冷戦時代の想い出、東西の隔たりが真近だった場所(地図中の旗地点)です。オーストリアのウィーンから空港を通り越しての国道9号線は右左に家屋やお店が点在する寂れた道でした。この先にはチェコスロバキアのスロバキア側の首都ブラチスラヴァがあって、事前に大使館に行ってビザを取らなければ国境を越えられないラインがありました。
先日、その国道9号線を再び走ってみました。最後に走ったのは89年だったと思います。あの頃のバイクはスズキのナナハンでウィーンナンバーが付いていて、今回はカワサキの1400GTRでドイツナンバーです。24年後に再びバイクでこの街道を走る事になろうとは、特に考えもしませんでした。感想を訊かれれば 「感無量」です。
あの頃のチェコスロバキア国境へのオーストリア人の常識は 「この先少なくとも50年間は閉じたままだろう」 が普通で、90年前後に行き来が自由化するなんて夢想だにしない人がほとんどでした。ウィーンには今も昔も大挙して日本人観光客が来ていますが、当時この街道を通る観光客はまず居ませんでした。
写真奥に高速道路の併記が見られますが、時代は移り変わり、西側に開国後に分国したチェコもスロバキアも今や欧州共同体の一員で、スロバキアでは既にユーロ通貨が使われ、互いの行き来も移住も就労も完全自由化されています。今回は空港迄だった筈の高速道路が隣国まで延びていて国道9号線を探しました。
先日、その国道9号線を再び走ってみました。最後に走ったのは89年だったと思います。あの頃のバイクはスズキのナナハンでウィーンナンバーが付いていて、今回はカワサキの1400GTRでドイツナンバーです。24年後に再びバイクでこの街道を走る事になろうとは、特に考えもしませんでした。感想を訊かれれば 「感無量」です。
あの頃のチェコスロバキア国境へのオーストリア人の常識は 「この先少なくとも50年間は閉じたままだろう」 が普通で、90年前後に行き来が自由化するなんて夢想だにしない人がほとんどでした。ウィーンには今も昔も大挙して日本人観光客が来ていますが、当時この街道を通る観光客はまず居ませんでした。
写真奥に高速道路の併記が見られますが、時代は移り変わり、西側に開国後に分国したチェコもスロバキアも今や欧州共同体の一員で、スロバキアでは既にユーロ通貨が使われ、互いの行き来も移住も就労も完全自由化されています。今回は空港迄だった筈の高速道路が隣国まで延びていて国道9号線を探しました。
元気そうでなによりです。
何処となしか、ドヤ顔です。
やっぱり!絵的に「これ!」ですよね。
GTRくん!何処にとめても絵になりますよね。
シーズン到来、また旅の始まりだと思うとワクワク
します。
このバイク、本当に 「しっくり」 くるんです。まるで、女房みたいなもの (笑) かもです。おかげさまで、体調は復調し、天気次第で今年もバイクでドシドシと出張して行きます。