よのなか研究所

多価値共存世界を考える

選挙は「瞬間風速」ごっこ?

2012-11-28 20:49:28 | 時事

                 Photo ( 港の近くのかつての繁華街、鹿児島市 )

新しい政党が次つぎと出てきて、しかもそれらが合流して一方の名前が消えたりして覚えるほうも大変です。こんなことならいちいち覚えずに選挙が終わってから残った政党だけを覚えることにしたいところですが、学生相手に教えている立場ではそうもいかない。

「たちあがれ日本」が「太陽の党」になったかと思えば、「日本維新の会」と合体して名称が消えてしまった。かと思えば「国民の生活が第一」が解党して新しく登場する「日本未来の党」に加わると報道されている。

「国民の生活が第一」はもともと民主党のキャッチコピーだったものをこれに分かれて政党名としたものであり、暫定的なものだったのかもしれない。それゆえこの党名は解釈の巾が広かった。すなわち、他国籍ではなく「自国の国民の」生活が第一、とも解釈されるし、外交や教育や産業や環境よりも、国民の「生活」が第一、とも解釈される。もちろん、すべては生活に集約されるわけだから、どれも含んでいると言えばそうであるが、語感的にはネット右翼にもネット左翼(というのはあまり聞かないが)にも受けの良さそうな名称だった。今の展開では、「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」という長い名称の政党も合流してその名が消えることになりそうである。

本来選挙民にとつて多党化傾向は決して悪いことではない。選択肢が増えることは喜ばしいことである。複雑化する社会の諸問題についてすべて一致する政党を見つけるのは至難の業であり、多少の違いはあっても多くの点で自分の意見と一致する政党や立候補者を多数の中から選べばいい。そして議会の場で、それぞれの案件について似た見解の党派が寄り集まって主張し議決していけばよい。

だが、小選挙区制度で中小政党が議席を確保することは難しい。一人区のみの小選挙区制は二大政党の固定化の為に考えられたものであり、第三党以下の政党が議席を得るのは並大抵のことでは出来ない。そのために比例区が用意されている、ということになっている。それは一つの論法であって、結果をみれば大きな歪みが残されている。

一つの区で議員が三乃至四人が選ばれる「中選挙区」に戻す、という意見が時々出てくるがなかなか、大きな声にならない。現在多くの議席を有している政党がこれに反対するからである。有権者も小選挙区制度の方が分かり易いとして是認しているのか、または単に慣れきっているのか、良く分からないところがある。

そこで「全国一区」という構想がときどき顔を出てくる。すなわち、立候補者がどこでどのような選挙活動をしようが、その得票数を上から順に並べて上位三百人を当選とする制度である。これなら一票の格差の問題も解消される。しかし地域性が希薄となり、ますますエンタメ系政治家が増えることになりかねない。

選挙制度は現在のままで、需要案件について、つまり、現時点で言えば「原発継続」、「TPP交渉参加」、「消費税増税」などに賛成か否か、について国民投票にかけて、直接国民の声を反映させようという声も聞かれる。

「全国一区」も「国民投票」も公正で、結論がはっきりとする方法である。だが、これまでの数回の選挙で見るように、特に国政選挙では一時のブームに動かされがちである。「世間の空気」と言うものが政治を左右するのである。しばらくしてのその熱気が冷めると揺り戻しが起きることになる。つまり、選挙というものは古今東西を問わず、「瞬間最大風速」の測定をしているようなものなのである。そこに、謀りごとに長けた人物が「突風」を起こして選挙で大勝する、ということを我々も過去に何度か体験してきた。

しかし、今回も小選挙区で争われることになる。多くの政党が登場することをきっかけに、個々の有権者が各種メディアで報じられていることと、自分の眼で見て考える社会の姿との落差を意識し、懸命な選択をすることを期待したい。このことがメディア・リテラシー教育の狙いである。

代議制・議会制民主主義は現在は最も優れた統治機構ということになっている。かつてチャーチルが「民主主義は劣悪な制度である。しかし、今のところこれにより秀でた制度はない」と語ったと伝えられる。

風速・風向は瞬時に変わるものであるから、これをより長い時間経過をもって再計測する方法が考えられる。すなわち、国民投票で決めた案件については、次回の国民投票の機会に再度判断してもらい、最低二度の投票結果で国民の総意とする、と決めることにすれば「突風」による行きすぎを制御することが可能となる。

国民のための政治を行うには、手間と時間を惜しんではならない。

(歴山)


