よのなか研究所

多価値共存世界を考える

総選挙報道にも「旬」があるのか

2012-12-12 09:26:04 | メディア

 

                                     Photo ( 選挙演説のメッカ新宿駅東口 )

終盤を迎えた総選挙の二ュースが多いのは結構だが、各社が発表する「政党支持率」や「政党別当選者予想」を投票日が迫って発表することはどんな意味があるのだろうか。すなわち、勝馬に乗れ、と言うことなのだろうか、それとも、二番手三番手以下のいずれかに投票してバランスを取るようにしたいのだろうか。

世論調査というといかにももっともらしいが、マーケティング理論や旧ソ連時代の体制維持のための「国民の声」調査に示されているように「質問票Questionnaire」の作成内容によりいかようにも変わるものである。結果をほぼ先に決めておいてそれに近づけるQuestionnaireを作るのがその道の専門家Professionalの仕事である。最近はその手のプロが増えている。戦略広報Strategic PRなどと称しているようだ。それゆえ、報道各社の世論調査報道を良く読むと、その社の期待するところが良くわかるのである。ただし、意図的にその反対の結論を導き出していることもあるから、そこは見極めが必要となる。

しかし、ここで取り上げたいのはこのことではない。過去数回の総選挙でメディア各社が大きな争点として取り上げておきながら、何らその成果あるいは結論が出ていないにもかかわらず全く触れようとしないことである。「旬」でないと売れないのはタレントだけではないようだ。

確かに「原発」の廃止か存続かは大きな問題である。また「消費税を上げるか否か」も争点である。「景気・雇用」や「島の領有権」や「保健・医療」も大きな課題である。しかし、決して「国防軍」設置や「憲法改正」が大きな国民的関心事とは思われない。それは意図的に作りだされているもののようである。

三年前には「特別会計」、「天下り」、「特殊法人」についての報道各社入り混じっての論争があった。具体的な事例として、「無くても誰も困らない特殊法人」がいくつも取り上げられて、理事長の年収が二千ナン百万とか理事が何人いて平均千ナン百万、法人への補助金が年ナン十億円、等々の調査結果が報じられた。これらの「無くても困らない特殊法人」に投下されている給与・補助金は当時で年間二十兆円との試算も記憶がある。そんな背景もあって民主党の登場となり、「事業仕分」が世間の注目を集めた。これが思わぬ横槍が多方面から入り、ほんの小手先の対応で中途半端に終わったことは国民も知るところである。網の目のように入り組んだ特殊権益集団の結びつきは一回の選挙で解きほぐすにはあまりに手強い相手だった。その点は確かに勉強になった。報道各社は「民主党ではだめだ」と書いてそこで終わっている。

本来なら、それらの問題を継続して追求することこそ報道機関としての勤めではなかろうか。各党党首を並べての共同記者会見の場で質問することができたと思う。事態が改善されているのではない。天下りの人数が減った、とされているがむしろ見えないところで天下りは増殖を続けている。

国家公務員の給与を減らせ、との論調があるが、そんな必要はないだろう。上級公務員たるもの、本庁務めが終われば退職金をもらうのであるから人並み以上の老後の生活は保障されているはずである。天下りを全面的に禁止し、それらの特殊法人を審査して廃止または統合すれば公務員給与を下げずに、また増税をせずにやっていける計算になる。自分の居場所を確保したいだけのわがままで、若い人たちの給与を減らし、あるいは職場を奪っていることを彼らには自覚してものらいたいものだ。自分の経験を社会に生かしたいと考える人は、「無給」ででも働くであろう。

年金問題についても問題解決は遠のく一方である。現自民党総裁は確か五年前の選挙で、「消えた年金を私の力で年度内に最後の一人まで解決します」と連呼していた人だ。時の厚生大臣は公明党の議員で「百年安心の年金制度」を作った、とテレビ番組で何度も得々と発表していた。

すなわち、マスコミ報道機関が報じなければ争点とならないのである。ネットメディアの力はまだまだ限定的である。さほど意味もない「世論調査」をやっている暇に、過去の選挙でどのような社会問題を論じていたか、を再確認してもらいたい。

ものの本によると、「世論」とは ”Popular sentiment” すなわち、「世間の空気」のことであり、「輿論」とは ”Public opinion” すなわち「公共的意見」のことを指す。どっちも「よろん」だが大きく異なる。

とすれば、各社の発表する世論調査は「世間の空気」であり、また「自社内の空気」と解すれば納得がいくのである。

(歴山)