(続) お山でウォーキング

里山歩きをメインにして運動不足の解消を図ろうと思っています。

神奈川県  七国峠を歩く(1)

2015-02-01 23:26:01 | 里山歩き
2015年2月1日(日)

坂呂橋・・・台山154m・・・八坂神社・・・神明神社・・・七国峠・・・愛宕山公園・・・
・・・厳島湿生公園・・・八幡神社・・・富士見台いこいの広場・・・比奈窪バスターミナル

   今回は中井町東部の丘陵地帯です。 台山以外は初めての所ばかりなので、とても興味があってついつい計画が膨れ上がってしまう事に。 行きがかり上、二宮町や平塚市にも入ってしまうロングコースです。 愛宕山公園からの帰途は例によっていい加減になってしまい、判断ミスも重なってかなり効率の悪い歩きになってしまいました。 私のウォーキングは効率や計画性を軽く見てしまう傾向にあるのですが、歩く距離が自分の能力を越えてしまいそうな場合はそうも言ってられませんね。疲れました。


坂呂橋 (神奈川県小田原市小竹)


「隧道口」バス停


直進 農道へ  右は二宮方面


右へ  左でも良いのですが、前回途中から歩いたので・・・




左へ


左へ


不動山方面   最初に目にした富士山の頭


気持ち良い里山歩きになってきました。  東へ進んでいるので、右側に相模湾方面


富士山の頭


右手に相模湾






農道が・・・


アララ・・・  でも尾根筋(小田原市と二宮町の境界付近)に乗っているので、ヤブっぽい道もほんの僅かで終了


二宮側の畑が広がる所に出ました。 左手に少しばかり進むと


昨年12月に台山を訪れた時歩いた農道に合流(12月はここまで)  右へ下ります。
向かって左側が小田原市小竹、右側が二宮町一色、そして正面奥が中井町というところでしょうか。


左手前に折り返して更に下って行きます。


左へ




八坂神社


八坂神社(住所 中郡二宮町一色)  道祖神など


八坂神社  説明板より  八坂神社がかつて「天王さん」と呼ばれていた由来は平安時代の疫病退散の神として深く民衆の心に根付いて(これを祇園信仰という)いた牛頭天王(ごずてんのう)を御祭神として祀っていたからです。・・・江戸時代末までは牛頭天王社、祇園社と呼ばれていたが、明治以降八坂神社に改名・・・


八坂神社  祭神は素盞鳴尊(すさのおのみこと)


八坂神社を後にして  県道71号線(新)の高架下を通って


下北根橋(しもきたねはし)  下は葛川(くずかわ)   
橋を渡るとすぐに県道71号線(旧)に出るので右へ


社号標「神明神社」 左へ


七国峠直行であれば左で良いのですが、右に少し進めば神明神社です。


神明神社の鳥居が見えてきました。


神明神社


神明神社


神明神社 社殿(住所 中郡二宮町一色625-2)
説明板によると  一色は鎌倉時代、盛んに武具の鋳造が行われていたと伝えられ、神社の近くに「金クソ」という地名も現存する。その工人達によって一色は開かれ、そして土地の鎮守として創祀されたのが神明神社であると言われている。・・・


神明神社  祭神は大日霎貴命(おおひるめのみこと)


狛犬 吽像


狛犬 阿像


神楽殿


社殿左手に小さな祠に向かう階段があったので


浅間神社  
説明板によると   この祠内に書かれてある「木花佐久夜毘売命」と左側石碑に刻まれた「木花開耶姫命」はいずれも「このはなさくやひめのみこと」と読み、富士山浅間神社の祭神で、御神体は八合目以上の富士山そのものです。祠はいつ頃のものか分かりませんが、石碑には安政七年とあります。


浅間神社のすぐ後ろの道に出ると七国峠への道に合流出来そうです。 左へ少し下って


右へ


富士山の頭


丹沢方面




庚申塔でした




標高点131m付近ではないかと思われます。


緩やかな上りの道を快適に歩いて




相模湾方面  左寄りに吾妻山


農道はゴルフ場の中に入って行くようです。


左へ


道はレストラン?前の庭園の右側を回り込んで行きます。


七国峠へ通じる道路に出るところ   左へ   右は大磯方面に通じているのでしょう。
地形図によると、この左手辺りに三角点181.7mがあると思うのですが・・・


前掲写真の位置から左にほんの少し進んだ所に見晴の良い駐車場があったので、そこからの眺めです。 大山方面から


秦野、平塚方面


今日初めて見た指導標  七国峠 ←【七国峠・遠藤原のみち】→ 鷹取山・妙円寺


前掲写真の指導標から5分も経たない内に七国峠(ななくにとうげ)の東屋が見えてきました。


七国峠  展望台(休憩所)  説明板によると   
平塚市の最西部標高約180mに位置する七国峠は、その昔旅人が往来する大磯街道(別名二宮街道・塩海街道)の中継地点であり、峠茶屋(長兵衛茶屋)があって、甘酒で旅の疲れを癒し、行き交う人々で賑わったという。 また、交通の要衝でもあり、大磯や二宮との人や物の交流にも重要な峠であった。・・・土地の人々は「土屋で一番高い所にある見晴らしの利く台地」ということから、ここ一帯を「高見台」と称し、「タカンド」と呼んでいる。鎌倉時代には「烽火台」が置かれ、湯河原の土肥氏、小田原の曽我氏、中井の中村氏・・・らとの連絡に使用したといわれる。 さらに、石橋山の合戦の時にはこの地の領主土屋三郎宗遠(むねとお)が一族を率いて参戦(頼朝側)したが、実子忠光を失い、これを悲しんで植えたといわれる「供養松」の伝説がある。


石柱には「平塚八景 七国峠」とありますが、説明板にある「約180m」とか「182m」というのは三角点のある辺りを指しているのでしょうか。長兵衛茶屋はこの付近にあったようですが。


展望台より  丹沢表尾根、大山方面   この資材(廃材?)置き場は残念としか言いようがないですね。


展望台より  相模湾方面



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No.432























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