多党化と議会制民主主義

2012-11-14 14:40:28 | 時事

                   Photo ( 大正七(1918 )年竣工で現役の大阪市中央公会堂、中之島)

 年内か年明けかは分からないが、そう遠くない時期に総選挙となりそうである。当事者が自分で言っているように「雨後の筍」の如くに新党が登場している。結構なことだ。それらのどことどこか組むとか、組まないとか、で紙面をにぎわしている。テレビも久々に視聴世帯数が騰がりそうな雰囲気になり、ニュースショウで、ワイドショウでは新党をはやし立てている。そこでは、「キャラ」の立つ、要するに目立った人物をせっせと取り上げて視聴率獲得競争をしている。選挙が公示されているわけではないので、特定の政党のスター政治家たちを集中的に取りあげても選挙法違反となるわけではない。

先般の米大統領選挙と上院議員選挙も新聞の紙面とテレビでの時間が大きく割かれたが、結局のところ大きな変化はなく、選挙に膨大な費用が投じられていることが知られたことくらいである。大統領候補の両陣営は数億ドル、つまり百億円単位の資金をテレビ・コマーシャルに投下したと報じられた。国が広いし、有権者も多いから大統領選挙に勝つためには費用がかかることは分かるが、問題はその内容である。相手を誹謗中傷するメッセージに、相手を貶める映像を探し出してきて繰り返し一般家庭のテレビ画面に送り届けることを競っていたわけである。民主主義の究極の形はこういうものであったのか、という思いをした人も多いと思う。

議会制民主主義では、選挙で選ばれた議員が議会で法案を提出し、それを議会で議決することで政策が決められて行く。立候補の資格が国によって多少異なり、特定の政党の党員でない立候補が難しい国がある。たとえばシンガポールであり、中国であり、サウジアラビアである。日本の場合は高額な供託金という制度があり、誰でも簡単に立候補出来るわけではない。たとえば、筆者が選挙に出ようと思ったとしても、そのリスクを考れば躊躇することになるだろう。しかし、仮に立候補の資格が年齢のみであり、供託金も安価であり、ほとんど誰でも立候補出来るとしても議会制民主主義に問題がないではない。

議会の外で、ロビーイストという議会工作の専門家が存在し、特定の組織・団体、またグループの意を受けて活動しているからである。ベテランのロビーイストたちは、議員よりも力があるといわれている。すると、一体議員という立場はなんだろうか、と言うことになりかねない。これはアメリカだけの話しではない。どの国にも圧力団体は存在し、その意を受けて議員の間をかけずり回り、特定の法案を通したり、あるいは通させなかったりすることを生業とする人間がいる。人気の評論家やコメンテータと称する人たちも、メディアに登場して特定の法案に自己の見解を述べている。一般大衆、すなわち有権者の考えをある方向に向けて発言しているのであるが、それは地域の有権者を通して候補者に影響を与えることになる。つまり、議会制民主主義と言いながら議員たちの意見よりも、他の意見が強く法案決定に力を持つことになりかねない。

政党がたくさん出来ることは悪いことではない。選択肢は多い方が良い。現状で言えば、原発の廃止か条件付き再開か、消費税増税に賛成か反対か、地方分権受け入れか否か、円高をどうするか、駐留米軍は必要か、尖閣問題への対処はどうか、これらの問題で一人の有権者の考えに全て一致する政党はないだろう。そこでより近い政党を選ぶとなると幾つもの政党が登場してくるのは当たり前のことである。ひとつ一つの政党の議席数は少なくなるが、案件ごとに政党が集合して法案を議決していけばよいのである。

インドは有権者数七億人を超える議会制民主主義の国であるが、国会に議席を持つ政党が四十余りある。そのうち地域政党が十ほどで、それらのいくつかは地元では州議会の与党であり、州の政府を動かしている。中央政府にしてからが、大きな政党と中小の政党の寄り集まりで国政を動かしている。それゆえに、ものごとの決定は像の歩みのように遅い。しかし、強権的な政党やそのリーダによる「スピード違反」のような進め方よりは実害ははるかに少ないと思われる。そこがインドが中国とも先進諸国とも異なる点である。

国民は多く政党から自分の考えに最も近い政党を選ぶ権利を行使している。インドに学ぶところは多い。

(歴山)


イギリスの場合、

2012-10-25 09:35:45 | 時事

、            Photo  ( 平日のバッキンガム宮殿、ロンドン )

