2016年5月19日(木)
県立城ヶ島公園より
県立城ヶ島公園正面ゲート
公園に入るとすぐにこの案内図が目に入ったのですが
それによると南側海岸線のルートは第2展望休憩所の下辺りで終わっているようです。
うみのね広場 写っていませんが右手に第2展望休憩所あり 公園はとてもきれいに整備されていました。
第2展望休憩所 その1 房総半島方面から右方向に連続写真
第2展望休憩所 その2 相模灘方面
第2展望休憩所 その3 南西方面
第2展望休憩所から安房崎灯台(あわざきとうだい)へ 右の道から
指導標 安房崎灯台約500m ⇔ 城ヶ島灯台約1,600m
ピクニック広場
指導標 安房崎灯台約250m ⇔ 城ヶ島灯台約1,850m
「安房崎と洲の御前」説明板より
安房の国といえば当地より望見する南房総一帯をいいますが、その安房に向く岬という意味から安房崎の地名がついたと言われる。 ・・・洲の御前社は三崎の海南神社の祭神藤原資盈(ふじわらのすけみつ)の家臣四郎を祀ったといわれる。 ・・・安房崎の「はな」は海中に突出した磯のため浅瀬が多く、航行する船舶の難所であったため、昭和37年現在ある白亜のスマートな無人灯台が設置されました。 三浦市
安房崎
安房崎灯台 灯台左手に房総半島の鋸山がはっきりと見えます。
灯台付近から城ヶ島東端部 以下北東方面から南方へ連続写真
宮川湾方面
左寄りに岩堂山 一番右端が剱崎
房総半島方面 灯台の更にその先、安房崎の先端部です。 説明板にあった「安房崎のはな」というのはこの辺り一帯を言うのでしょうか。
中央やや左寄りに房総半島の先端部(館山?辺り)
安房崎灯台を後にして、磯伝いに城ヶ島灯台方面に進みます。
暫くすると、右手の斜面に島の上部に向かうルートが見えてきました。これが第2展望休憩所の傍に出るルートのようですが、取り敢えずもう少し進んでみると
洞穴の中の水深は浅そうですが、海水が流れ込んでいて
前方の海岸線を見ても、途中で通行不能になりそうです。
階段道へ
階段道の途中で 南西方面
急峻な崖
第2展望休憩所の傍に出ました。
城ヶ島公園の正面ゲートから再び城ヶ島大橋への道に戻り、この分岐で左折します(ウミウのモニュメントが目印)。 指導標 県立城ヶ島公園約50m ⇔ 白秋碑約650m 左、城ヶ島灯台約1,250m
暫く両側が笹などで覆われた展望のない道を歩きます。
指導標 県立城ヶ島公園約150m ⇔ 馬の背洞門約350m
「三浦半島八景 城ヶ島の落雁(らくがん)」という説明板が設置された小展望台 写真は南東方向の房総半島先端部を見たもの
この小展望台から更に少しばかり進むと
「ウミウ展望台」説明板
説明板によれば 展望台より望む赤羽根海岸東側の崖には、毎年十月下旬になると、ウミウ、ヒメウが遠く千島列島から渡来し、翌年の四月まで見る事ができる。約千羽にも及ぶ鵜の乱舞は冬の城ヶ島の風物詩であり・・・ 「城ヶ島のウミウ、ヒメウ及びクロサギの生息地」は神奈川県指定の天然記念物となっている(地域指定)。
ウミウ展望台より
指導標 県立城ヶ島公園約250m ⇔ 馬の背洞門約250m
ウミウ展望台を後にして、再び展望のない道へ
分岐点 左に道を取り、海沿いの道から城ヶ島灯台を目指します。
分岐指導標 左、馬の背洞門 約100m 右、城ヶ島灯台 約900m
赤羽根崎 海側の視界が開けると、下方に馬の背洞門が見えてきました。
上から見た馬の背洞門 僅かに残った天井部分
立て札には「馬の背洞門は岩がもろく、危険ですから洞門には登らないでください」と
下に降りたって見た馬の背洞門と説明板
