2015年4月27日(月)
松田町 寄 虫沢地区・・・(はなじょろ道)・・・ヒネゴ沢乗越・・・高松山801m・・・
・・・尺里峠・・・第六天570m・・・松田町 寄 虫沢地区
「はなじょろ道」ルートから高松山を目指しました。 「はなじょろ道」とは少々変った名前で興味が湧きますが、ルートは単純でヒネゴ沢の北側斜面をほぼ一直線に東から西へ登り続けるというものです。 やや単調な歩きになりますが、整備も行き届き予想以上に歩きやすくなっているので、静かにのんびりと歩きたいハイカーにはうってつけのコースになると思います。(はなじょろ道は花女郎道と書くようです)

虫沢地区 中央の古びた建物の所に終点のバス停(富士急湘南バス)あり。
左、高松山方面、右に見える橋が「長寿橋」で下は虫沢川
※ここにはバス停がありますが、時刻表を見ると実質的にハイカーが利用出来そうなのは田代向(たしろむかい)バス停のようです。

「長寿橋」バス停を左に曲がると

今日のゴール・スタート地点となる分岐 どちらに進んでも高松山に至るのですが、今回は右に進んで、左から戻って来る予定です。

分岐指導標1 尺里峠(第六天)・高松山 ⇔ はなじょろ道・林道秦野峠
分岐指導標2 右、はなじょろ道1.0Km 現在地標高300mの標識
案内板「はなじょろ道の由来」より はなじょろ道は、ヒネゴ沢より共和(山北町)の八丁に通ずる道路であったが、近年では国道246号線等が整備拡充されたこともあって、時に鉄砲道と言って狩りをする人がたまに通る道であった。
昔は共和村との婚姻関係もあり、花嫁さんがここを通って寄方面に来たので、この名が付けられた。平成21年に「虫沢古道を守る会」が往時と先人の労苦を偲んで虫沢から八丁の皆瀬川に至る総延長5Kmの道を間伐材等を利用して整備したものです。
田代向バス停-1.6km-虫沢-1.0km-はなじょろ道-2.0km-ヒネゴ沢乗越-
-3.0km-八丁-7.0km-JR山北駅 平成22年4月 虫沢古道を守る会

先ずは林道歩きで「はなじょろ道」入口へ



指導標 田代向バス停 ⇔ はなじょろ道

「林道 虫沢線 幅員4m 延長7,640m」


太尾橋 下は太尾沢

虫沢林道を虫沢川(右手)に沿って進みます

ヒネゴ橋に到着 下はヒネゴ沢 橋を渡った左手に「はなじょろ道」入口があります。

ヒネゴ橋 熊出没注意の看板

橋の上から ヒネゴ沢の上流側を見ると、堰堤が連なっています。

はなじょろ道入口
指導標1 左、はなじょろ道・八丁 直進、林道秦野峠
指導標2 ←これよりはなじょろ道・ヒネゴ沢乗越まで1時間
現在地標高 390m

「はなよめの鐘」 「ならして登ろう」 これは熊除けという意味ですね?

