OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

高山ナツキの歌が聞こえる

2015-04-24 14:43:55 | 歌謡曲

ふるさとよお前は / 高山ナツキ (日本ビクター)

おそらくサイケおやじと同世代の皆様には刷り込まれているはずと勝手に推察しているのが、高山ナツキが昭和42(1967)年に出した作詞:上野冷児&作曲:倉知輝による本日の掲載のシングル盤B面曲「ふるさとよお前は」です。

もちろん、その理由は同曲が当時テレビ放送されていた若者向けの朝のワイドバラエティ番組「ヤング720(TBS)」でイチオシされていたからで、ほとんど毎日、スタジオで録画された高山ナツキの歌唱シーンと共に、なんとも親しみを感じてしまうメロディーと歌詞が流されていましたからねぇ~~♪

サイケおやじにしても、学校が近かった所為もあり、その場面が終わってからの登校の道すがら、

 ふるさとよぉ~、おまえはぁ~~♪
 にぃくぅいやぁぁつぅぅぅぅ~~♪

なぁ~んて歌っていたんですから、なんとかの魂、百までってなもんでしょう。

当然ながら、それなりにヒットはしていたはずですが、かなり正統派に歌の上手い彼女には、これしか一般的に知られているレコードは無いという現実の厳しさが……。

ちなみに高山ナツキのプロフィールについては不明点も多く、船村徹の内弟子だったとか、この「ふるさとよお前は」を作曲した倉知輝の愛娘であるとか、本当は凄い空手の女ドラゴンだとかっ!?

様々に伝えられていましたが、個人的にはミニスカも似合うキュートな佇まい、幾分愛嬌顔の面立ちと相まって、その歌唱力の安定感は歌謡フォークから演歌系の楽曲まで幅広く表現出来るほど!

しかし残念ながらリアルタイムで世に出たレコードはそれほど多くはなく、後年はワイドショウのレポーターに転身してしまったのですから、なんとも勿体ないと思うばかりです。

それと掲載のシングル盤と同じ内容で、AB面を入れ替えたブツも出回っているあたり、やはり「ふるさとよお前は」の威力というか、極言すればテレビというマスコミの宣伝力は決定的と思いますから、何か纏まった復刻物を期待してしまいますよ。

ということで、実は昨夜、なんとかクビになっていないおやじバンドのメンバーから、もしも連休中に参加が可能ならば、この「ふるさとよお前は」をやらないか?

という、涙が出るほど嬉しい誘いがあったことは、皆様にもご報告せねばならないでしょう。

それが実現出来るかは別にして、もうサイケおやじには不義理は許されない、例えどんな理由があろうとも!

皆様のご厚情には、深く感謝するのみです。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
昔の名前は川崎純子・・でした (パラキン世代)
2019-05-09 23:38:19
「高山ナツキ」は「川崎純子」という名で昭和30年台に東芝レコード(東芝音楽工業)から「うわさの女」(八反ふじを︰作詞 望月弘:作曲)で、デビューしています。当時の年齢は確か16歳だったと記憶していますが白いロングドレスで大人っぽい雰囲気でした。
♪いつでもきまって金曜日いつでもきまって二番テ~ブル・・、と、おませで色っぽいキャラクターでした。ちなみに担当ディレクターの混同秀夫さんは昭和天皇のご学友として有名な方でした。
Unknown (ヤング720)
2019-08-27 00:43:33
高山ナツキさんは「川崎純子」と言う名前でデビュー
してません。どなたかと勘違いしてると思います。
父親の作曲家の倉知輝さん作品で歌ってます。30年デビューでは年齢が合いません。さすがに本名は
書けませんが。
昔の名前 (世迷言)
2019-10-14 05:23:09
高山ナツキさんはデビューからこの名前ですよ。
年齢的にも時代もまったく異なります。人違いでしょう。
高山ナツキさんとは歌手時代からレポーターに転身しても
交流がありましたし、実家にもお邪魔してます。そんな
年齢ではありません。

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