■若草のデート / 北村優子 (日本ビクター)
社会人になってからの移動や配置換えは、かなりのプレッシャーや重荷を伴うのが現実でしょうが、青少年時代の学校におけるクラス替えや席替えは、サイケおやじにとっての楽しみのひとつでありました。
もちろん、自分の席の隣に、憧れの女子が決まらないかなぁ~~、とか、そういうスケベ心が優先していたのは言わずもがな、可愛い転校生が入って来たなぁ~んていう噂があれば、叶わぬ願いに気持も昂っていたのが、ちょうど春の今時期だったんですねぇ~♪
しかし、そんなこたぁ~、有り得ないわけですよ、実際……。
例えば本日掲載のシングル盤で昭和51(1976)年春にデビューした北村優子は、そうした夢見る対象には絶対でしょう。
このぐらい愛くるしい女の子が自分のクラスに入って来たり、ましてや自分の席の隣に決まったりしたら、毎日がルンルンと思っていた輩は数知れずと思いますが、いかがなものでせうか。
そして当然ながら、リアルタイムの北村優子はルックスに比例して、歌がターヘだったのが、このA面収録のデビュー曲「若草のデート」では、モロ出しですからねぇ~~♪
可愛さ余って憎さ百倍とは決して言えない、ある意味では人気アイドルの要件を満たしていたのが、北村優子の素晴らしい資質でありました。
ちなみに件の楽曲が作詞:阿久悠&作曲:森田公一、さらにアレンジが柳田ヒロ or 萩田光雄の担当であれば、正統派アイドル歌謡ポップスは「お約束」、それ以上の仕事が提示されているのですから、彼女の歌唱力が余計にマイナスのベクトルを示しているのは、逆説的に大正解と思うばかり♪♪~♪
つまりサイケおやじは、決して北村優子を貶しているのではなく、むしろ、アイドルとして芸能界にデビューせずして、なんになる!?!
そんなふうに思いつめるほどです。
ということで、ご存じのとおり、北村優子の芸能生活は短く、だからこそ忘れ得ぬ存在になった感も強いのでしょうが、それにしてもデビュー曲が「若草のデート」だったのは、全てにおいて出来過ぎかもしれませんねぇ~♪
春になると、ど~しても彼女を思い出してしまうサイケおやじであります。
コメント、ありがとうございます。
北村優子の人気は、やはり絶大だったと思うんですよ。
私の周囲には、かなり彼女に夢中の奴が多かったですよ。
しかし、仰るとおり、何故かそれに比例する活動をやってくれなかった現実は否めません。それが事務所取締役のご子息と結婚された事は、なにかしらの関係があるような……(苦笑)。
それは木内みどり!
流石に良いところを見ておられますねぇ~♪