現在地標高400m

登り始めの九十九折りを過ぎると

指導標 はなじょろ道・八丁 ⇔ 虫沢・田代向バス停

ほぼ直線的な山道に変ります。 そしてこのような植林帯の中の道が長く続きます。

現在地標高450m


左下にヒネゴ沢 沢の音は聞こえてきますが、沢とは一定の距離を保って歩くルートなので、沢の様子を見ることも殆どありません。

現在地標高500m

初めて見た小さな木橋

ここから右に折り返して少しばかりの九十九折り 左は「行き止まり」の標識あり

時折、指導標の上などに動物の彫刻(チェーンソーアート)が置かれていました。

唯一、ルートの状態があまり良くない地点 ロープが取り付けられていましたが、通行には全く支障なし。

指導標 【 ← ヒネゴ沢乗越まで20分 】 現在地標高600m

右手にこんな場所も一か所だけ



右手の植林帯のようす


これはリスの彫刻? ヒネゴ沢が左手近くに見えるようになると、直線的なルートに変化が現れるようになります。 いつの間にか沢の音は全く消えていました。

現在地標高650m

二つ目の木橋

この先、「炭焼き窯跡」の標識

三つ目の木橋 どうやら、ヒネゴ沢がこの辺りで二手に分かれ、登山道は手前の沢を越えて行くようです。

向こう側にもう一つ涸れ沢があります

木橋の上から上流側を見たところですが、すっかり枯れて源流という雰囲気

沢と沢の間を少しばかり登って行くと

休憩所のような場所と

炭焼き窯跡 きれいな形で残されていました。手前が窯口でしょうか。
説明板によると 雑木を焼いて炭にする窯の跡。 江戸時代から山間部の農民の生活を支える「農間稼ぎ」として行われ、庶民の燃料供給源として、当虫沢地域でも昭和30年代まで盛んに生産されていた。 運搬は専ら人力で一人平均3俵ほどを背負って里まで運び現金に換えた。当窯からは、炭俵20~25俵の炭が生産されていたものと推定される。 平成25年3月 虫沢古道を守る会

炭焼窯を後にして 日がささない植林帯の中を歩き続けてきたので、このような景色が目にしみます。

再び涸れ沢を渡り返す四つ目の木橋


突き当たりを左に折り返し


ヒネゴ沢乗越へ最後の一登り

現在地標高700m

緩やかな斜面になると

ヒネゴ沢乗越 その1

ヒネゴ沢乗越 その2
指導標 左、高松山・尺里峠(第六天) ⇔ 右、秦野峠・シダンゴ山・ダルマ山 直進、はなじょろ道・八丁

ヒネゴ沢乗越 その3 ヒネゴ沢乗越から秦野峠方面を見たところ

ヒネゴ沢乗越 その4 ヒネゴ沢乗越から八丁方面に下る道を見たところ。(はなじょろ道は山北町の八丁方面に降りて完結するわけですから、いつかこの先を歩いてみたいものです)
神奈川県 高松山を歩く(2)へ
No.452
松田町 寄 虫沢地区・・・(はなじょろ道)・・・ヒネゴ沢乗越・・・高松山801m・・・
・・・尺里峠・・・第六天570m・・・松田町 寄 虫沢地区
「はなじょろ道」ルートから高松山を目指しました。 「はなじょろ道」とは少々変った名前で興味が湧きますが、ルートは単純でヒネゴ沢の北側斜面をほぼ一直線に東から西へ登り続けるというものです。 やや単調な歩きになりますが、整備も行き届き予想以上に歩きやすくなっているので、静かにのんびりと歩きたいハイカーにはうってつけのコースになると思います。(はなじょろ道は花女郎道と書くようです)

虫沢地区 中央の古びた建物の所に終点のバス停(富士急湘南バス)あり。
左、高松山方面、右に見える橋が「長寿橋」で下は虫沢川
※ここにはバス停がありますが、時刻表を見ると実質的にハイカーが利用出来そうなのは田代向(たしろむかい)バス停のようです。

「長寿橋」バス停を左に曲がると

今日のゴール・スタート地点となる分岐 どちらに進んでも高松山に至るのですが、今回は右に進んで、左から戻って来る予定です。

分岐指導標1 尺里峠(第六天)・高松山 ⇔ はなじょろ道・林道秦野峠
分岐指導標2 右、はなじょろ道1.0Km 現在地標高300mの標識
案内板「はなじょろ道の由来」より はなじょろ道は、ヒネゴ沢より共和(山北町)の八丁に通ずる道路であったが、近年では国道246号線等が整備拡充されたこともあって、時に鉄砲道と言って狩りをする人がたまに通る道であった。
昔は共和村との婚姻関係もあり、花嫁さんがここを通って寄方面に来たので、この名が付けられた。平成21年に「虫沢古道を守る会」が往時と先人の労苦を偲んで虫沢から八丁の皆瀬川に至る総延長5Kmの道を間伐材等を利用して整備したものです。
田代向バス停-1.6km-虫沢-1.0km-はなじょろ道-2.0km-ヒネゴ沢乗越-
-3.0km-八丁-7.0km-JR山北駅 平成22年4月 虫沢古道を守る会

