お子様に「勉強は嫌なもの、大変なもの、憶えるのは面倒くさいもの」というふうにわざわざ思わせていませんか?そういう印象(先入観)を与えてしまってから「勉強しなさい!」と言っても、お子様が勉強したがるわけがありません。誰だって嫌なこと、不快なこと、気が進まないこと、面倒くさいことから逃げられるものなら逃げたいですから。大人は仕事上のことなら、気が進まないこと、嫌なことから逃げられないのはわかっていますので生活のために実行します。しかし、幼児や小学校低学年のお子様は、「今が良ければ良い。」とか「今が楽しければいい。」というようにその瞬間、瞬間を生きています。(いわゆる刹那的人生を送っています。)
例えば、公立小では小2の2学期に学校で九九を教えていますが、九九を憶えるのが面倒くさい、大変そうなので結局九九をほとんど憶えずに3学期を迎える生徒がいるそうです。すると、学校では割り算に入っているのにその生徒は九九をまだ完全に憶えていないので割り算もできません。その状態ですぐに分数、小数が入ってきてしまい、ますます苦しくなります。そして、いつしか算数。数学が大嫌いになり、中学生なのに分数の計算ができない子ができあがります。原因は「九九を憶えるのが面倒くさい。」という先を読めない子供の「わがまま」を許したか、または、「九九はそのうち憶えるだろう。」と甘く考えたご父母様にあります。<o:p></o:p>
では、どうしたら勉強が好きになり、九九なども自分から進んで憶えようとするのでしょうか?
その答えの一つが名付けて「トムソーヤ方式」です。
かのマークトウェインの作品「トムソーヤの冒険」に出てくる主人公のトムソーヤです。<o:p></o:p>
子育てのポイントを説明するために少し長くなりますが、あらすじ紹介すると<o:p></o:p>
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トムは夏休みのある暑い日に家の板塀のペンキ塗りをおばあちゃんからいいつけられます。本当は近くの川に行って泳ぎたいのに罰としてやらされています。そこにトムの友人達が通りかかります。本当は嫌で嫌でたまらないペンキ塗りの仕事を友人たちにはいかにも楽しそうに鼻歌交じりにやってみせます。その様子を見た友人達もトムのやっているペンキ塗りがいかにも楽しそうなのでトムに「僕にもやらせてくれ」と頼みます。トムはわざと「こんな楽しいことを君たちにやらせるわけないだろう。嫌だね」と断ります。そう断られた友人たちはますますそのペンキ塗りをやりたくなります。そこを見計らって友人達にもったいぶって「そんなに言うなら、君の宝物をくれるならやらせてあげてもいいよ。」と交換条件を切り出し、友人達に交代でペンキ塗りをやらせ、トムが木陰で昼寝をしている間にペンキ塗りの仕事がすべて終わります。ペンキ塗りをやった友人達は本当はトムの作戦でやらされているのに、さらに、大切にしていた宝物をトムにあげたのに「楽しかった。またやらせてくれよ。」とニコニコしながら帰っていくのです。<o:p></o:p>
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この中には「勉強を好きにさせるヒント」がたくさん入っています。<o:p></o:p>
① 実際は大変なことも「大変」と言わずに「○○のお勉強ってとっても楽しいよ。」と言いながらいかにも楽しそうにやってみせる。また、そのお勉強をマスターしたらいかにかっこいいか、いかに楽しいか、いかに頭がいいと思われるか、いかに便利か等を語る。<o:p></o:p>
② お子様がそれをやりたいと言い出しても、あえてすぐにはやらせず に引き続きその勉強がいかに楽しいかやってみせながら話す。もったいぶる。
③ また「そのお勉強をやりたい。」とお子様が言うように仕向け、「そんなに言うならやらせてあげてもいいけど、そのかわり自分から『お勉強をやりたい。やらせて欲しい。』と言い出したのだから、途中で『やっぱり嫌だ。』とか、『お勉強したくない。』なんて言い出さないんだよ。約束出来る?約束できるならそのお勉強をやらせてあげてもいいけど・・・・・・。どうする?そう、それじゃ約束だよ。」<o:p></o:p>
④ トムは友人にやらせている間に昼寝をしていましたが、御父母様は日々お子様のお勉強に取り組む様子をみながら励ましたり、褒めたり、時には、なだめたり、すかしたり、しかったりしながらお子様本人が「○○のお勉強大好き!楽しかった!」と自分から言うようにもっていくのです。
*勉強は強制されるより、自発的に学んだほうがより学習効果が上がるものです。<o:p></o:p>
お勉強もお子様の心の状態が大きく影響するのです。<o:p></o:p>
なぜなら<o:p></o:p>
やる気×やり方×やること=合格、成績向上
だからです。<o:p></o:p>