   このところ日本と近隣諸国との軋轢が目立ちますが、ユーラシアの西の端の島国イギリスも同様に大陸国家といろんな問題を抱えているようだ。

ヨーロッパ諸国が二次にわたる大戦の惨禍に懲りて作り上げたのが欧州連合(EU、仏語圏ではUE)だった。EUは6カ国から始まり、現在は27カ国にまで拡大している。そこでは、経済面で市場統合し、また国境通過の手続きが簡素化され、司法・内務、安全保障での協力体制がとられるようになった。大戦後の地域の平和安定と協調体制確立への取り組みに対して今年のノーベル平和賞がEUに贈られたが、これについてはいろいろ議論があるようだ。

イギリスは大陸ヨーロッパとは海を挟んで離れているところが日本の置かれた立場に似ているところがある。イギリスの場合、海底トンネルで繋がっているが、何でも大陸欧州と一体化するわけではない。特に経済面では一線を画している。

経済統合の仕上げとなる共通通貨「ユーロ」にはイギリスはスウェーデンやポーランドなどと並んで加盟していない。「ユーロ危機」の言葉の通り、現在の統一通貨体制は流動的である。これがEUの結束にも影響を与ることか懸念されている

そこに、「金融取引税(FTT)」の問題が浮上してきた。これにイギリスは反対し新たな対立点として沸き上がって来た。金融制度をいじられることは、イギリスにとって死活問題ともなりかねないからである。

近年、金融業界はいろいろな商品や仕組みや制度を生みだしてきた。例えば、アメリカでは「サブ・プライム・ローン」という、支払い能力以上のローンを低所得者向けに売りだし、そのローン債権を束ねて金融商品とし、これに高い格付けをして世界中に売りさばき、多くの資金運用団体に被害をもたらした。そのなかには日本の学校法人や年金運用法人や自治体も含まれている。アイスランドやギリシャの財政破綻の原因にもなったといわれる。

これらの取引で一部の金融会社は膨大な利益を上げていた。欧米はじめ各国で「強欲資本主義」と呼ばれ始め、特にヨーロッパでは金融産業に何らかの規制をかけるべき、との論調が沸き起こった。

「金融取引税(FTT)」は全ての金融取引に対し、広く薄く取引税を課すものである。EUの執行機関である欧州委員会は10月23日、全ての金融取引に課税するFTTを加盟国中11カ国で先行導入することを発表した。フランス、ドイツ、べルギー、オーストリアなどが賛同しており、近く欧州委員会が具体的な提案をすることになっているが、イギリスは強く反対している。それは予想されたことではあった。

今日イギリスの世界に誇る産業は「金融」しかない。製造業はあるにはあるが疲弊している。ロンドンの「シティ」は欧州最大の金融市場であり、ヨーロッパの金融機関の四分の三は英国内に拠点を置いているとされる。FTTが実施されれば、投資家や金融機関が欧州からニュヨークや香港、シンガポールへ逃げ出し、ヨーロッパの為にならない、とイギリス側は主張している。

イギリスはかつて世界の富を手中に収め、その遺産と運用でアメリカと並んで世界の指導者としての地位を保持してきた。もし金融産業が衰亡することになれば、その権威は危ういものとなる。それはアメリカにも伝染することは間違いない。米英主導の世界経済体制がその基盤が揺らぐことになる。

たしかに、EUやユーロ (Euro)がこのまま続くのか、拡大するか縮小するか見通しの立たないところがある。それにしても最近のイギリスの非協力な態度は際だっている。

日本はまだ東アジアの国々と地経済協力体制を構築するに至っていない。それ以前に領土問題を抱えているが、これはいずれ沈静化することになるだろう。

日本も財政赤字が続いているが、まだまだモノ作りの精神が息づいているところに明るさがある。特に中小企業の製造業の多くが国内に留まって部品を、製品を作っており、それが世界で売れている。むしろ日本の技術への需要は高まっている。そこがイギリスとは異なるところである。

(歴山)

 


あやしい金融業界とLIBOR問題

2012-08-28 21:16:50 | 時事

 

                                     Photo (遠望する新宿方面のオフィスビル群、東京)

 ものごとをやたら複雑にして一般人には容易に理解できないようにする。そこに官と民の専門家が登場し、マスコミで都合のよい情報を流し、学会も巻き込んで解説する。原発のことではない、金融の世界でこそ展開されているのだ。

どの新聞にも「LIBOR問題」の解説記事が掲載されている。いくら記事を読んでも良く分からないというのが一般の受け止めようのようだ。端から自分たちは関係ないことと感じている者もいる。

