新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

先週末も博物館・美術館をハシゴ(その4)

2012-11-24 11:18:13 | 美術館・博物館・アート

「先週末も博物館・美術館をハシゴ(その3)」のつづきです。

私、上野に「奏楽堂」と呼ばれる施設が二つあるとは知りませんでした。また、東京都美術館の裏側に立つステキな木造の「奏楽堂」江東区の所有・管理する施設であることも知りませんでした。

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この建物の正式な名称は「台東区立旧東京音楽学校奏楽堂」で、元の所有者・東京藝術大学には、1984年に老朽化を理由に旧奏楽堂が解体(移設)のあと、新しい奏楽堂が建てられています。

その存在すら知らなかった東京芸大の新「奏楽堂」はもちろん、こちらの旧東京音楽学校奏楽堂もこれまで外観を眺めるだけで内部に入ったのは今回が初めてでした(入館料は300円)。

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狭義「奏楽堂」=ホールは建物の2階にありまして、こんな感じ(演奏中・リハーサル中は撮影・録音禁止)。

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客席数338のこぢんまりしたコンサートホールです。

外光が入るホールは珍しいと思うのですが、それ以上に驚いたことに、ホールの壁際には暖房用のラジエーターが並んでいて(ピンぼけ、ゴメン)、

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座席の下にもラジエーター式の暖房装置が

121124_1_06 でも、考えてみれば、温風暖房だとどうしても風音がして、音楽鑑賞の邪魔になりますが、温水orスチーム暖房だと、無音で暖まります

でも、はどうする?
もしかして、冷房なし?

それはともかく、この旧東京音楽学校奏楽堂、オリジナルは1890年に建てられたもので、本格的な西洋式音楽ホールとしては日本初だとか

そして、ステージ中央に鎮座するパイプオルガンは、紀州徳川家(また出た)第16代当主の徳川頼貞さんが私設の音楽堂「南葵楽堂」に据え付けるべく1920年にUKから輸入し、1928年に東京音楽学校に寄贈したもので、コンサート用オルガンとしては、これまた日本最古のものだそうな。

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「南葵楽堂」こちらのサイトに写真が載っています)は私設の音楽堂とはいえ、紀州徳川家の菩提寺・長保寺のサイトに載っている頼貞さんの述懐によれば、

間口七間、奥行十五間半、天井の高さ二十八尺で、建坪はおよそ百坪であり、座席は三百五十名をいれられた。

というもので、メートル法に換算すれば、12.7m×28.2m×8.5m、建坪約330㎡と、旧東京音楽学校奏楽堂(梁行16.4メートル、桁行26.4メートル、客席338席)とほぼ同じ規模です。

頼貞さんが「南葵楽堂」用に輸入・組み立てたパイプオルガン(輸入も組立も相当大変だった模様)を、8年後に東京音楽学校に寄贈したのはなぜか?

頼貞さんの述懐によれば、

南葵楽堂は関東大地震災で大きな被害を蒙ったので、私はパイプ・オルガンを東京音楽学校に寄附した。現在同校演奏室にあるのがそれである。

だとか。
「譲渡」「売却」ではなく、「寄附」というところが、太っ腹、さすがお殿様です

もっとも、Wikipediaの記載によれば、当時の紀州徳川家の家計は大変な状況だったようで、周りの人たちの反対を振り切っての「寄附」だったのではなかろうかと推察します。

このパイプオルガンは、ホールともども現役で、隔週日曜日に演奏を聴くことができます。

121124_1_07 旧東京音楽学校奏楽堂では、「日曜コンサート」と題して、第1・第3日曜日にはチェンバロ第2・第3日曜日にはパイプオルガンの演奏会が開催されています。いずれも14時と15時の2回公演で、演奏者は東京芸大の学生・院生。入館料(300円)だけで聴けます

私、恥ずかしながら、こんな素晴らしい企画があることもこの日に初めて知りました。

私が行った時はチェンバロの演奏会でしたが(右の画像をクリックするとPDFが開きます)、生まれて初めて生チェンバロの音を聴けたし(予想以上に音量が小さい)、演奏もなかなかだったし、ホールもよかったし、これまで「日曜コンサート」を知らなかったことでをしていた気がします(ただ、聴衆の中には、乳幼児を連れた人がいたりして、ちょっと…

次回はパイプオルガン(生パイプオルガンの演奏は友人の結婚式で聴いたことがあります)の演奏会を聴きに行きたいものです

   

旧東京音楽学校奏楽堂の1階は展示室と楽屋・リハーサル室になっています。

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展示室3~5では特別展「こどものうた~大正時代の童謡運動~」が、展示室1・2では旧奏楽堂の構造物(こういうの、好きなんだぁ)などの展示が行われていました。

特別展「こどものうた~大正時代の童謡運動~」は、

「赤い靴」や「青い目の人形」を作由した本居長世を中心に、東京音楽学校出身の作曲家たちの直筆譜や関連資料を公開。大正時代に花開いた童謡の様相を展望します。

というもので、本居長世こちらこちらの記事でも登場)の他、成田「浜辺の歌」為三こちらの記事でも登場)、中山「シャボン玉」晋平山田(赤とんぼ)耕筰中田(小さい秋みつけた)喜直といった日本を代表する作曲家の方々の直筆譜などが展示されていました。

この中に本居長世「童心如神」の書がありまして、上記の「日曜コンサート」の途中にむずかっていた赤ちゃんの泣き声「神の声だったのだろうか…とつまらないことを考えてしまいました。でも、ものごころつかない赤ちゃんにはまだ「童心」はないのだろうな…

展示室1・2に展示されていた旧奏楽堂の壁の構造見ものです

現代の住宅建築では壁の内側にグラスウールなどの断熱材が仕込まれますが、旧奏楽堂の壁の内側には吸音材・遮音材としておが屑が詰められていたというのです(Wikipediaにも書かれていました)。

まさに手抜きなしって感じですなぁ。

   

Wikipediaには、

1972年(昭和47年)、老朽化のため大学構内から愛知県犬山市にある博物館明治村への移築保存で合意されたが、日本建築学会、音楽家グループ、市民らの反対により撤回され、1983年(昭和58年)に台東区へ譲渡された。
1984年(昭和59年)、台東区は解体・修理後に上野公園内へ移築を行い、1987年(昭和62年)10月から一般公開が開始した。翌1988年(昭和63年)1月、国の重要文化財に指定された。

とありますが、明治村(いつか行きたい)ではなく、上野公園の一角に移築され、そして現役のホールとして使われているというのは、両ウイングが短くなってしまったことは残念ながらも、うれしいことです。

ところが、移築から30年近く経ち、

121124_1_02 「設備等に老朽化がみられるようになったため」来年4月から休館するようです。

休館期間は、来年春に出る「老朽度・耐震強度等の調査」の結果を受けて明らかにされるのだそうで、現時点では不明です。

素人的には、旧奏楽堂関東大震災に耐え、旧東京音楽学校奏楽堂東日本大震災に耐えた建物ですから耐震性は大丈夫そうな気がするのですが、木造建築ですから経年劣化は避けられないでしょうし、こんなステキな施設が末永く使われていくためには、ここいらでお手入れも必要でしょう。

休館の前に、また出かけて、「日曜コンサート」を楽しみたいと思っています。

つづき:2012/11/25 先週末も博物館・美術館をハシゴ(その5)

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