説明板によれば これは自然がつくった海蝕洞穴で長い年月をかけて波浪、風雨などに浸食されてこのような見事な形となったものです。 地層は第三紀層、鮮新統、三浦層群に属し、土質は凝灰質砂礫岩という軟らかい岩質です。 高さ8m、横6m、厚さ2mで、土地の人は他に「めぐりの洞門」、「眼鏡の洞門」などとも呼ぶ。・・・
これは馬の背洞門の左側にある小さな海蝕洞穴 穴の向こうに相模灘
馬の背洞門
馬の背洞門
馬の背洞門
馬の背洞門を後にして、西端にある城ヶ島灯台を目指します。
指導標 城ヶ島灯台約800m ⇔ 県立城ヶ島公園約600m
城ヶ島灯台が見えてきました。
城ヶ島灯台 東側より
灯台の西側に回って 説明板「城ヶ島灯台」より
城ヶ島灯台の歴史は古く、慶安4年(1648)に島の東端安房崎に烽火台を設けたのが始まり。延宝6年(1678)にこれを廃して島の西端に灯明台を設けた。・・・ その後再度かがり火に代えたが、浦賀入港の船舶から燃料費を徴収したという。 このかがり火による灯台は明治3年まで続いたが、以降、フランス人技師(ヴェルニー)の設計建築による新灯台に代わった。 この新灯台は我が国5番目の洋式灯台で、関東大震災後再建され現在に至る。
城ヶ島灯台 西側より
長津呂崎(ながとろざき)方面から
北側に回り込み「城ヶ島」バス停に向かいます。 なお、この辺りは地質学関係の研究対象となるものが数多く見られるそうです。
これもその一つと思いますが
角度を変えると 私のような者には不思議な自然の造形美としか言いようがありません(苦笑)。
浸食された海蝕洞窟?
前掲写真の洞窟から海側を見たところ 回廊のような橋(観光橋)を通ってきました。
土産物屋が立ち並び、これまでの雰囲気とは全く異なるものになります。
「城ヶ島」バス停(京急) ここからは「三崎口駅」行きと「油壺」行きの二つの路線があるようです。 運よく殆ど待ち時間なしで油壺行きのバスに乗ることができました。
No.498
県立城ヶ島公園より
県立城ヶ島公園正面ゲート
公園に入るとすぐにこの案内図が目に入ったのですが
それによると南側海岸線のルートは第2展望休憩所の下辺りで終わっているようです。
うみのね広場 写っていませんが右手に第2展望休憩所あり 公園はとてもきれいに整備されていました。
第2展望休憩所 その1 房総半島方面から右方向に連続写真
第2展望休憩所 その2 相模灘方面
第2展望休憩所 その3 南西方面
第2展望休憩所から安房崎灯台(あわざきとうだい)へ 右の道から
指導標 安房崎灯台約500m ⇔ 城ヶ島灯台約1,600m
ピクニック広場
指導標 安房崎灯台約250m ⇔ 城ヶ島灯台約1,850m
「安房崎と洲の御前」説明板より
安房の国といえば当地より望見する南房総一帯をいいますが、その安房に向く岬という意味から安房崎の地名がついたと言われる。 ・・・洲の御前社は三崎の海南神社の祭神藤原資盈(ふじわらのすけみつ)の家臣四郎を祀ったといわれる。 ・・・安房崎の「はな」は海中に突出した磯のため浅瀬が多く、航行する船舶の難所であったため、昭和37年現在ある白亜のスマートな無人灯台が設置されました。 三浦市
安房崎
安房崎灯台 灯台左手に房総半島の鋸山がはっきりと見えます。
灯台付近から城ヶ島東端部 以下北東方面から南方へ連続写真
宮川湾方面
左寄りに岩堂山 一番右端が剱崎
房総半島方面 灯台の更にその先、安房崎の先端部です。 説明板にあった「安房崎のはな」というのはこの辺り一帯を言うのでしょうか。
中央やや左寄りに房総半島の先端部(館山?辺り)
安房崎灯台を後にして、磯伝いに城ヶ島灯台方面に進みます。
暫くすると、右手の斜面に島の上部に向かうルートが見えてきました。これが第2展望休憩所の傍に出るルートのようですが、取り敢えずもう少し進んでみると
洞穴の中の水深は浅そうですが、海水が流れ込んでいて
