よのなか研究所

多価値共存世界を考える

仏教と中国

2012-02-28 21:14:33 | 信仰

              Photo(上海市内のビル街に囲まれる静安寺)

 

1966年から76年にかけて中国では「文化大革命」の嵐が吹き荒れ、宗教施設の多くは破壊されたと報道された。筆者の世代は、そのニュース報道をお茶の間で見ていた。同時期にベトナムで米軍が民家を焼き払う写真や北爆(当時の北ベトナムを空爆すること)の映像が見あきるほど流されていた。

いま、中国を訪問してみると、放置されたままの寺院や廟や道観(道教寺院)が目につくのは確かである。それはあの国の長い歴史の中ではひと時の熱波のようなもので、徐々に落ち着きを取り戻しているかのようにみえる。経済自由化と観光事業による外貨獲得政策などもあって、有名な寺社から再建されているようだ。それらはいかにも新建材で造られたと分かる寺院が多い。敦煌や西安(かつての長安)はじめ、歴史を売り物とする観光地では古い建物を忠実に復元し、修復に力を入れている。

 

 「商都」といわれている上海でも幾つかの寺院が復興していた。その一つ、市の中心部に位置する静安寺を訪ねてみると、境内には世界各地からの観光客がいたが、本殿の半地下にある講堂のように広い集会場には地元の信者たちがあふれるほどに集まり、スピーカーから流れる僧侶の読経に合わせて二百人ほどが一斉に読経していた。もう一方では、長い机の前に並んで朱で縁取りされた大きな用紙に誓願の文言を書いて、お布施と一緒に僧侶に渡す人たちが列を作っていた。廊下に設けられた十六羅漢像の前では長い線香の束を手にしたまま五体投地prostrationの姿勢をとって繰り返し礼拝していた。人びとの年齢層は広い。中国式の五体投地はインド、ネパール、チベットに残る、文字通り五体を地に横たえるのではなく、肘と膝と頭部を乗せるための綿布で覆い柔らかくした傾斜のついた台座の上で行う。それでも、平服で五回、十回と繰り返して行うのはなかなか苦労を伴う。

 

この地にはまだ信仰心が続いていた、と見るべきなのか、文革の後に信仰心が復活してきた、と見るのかは判然としないものがあった。おそらく、その両方ではないか。先進国の一般の人々の理解では中国では今も宗教はご法度であるということになる。加えて、経済政策の転換により今の中国人は拝金思想にまみれてしまい、もはや信仰心などはもたない、と受け止めている。筆者もその一人であった。

我々が報道によって、特に映像を伴うテレビや映画というメディアを通じて理解している国際情勢がいびつな世界観を作りだしているのであり、真の信仰心というのは革命や戦争や破壊によっては滅びることはないのではないか、と現地を見て改めて感じられた。

 

 中国政府によるチベット仏教や、イスラーム(回教)を信仰しているウイグル族の一部の人々を弾圧していることは非難されなければならないのは当然である。同時に他の国々での宗教弾圧や民族・人種の差別・排除にも同様に批判の声をあげなければならない。

 中国は長い歴史を有し、その中で多くの思想・宗教を生み出し、考案してきた国である。前三千年の殷は祭礼国家であり、前千年にこれを滅ぼした周は礼楽国家だった。インドのバラモン思想、パレスチナのヤーウェ思想に比肩しても余りある歴史がある。

日本人の多くが信仰している仏教は中国を経由し、そこで解釈され翻訳され、加筆されたものを拝んでいるのである。すなわち、南アジア発祥の考えを東アジア風に書き換えたものなのである。その間、法顕や玄奘三蔵や義浄といった高僧たちの命をかけたいくつもの物語りが存在する。当然のことながら「空」も「縁」も「業」も、「釈尊」も「天竺」も「般若」も「天台」も、彼らが翻訳して伝えたものなのだ。

 日本人がこの国土の純粋な信仰と信じて疑わない「神道」の古い聖地には、もともと建屋など持たなかったところに仏教が伝わってその寺院を模して社が建てられたものであり、その儀礼や様式も仏教と儒教、道教の影響を大きく受けている。

本来の日本の「カミ」信仰は、諏訪大社や宇佐八幡宮に伝わる祭事のように自然を対象とし、宗像大社の高宮祭場や沖縄の斎場(さいふぁ)ウタキのような自然空間であったと考えられている。

 

中国で仏教寺院、道教の道観に詣で人びとの信仰する姿を見て、この国の大国としての復興を垣間見た気がした。何かを信ずることは尊いことであり、人間社会の重要な構成要素であると思う。中国の大衆にも信仰心により寛大な心持ちの社会を構築していくことを期待したいものだ。

真の信仰心とは神仏に頼みごとをするのではなく、何かを畏れ敬い、自らを律するところにある。

(歴山)

 



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