「ライボー」という言葉をはじめて聞かされたのは、国内の某大学ビジネス・スクールに通っていた時だ。当時の教授の講義は現実味に乏しく、その説明はなかなか理解できなかった、仕事の現場でも直接関係がなくほとんど忘れていたところに「LIBOR問題」なることばが出回り記憶を呼び戻した。LIBORとはLondon Inter-Bank Offered Rateロンドン銀行間取引金利のことだった。

英国銀行協会が集計して発表する、複数の有力銀行から報告された11:00時点のレートの平均値、それで、正確には ” BBA LIBOR “ というらしい(BBA:British Bank Association)。これが「資金調達コスト」の基準として用いられることになる。それゆえ、0.1、否0.01の数字の変動でも大きく経済活動に影響を及ぼす。

こんなものが不正に操作されていたことが判明したとなれば問題は大きい。公正な市場活動をゆがめた不正行為で利益を生み出され、その分われわれを含め世界中が被害を受けていることになる。以前から疑いの目で見られていたらしく、訴訟・提訴が相次いでいたようだ。疑惑は日本にも飛び火し、東京市場でも不正が行われていた可能性があるとして操作に入っていると伝えられる。

銀行や保険会社と云えば最も固い会社組織であり、その社員も信用に値する人たちと考えられてきた。ことにわが国では銀行の信用は今も高い。たしかに今も現場の社員たちはそれなりに信用のおけそうな人が多いが、経営陣はそうではなかった。

為替や株式の取引は0.0000…1秒の取引で億円単位の利益を生み出す技術が確立されており、そこに国籍の定かでないファンドが登場して荒稼ぎをしている。ほとんど「やりたい放題」である。租税回避地(タックス・ヘヴン)に法人登録することでほとんど納税していない。

捕捉できないほどの巨大な資金を有するファンドが特定の企業に市場で「カラ売り」を仕掛けると、その企業は極端に株式価格が低下し、市場での信用を失い、倒産か売却を迫られる。今、日本の有力家電メーカーにもその危機が迫っている。

さすがに欧州では「空売り規制」、「ファンド活動の制限」が議題に上がっている。その声は主として英米系の金融機関に向けられている。日本ではその声はなかなか大きくならないどころか、発言すらはばかられる雰囲気がある。

他方、そのファンドの出資者はどういう人なのか。そこに中国、台湾、インド、ロシア、サウジ、ほかの資産家や資産運用会社が入っていない、とは言い切れない。いったい誰が利益を享受しているのか、それすら複雑になっている。

金融関係の一部の経営陣は収奪を合法的に行うために、つぎつぎと新しい金融商品、取引の仕組み、その評価会社、格付け会社まで生み出していく。デリバティヴ、レバレッヂ、最近猛威を振るっているのがCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)という商品ということになる。その名の通り、債権や社債の焦げ付きを予想してそのリスクを売買するオプション取引、つまり債務の不履行や経営破綻などによる「焦げ付く」可能性のある債権を束ねて多様な商品とし、それに名前を付けて取引する。極めて投機性の高い商品であることは間違いない。昔の日本人なら「人の不幸を金儲けのネタにする」ということだろう。

あたらしい商売のネタとはこういうものなのだ。一般投資家には理解できないほどに複雑な形態とし、企業の財務担当者たちがやっと理解できるほどの仕組みでおカネをかき集める。訴訟が起こされてもこれを十分に理解して判決を言い渡すことのできる司法関係者は少ない。やっと覚えた頃にはまた新しい商品が登場して世間を惑わしているだろう。

ビジネス・スクールで机を並べた某社財務担当者も、「いくら金儲けのためとはいえここまでやることはないと思う」ともらした。

(歴山)


パキスタンで聞くアフガニスタンの話、

2012-07-23 07:44:30 | 時事

                     Photo (パキスタンの大統領官邸、イスラマバード)

 今月の初めに訪問したパキスタンの旅は厳しいものでした。ラホール、ラワルピンディ、イスラマバード、タキシラ、いずれも一年で最も暑い時期で、気温45度を超える日もあった。特に炎天下タキシラでの仏教遺跡視察は苦行に等しいものだった。なかなか「悟りの境地」に達しないのが俗人の悲しさである。

