よのなか研究所

多価値共存世界を考える

「無人島」と「有人島」  

2012-09-05 22:26:00 | 島嶼

                         Photo (これも無人島、吐喝喇列島横当島、鹿児島県)

 日本は多くの島々で成り立つ国であるが、そこには多くの有人島とそれを上回る数の無人島が存在している。

現在、沖縄県の「尖閣」無人島群と島根県の「竹島」有人島群との話題が尽きない。メディアにとってはひさびさの絵になる時事ネタである。前者は複数の国・地域の人間が上陸して映像が流されて話題となり、後者はすでに韓国が実行支配して軍の基地として活用している光景がたびたび映し出されている。軍隊だけが存在する島を果たして「有人島」と呼べるのだろうか。と思いきや、「竹島」には漁師の夫婦が住民登録して居住しているとのことである。手回しが良いし、国の要請に応じる人がいるということだろう。日本にも尖閣の島で生活しようとする人たちが出てくるだろうか。そして、先日の李大統領の上陸である。これも映像が世界中に流されたようだ。しかし、欧州や中東、アフリカや北中南米に住むひとびとがどれほど関心を以て見たのだろうか。

「領土問題」に譬えて言えば、地中海の大西洋への出口であるジブラルタルのイベリア半島側の突き出た半島は歴史的に英領となっていて、スペインは返還を求め、他方イギリスは総督を置いて統治の形式を保っている。ところが、対岸のモロッコのセウタ地区はスペイン領となっていている。いずれも軍事的要塞であるが、なんともちぐはぐな話しである。東アジアの人間にはあまりピンとこない話題である。国境や領有の問題は遠く離れた地域の人にはあまり関係がない。

さて、「尖閣」の問題である。こちらは最近も日本の調査隊や取材クルーが接近し、海上保安庁の映像もあって現在の状況を見ることが出来る。近くの海底にはサンゴ礁が広がっていて、色彩や豊かな魚群が泳いでいる様子が映し出され、これに「この美しい環境を守らなければならません」と紋切り型のナレーションが重なる。このような視点で語るなら、日本国内にある自然環境が汚染され、破壊されている島嶼のことも取り上げてもらいたいものだ。たとえば、沖縄の久米島の北25キロにある鳥島は全島が米軍射撃場となっていて、米軍機による銃撃と弾薬投下で島はほとんど死の世界になっているらしい。と云うのは島とその周囲三カイリの海域は立ち入り禁止地域であり、報道機関も近づけず、実体を知る者はいない。日本の国土でありながら、日本人が上陸できないばかりか、取材することさえできない島がいくつもある。近海の漁場は荒らされる。さすがに以前に射撃訓練をした劣化ウラン弾については回取すると発表しているが、まだそのわずかしか回収していない。島は一部を除いて砂礫と化していると伝えられている。現実の、生活に直結した目の前の問題には常に注意してもらいたいものだ。

 「シマチュ」(島に生まれ、育ち、その言語・生活文化を理解する人)の一人として「島嶼(とうしょ)islands」の重要性が論じられることは嬉しいものがある。若い人にも、もっと普段から小さな島に注意を払ってもらいたいと思う。かつて有人島であった鹿児島県吐喝喇列島の臥蛇島や徳之島の西沖に浮かぶ硫黄鳥島は現在どうなっているのだろうか。

隣国と軋轢を起こしてまでも国土は守り通したが、その人口はどんどん減っていった、というのでは主従逆さまな気がする。そもそも、島嶼の生活は今日の経済原理にそぐわない。それは日本の、あるいは東アジアの固有のものではない。世界各地での問題である。自立できない島嶼のほうに問題があるのか、大が小をのみ込む経済原理の方に問題があるのか、が問われなければならない。

日本全体を見ても、働く人への配分(労働配分率)が年々低下し、社会的富者がますます富み、一部法人が巨大な利益を上げ、その配当の多くが外国へと流出していく仕組みが効力を発揮している。「会社と社員は共同体」、という時代は去り、若い夫婦が二人共働きでも出産・育児に踏み切れないような世帯が増えている。このような傾向は、島嶼や山間部や半島などに顕著に表れる。領土も大事ではあるが、マスコミは一時的な熱狂を生み出すことにではなく、社会の継続性についても息の長い報道と目配りしてもらいたい。むしろ、こちらを優先してもらいたいと思う。

領土をめぐる問題は時間をかけての解決が求められる。時には「ほおっておく」と云う態度が必要なことを歴史は教えている。英語では “leave it!”というのだったか。先のジブラルタル海峡を挟んでのイギリスとスペイン、それにモロッコの対応は「ほおっておきながらいつか解決する意思を持つ」という大人の態度のように見える。

最近の一部政治家、一部評論家・コメンテーターの発言を聞いていると、「協調」よりも「対決」を主張するものが多く登場しているようだ。中には自分の幼児性を披歴して得得としている者さえいる。隣接する国家同士に国境問題はついて回るものであり、これを短兵急に解決しようとしてもいたずらに国力を浪費させるだけであることくらいは歴史に学んでもらいたい。それとも、日本の国力を削ぐことを目的とする勢力がどこかに存在するのかもしれない。そこでこのような連中が集中的に登場してきたのか、マスコミがニュースのネタ不足を解消せんと、「勇ましい」発言を繰り返す政治家や評論家をテレビ画面に登場させているのだろうか。

昨今のメディア報道を見聞きしている限り、あるいは日本人には「大人の態度」は無理なのか、と考えさせられる。

(歴山)



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