前方の海岸線を見ても、途中で通行不能になりそうです。
階段道へ
階段道の途中で 南西方面
急峻な崖
第2展望休憩所の傍に出ました。
城ヶ島公園の正面ゲートから再び城ヶ島大橋への道に戻り、この分岐で左折します(ウミウのモニュメントが目印)。 指導標 県立城ヶ島公園約50m ⇔ 白秋碑約650m 左、城ヶ島灯台約1,250m
暫く両側が笹などで覆われた展望のない道を歩きます。
指導標 県立城ヶ島公園約150m ⇔ 馬の背洞門約350m
「三浦半島八景 城ヶ島の落雁(らくがん)」という説明板が設置された小展望台 写真は南東方向の房総半島先端部を見たもの
この小展望台から更に少しばかり進むと
「ウミウ展望台」説明板
説明板によれば 展望台より望む赤羽根海岸東側の崖には、毎年十月下旬になると、ウミウ、ヒメウが遠く千島列島から渡来し、翌年の四月まで見る事ができる。約千羽にも及ぶ鵜の乱舞は冬の城ヶ島の風物詩であり・・・ 「城ヶ島のウミウ、ヒメウ及びクロサギの生息地」は神奈川県指定の天然記念物となっている(地域指定)。
ウミウ展望台より
指導標 県立城ヶ島公園約250m ⇔ 馬の背洞門約250m
ウミウ展望台を後にして、再び展望のない道へ
分岐点 左に道を取り、海沿いの道から城ヶ島灯台を目指します。
分岐指導標 左、馬の背洞門 約100m 右、城ヶ島灯台 約900m
赤羽根崎 海側の視界が開けると、下方に馬の背洞門が見えてきました。
上から見た馬の背洞門 僅かに残った天井部分
立て札には「馬の背洞門は岩がもろく、危険ですから洞門には登らないでください」と
下に降りたって見た馬の背洞門と説明板
説明板によれば これは自然がつくった海蝕洞穴で長い年月をかけて波浪、風雨などに浸食されてこのような見事な形となったものです。 地層は第三紀層、鮮新統、三浦層群に属し、土質は凝灰質砂礫岩という軟らかい岩質です。 高さ8m、横6m、厚さ2mで、土地の人は他に「めぐりの洞門」、「眼鏡の洞門」などとも呼ぶ。・・・
これは馬の背洞門の左側にある小さな海蝕洞穴 穴の向こうに相模灘
馬の背洞門
馬の背洞門
馬の背洞門
馬の背洞門を後にして、西端にある城ヶ島灯台を目指します。
指導標 城ヶ島灯台約800m ⇔ 県立城ヶ島公園約600m
城ヶ島灯台が見えてきました。
城ヶ島灯台 東側より
灯台の西側に回って 説明板「城ヶ島灯台」より
城ヶ島灯台の歴史は古く、慶安4年(1648)に島の東端安房崎に烽火台を設けたのが始まり。延宝6年(1678)にこれを廃して島の西端に灯明台を設けた。・・・ その後再度かがり火に代えたが、浦賀入港の船舶から燃料費を徴収したという。 このかがり火による灯台は明治3年まで続いたが、以降、フランス人技師(ヴェルニー)の設計建築による新灯台に代わった。 この新灯台は我が国5番目の洋式灯台で、関東大震災後再建され現在に至る。
城ヶ島灯台 西側より
長津呂崎(ながとろざき)方面から
北側に回り込み「城ヶ島」バス停に向かいます。 なお、この辺りは地質学関係の研究対象となるものが数多く見られるそうです。
これもその一つと思いますが
角度を変えると 私のような者には不思議な自然の造形美としか言いようがありません(苦笑)。
浸食された海蝕洞窟?
前掲写真の洞窟から海側を見たところ 回廊のような橋(観光橋)を通ってきました。
土産物屋が立ち並び、これまでの雰囲気とは全く異なるものになります。
「城ヶ島」バス停(京急) ここからは「三崎口駅」行きと「油壺」行きの二つの路線があるようです。 運よく殆ど待ち時間なしで油壺行きのバスに乗ることができました。
No.498
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