町)にも達し、41人の命を奪う被害をもたらした。その後、同町は復興30年を記念してモアイ像の制作をチリの彫刻家に依頼し、松原公園に設置した、チリ大統領からも友好のメッセージが贈られ、モアイ像は防災と、チリとの友好のシンボルとして町民に親しまれてきた。

という由緒正しいもの。それが、東日本大震災津波によってバラバラになってしまったのだとか。
ガレキの中から見つかった頭部は、関係者の尽力で、震災前からモアイさんのキャラクターを使って地域振興に取り組んでいた志津川高校に設置されているそうです。

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一方、今回チリから日本にやって来たモアイ像には、こんな背景があります。

こうしたなか、(2011年)11月にチリの民間企業が被災地支援のために結成したエスペランサ(希望)委員会の関係者が、南三陸町を訪問した。町民や志津川高校の生徒たちがモアイ像を大切にしていたことを知っていたチリ側は、南三陸町に新しいモアイ像の寄贈を申し出た。

さらに、モアイが正真正銘のモアイである(「マナ(霊力)」を宿す)ためには、①イースター島の石で造られていること、②島の人々の手によって造られていること、③島の人々によって瞳がはめ込まれていること、が条件になのだそうで、チリの人たちを含めた大勢の人たちの強い想い尽力で、いよいよ正真正銘のモアイさんが日本にやって来たのだとか。

ちなみに、現時点ではモアイさんには瞳はついていませんで、別に展示されていました。

130323_1_05 この瞳は、大阪での展示(5月上旬~)のあと、南三陸町ではめ込まれるのだとか。
なんだか仏さんの開眼法要みたいですねぇ。

こうした背景を知ると、重さ約2tのモアイさんがますます重く見えてきます。
いつか、を開いて、帽子(プカオ)をかぶったモアイさんに逢いに南三陸町へ出かけてみたいものです。

そうそう、本物のモアイさんを観るのは今回が初めてでして(本物のモアイさんを観たことのある日本人はそうそういないと思いますが…)、しげしげと拝見してきました

横から観ると、かなりスリム

130323_1_06 そして、背中にはなにやら意味ありげな紋様が(前面からつづく3本の筋と円形)彫られています。

130323_1_07_2会場ではモアイさんの展示のほか、「チリと日本・南三陸のつながり」などのパネル展示、南三陸とチリの物産販売、さらに南三陸町への復興応援メッセージ募集、そして、コミュニティーバス寄贈へのチャリティー募金などが行われています。

130323_1_08 私はわずかながら寄付いたしまして、志津川高校情報ビジネス科の皆さんが「南三陸モアイ化計画」の一環として作成した缶バッジをいただいてきました。

130323_1_09 「Moai 未来に生きる」は、丸ビル1階のマルキューブで3月28日(木)まで開催されています(入場無料)。

お近くにお出かけの際、時間に余裕がありましたら、足を運んで損はありませんゾ

(2013/03/24 10:55)

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