熊谷を走り、秩父・羽生方面へ3両編成の列車が走る秩父鉄道。
非常に歴史があり地域とのかかわりが深い鉄道会社です。
そんな、秩父鉄道にはどんなかかわりと歴史があるのかを現地に行って調べる「巡検」に行ってきましたので、
ご紹介したいと思います。
日帰りでも行ける行程ですので、行ってみるのも良いですね。
Ⅰ.秩父鉄道の概要
秩父鉄道は、埼玉県熊谷市に本社を置き 羽生~熊谷~寄居~長瀞~秩父と経て三峰口駅までの71.7㎞の本線と
貨物線2線合計9.0㎞を保有している。駅数は39駅、車両数は電車57両、電気機関車17両、客車4両、蒸気機関車1両、
貨車6両、私有貨車133両所有している。
なお、鉄道事業のほか不動産事業・その他観光事業等をおこなっている。

秩父鉄道で活躍する、1000系電車。
秩父鉄道の歴史は古く、1899(明治32)年「上武鉄道」として創立し、秩父地方の生糸のどの輸送を目的として、
同車初代社長の織物買継商「柿原萬三」をはじめ、熊谷・寄居・秩父の資本家などによって 1901(明治34)年に熊谷-寄居駅間を開業させた。
1916(大正5)年には、現在の社名である「秩父鉄道株式会社」に改称された。
開業当初は非電化区間であったが、貨物の輸送力向上のため 1919(大正8)年には全国で(遠州鉄道・三重鉄道に次いで)3番目、東日本地区の私鉄では初めて電化された。
1922(大正11)年には、当時別会社だった熊谷-羽生間を運行の「北部鉄道」を吸収合併。1930(昭和30)年 羽生-三峰口間が全線開業した。
その後は、大型乗合陸送事業や索道事業にも乗り出し、寄居駅からは東武東上線からの乗り入れも開始した。
1979(昭和59年)には、貨物専用の路線 三ヶ尻線を武川-熊谷貨物ターミナル間を開通、1988(昭和63)年には、さいたま博に合わせて吹上市の小学校に保存されていた
C58 363号機を復活させた「SLパレオエクスプレス号」の運行を始め、現在も子どもたちに人気である。
現在は、東武東上線からの直通運転をやめ、ATSなど保安装置を整備したうえで西武秩父線からの直通列車を設けている。
なお、2006(平成18)年にセメント輸送を廃止。貨物輸送は石灰石の運搬のみとなっている
観光事業にも力を入れており、1949(昭和49)年には「秩父自然科学博物館」を開業させている(1980年閉館)。
また、現在は長瀞より荒川の「ライン下り」が人気の1つで、ほかにも宝登山ロープウェイ・動物園の運営、秩父鉄道線の駅から沿線の山々や寺社をめぐる独自のハイキングコースを設け観光客に人気である。
Ⅱ.熊谷~長瀞間の車窓から
熊谷駅~長瀞駅までに車窓から見える見どころ、秩父鉄道関連のもの。
熊谷駅・・・言わずと知れた秩父鉄道の本社がある駅!留置線も多数あり停泊している列車も多い。
また、駅周辺には秩鉄直営のパーキングやテナント・ビル関係が立ち並んでいる。
熊谷~石原間・・・幅広い線路用地があるが、これは秩父鉄道の複線化計画の名残。一部は、東武熊谷線の敷地として借り受けていた。

上熊谷~石原間の走行中の車内より。秩鉄の複線化計画で幅広になっている用地。

ひろせ野鳥の森~大麻生・・・この区間には、秩父鉄道の車両の修理・検査等を受ける、広瀬川原車両基地(1969年設置)がある。

大麻生駅の多数の引き込み線。
大麻生駅・・・かつて大麻生駅では、荒川からの砂利採取が行われており、バラストなどで使用されていた。
武川駅・・・ここからは、熊谷貨物ターミナルへつづく三ヶ尻線が分岐。かつては、籠原駅へ延びていた。
また、明治時代には武川から東上線小川町方面への路線計画もあった。
寄居駅・・・秩父鉄道(1910j年)・東武鉄道(1925年)・JR八高線(1933年)が乗り入れる交通の要所で歴史も古い。
現在、ライフがテナントとなっているビルは、秩鉄が所有し「秩鉄寄居ショッピングセンター」という呼称がある。

交通の要所寄居駅。ここにも秩鉄直営のテナントが。
波久礼駅~・・・当駅から三峰口駅までは昼間の普電では、自転車を持ち込めるサイクルトレインを実施。
樋口駅・・・ホームからは、長瀞町立長瀞第二小学校にある「寛保洪水位磨崖表」の説明番が見える。【水】という字が目印。

長瀞駅へ到着
今回はここまで。
次回は、長瀞周辺の観光事業について紹介します。

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