当地で一緒に動いてくれたガイドのフェズ君は、母語であるフンザ語にウルドゥ語、パンジャービ語を話し、日本語と英語を学んでいるというなかなか勉強熱心な三十代の男だった。博物館やバザールや寺院や遺跡を巡る合間の休憩時間にはいろいろな話をした。こちらの質問にも丁寧に応えてくれた。また、バザールで知り合った学生、もと小学校校長で現在ボランティアで遺跡の管理・案内役している人とも意見交換することができた。

彼等は「チョール」と言う言葉を良く使った。パキスタンのみならずインドでも「チョール」とは「泥棒」と言う意味だ。しかし、語感としては「盗っ人」という軽い感じがする。

「ザルダリはチョールだ。だがミスター10パーセントは言い過ぎだ。せいぜい3パーセントだろう。今度首相になったアシュラフもチョールだ」などという。前の大統領も首相も、また州の首相も軍の幹部も「チョール」だという。語り手によって表現は違ったが、意味するところはほぼ同じだった。

タキシラへの道は白い山肌に灌木がちらほら、インダスの支流の両岸には沃野が広がる。ここから少し西にまで行くとアフガニスタンとの国境の街ペシャワールだ。光景はアフガンと殆ど同じである。道路際に難民らしいテント暮らしの集団が見える。

筆者がその昔アフガンへ行った話をすると、フェズ君は、「アフガニスタンのカルザイが最大のチョールだ。彼の弟はガンジャ(麻薬)の取引で有名だったが去年護衛官に殺害された。この一族のお陰であの国は末端の役人、警官までチョールなんだ。パキスタン人ならみんな知っている」という。学生のアッサーム君も元小学校校長のペルヴェズ氏も同様のことを話していた。

たしかにハーミド・カルザイ大統領の経歴は公表されているだけでも、タリバーン政権の国連大使としてアメリカに滞在し、外務次官を務め、その後2011年の「同時多発テロ」事件のあとは米当局の協力者としてタリバーン政権の打倒に活躍している。一時はメジャー「ユノカル」の顧問を務めていたことも分かる。スピーチの英語はアメリカン・アクセントが強い。

筆者が帰国して体調が戻った頃に東京で「アフガン復興会議」が開催された。外国の政治指導者の汚職などいちいち気に留めてもおられないと思うのだが、会議の主たる議題が「国家に蔓延する汚職体質の改善」というのだからあきれた国際会議である。会議は2015年までに総額150億ドル超の経済支援を行うという「東京宣言」を採択して閉幕した。日本はそのうちの30億ドル、別途パキスタンに10億ドルを今後五年間に支援することを表明している。これを伝える日本の新聞もさすがに「アフガン支援会議 活きる支援課徹底検証を」(産経新聞2012.7.10)と書いていた。

アフガニスタンが重要な国であることは間違いない。またそこがいろんな意味で難しい国であることを筆者は自分の目で確かめている。歴史的にも、英国が苦戦して引き下がり、ロシアが敗退した国だ。地元の政策は「ジルガ」という長老会議で決める伝統が生きていたし、現在も続いている。

北にロシアと中央アジア、東に中国、南東にインド、パキスタン、西にイラン、中東諸国と、話題に事欠かないプレイヤーが並んでいる。豊富な地下資源が眠り、その規模は未だ解明されていない。日本人にとっては、仏教伝来の経路にあたり、日本チームが遺跡発掘に従事しているがまだまだ全貌は掴めないほどである。

パキスタンでアメリカの評判が良くないのは、無人機による誤爆で大勢の一般人の犠牲者が出ていることなど傍若無人な態度によるが、「アフパックAF-PAC」というアフガニスタンとパキスタンを一括りにした呼称で軍事作戦を展開していることへの反発もある。

この国の未来は誰の手にかかっているのか、それが問題となる。米国はカルザイ政権の汚職体質を嫌い次の指導者を用意していると伝えられるが、ここまでこの国の汚職体質を助長した責任は免れない。今となってはカルザイ大統領としては気前の良い日本が一番の頼りだろう。

アフガニスタンは中国とロシアが主導する「SCO上海協力機構」の準加盟国に格上げされている。中国は銅鉱山の開発を進めている。アフガニスタンと中国はワハン回廊という細い地域で繋がっているのである。「アメリカの疲弊を待つ」という中国の戦略をここでも見ることができる。

世界平和に貢献するために、主権国家としての日本の為すべきことは何であるか、を考えたいものである。本格的な ”Disarmament” を唱えるときである。かつては絵空事と言われたが、今日の監視・偵察技術、情報分析技術をもってすれば「国際監視のもとの軍縮」は出来ない相談ではない。

(歴山)