先ずは林道歩きで「はなじょろ道」入口へ



指導標 田代向バス停 ⇔ はなじょろ道

「林道 虫沢線 幅員4m 延長7,640m」


太尾橋 下は太尾沢

虫沢林道を虫沢川(右手)に沿って進みます

ヒネゴ橋に到着 下はヒネゴ沢 橋を渡った左手に「はなじょろ道」入口があります。

ヒネゴ橋 熊出没注意の看板

橋の上から ヒネゴ沢の上流側を見ると、堰堤が連なっています。

はなじょろ道入口
指導標1 左、はなじょろ道・八丁 直進、林道秦野峠
指導標2 ←これよりはなじょろ道・ヒネゴ沢乗越まで1時間
現在地標高 390m

「はなよめの鐘」 「ならして登ろう」 これは熊除けという意味ですね?

現在地標高400m

登り始めの九十九折りを過ぎると

指導標 はなじょろ道・八丁 ⇔ 虫沢・田代向バス停

ほぼ直線的な山道に変ります。 そしてこのような植林帯の中の道が長く続きます。

現在地標高450m


左下にヒネゴ沢 沢の音は聞こえてきますが、沢とは一定の距離を保って歩くルートなので、沢の様子を見ることも殆どありません。

現在地標高500m

初めて見た小さな木橋

ここから右に折り返して少しばかりの九十九折り 左は「行き止まり」の標識あり

時折、指導標の上などに動物の彫刻(チェーンソーアート)が置かれていました。

唯一、ルートの状態があまり良くない地点 ロープが取り付けられていましたが、通行には全く支障なし。

指導標 【 ← ヒネゴ沢乗越まで20分 】 現在地標高600m

右手にこんな場所も一か所だけ



右手の植林帯のようす


これはリスの彫刻? ヒネゴ沢が左手近くに見えるようになると、直線的なルートに変化が現れるようになります。 いつの間にか沢の音は全く消えていました。

現在地標高650m

二つ目の木橋

この先、「炭焼き窯跡」の標識

三つ目の木橋 どうやら、ヒネゴ沢がこの辺りで二手に分かれ、登山道は手前の沢を越えて行くようです。

向こう側にもう一つ涸れ沢があります

木橋の上から上流側を見たところですが、すっかり枯れて源流という雰囲気

沢と沢の間を少しばかり登って行くと

休憩所のような場所と

炭焼き窯跡 きれいな形で残されていました。手前が窯口でしょうか。
説明板によると 雑木を焼いて炭にする窯の跡。 江戸時代から山間部の農民の生活を支える「農間稼ぎ」として行われ、庶民の燃料供給源として、当虫沢地域でも昭和30年代まで盛んに生産されていた。 運搬は専ら人力で一人平均3俵ほどを背負って里まで運び現金に換えた。当窯からは、炭俵20~25俵の炭が生産されていたものと推定される。 平成25年3月 虫沢古道を守る会

炭焼窯を後にして 日がささない植林帯の中を歩き続けてきたので、このような景色が目にしみます。

再び涸れ沢を渡り返す四つ目の木橋


突き当たりを左に折り返し


ヒネゴ沢乗越へ最後の一登り

現在地標高700m

緩やかな斜面になると

ヒネゴ沢乗越 その1

ヒネゴ沢乗越 その2
指導標 左、高松山・尺里峠(第六天) ⇔ 右、秦野峠・シダンゴ山・ダルマ山 直進、はなじょろ道・八丁

ヒネゴ沢乗越 その3 ヒネゴ沢乗越から秦野峠方面を見たところ

ヒネゴ沢乗越 その4 ヒネゴ沢乗越から八丁方面に下る道を見たところ。(はなじょろ道は山北町の八丁方面に降りて完結するわけですから、いつかこの先を歩いてみたいものです)
神奈川県 高松山を歩く(2)へ
No.452
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