よのなか研究所

多価値共存世界を考える

産軍共同体、

2012-02-02 08:29:15 | 政治

                     Photo(鹿屋基地で展示公開されている名機二式大艇)

 

中国の軍事力増強のニュースがマスコミで流される機会が多い。たしかに増大しているが、中国の軍事費は米国の六分の一程度であり、経済規模は米国の二分の一に迫っているわけだから、国力に合わせてまだまだ拡大してことは自明である。中国にも軍事産業が当然あるわけだが、〔産軍共同体〕というのはあるのだろうか。

 

「アメリカは産軍共同体の国家である」、と言いだしたのはその昔のソ連の指導者ではなく、今日の中国の指導者でもない。アメリカの第34代大統領の発言であることを知るひとは少数派になった。

ドワイト・D・アイゼンハワーは「アイクIke」の愛称で呼ばれて国民の間で人気は高く、二期目も高い支持率を保った。軍人としての出世は遅く、第二次大戦が始まったときにはまだ中佐だった。それが時代の風雲に乗り五年余で元帥へと駆け上った。政治家としては先進的とも、堅実とも、凡庸とも評価は分かれている。

 

問題の発言がなされたのは1961年、彼が二期八年の大統領職を全うして退任する時だった。アイゼンハワーが使ったことばは”Military-industrial complex”。予算の均衡維持を政策の原則としていた彼は大規模な軍事組織と軍事産業との結合が国家予算を食いつぶし、国家財政を揺るがすことを懸念した。巨大な存在となった軍事産業は、議会でのロビー活動を通じて政策に影響力を強めて行った。後には、「産軍議会複合体」”Military-industry-conventional complex(MICC)”という用語も用いられた。日本では「産官軍学報共同体」の用語もある。学=大学・研究機関、報=報道機関を意味するようだ。

 

彼の退任後、アメリカはベトナム戦争に深く介入し、多くの兵員と火力と軍事費を投入して、最後は敗退した。この戦争に介入することになる決定的な事件は「トンキン湾事件」であるが、これが演出されたものであったことは後に判明する。その前後、中南米での政府転覆、クーデターに米軍や政府機関が関与していく。歯向かうものを排除するためには手段を選ばず、そのために莫大な予算が投下された。アイゼンハワーの懸念は不幸にも的中した。苦労して作り上げた友好国の中には今は反米政権、あるいは非米政権、つまりアメリカと距離をとるようになる国もでてくる。外交の基本である〈内政不干渉〉を無視する行為は日本国内でもたびたび見られるが、今も世界各地で続いている。

 

ここにきて懸念されるのが中国の動向である。すでに自動車の販売台数でもアメリカを抜いて世界一となっている。世界最大の貿易取引国である。外貨準備も最大規模となっている。この国が第二次大戦後のアメリカのように、軍と軍事産業が結びつき、政策決定に影響力を及ぼすようになる恐れはないのか。人により見解はまちまちである。

中国は一党独裁の社会主義市場経済であり、一産業が政府や党の政策決定に影響力を及ぼすことにはならない、という見解が主流のようだ。他方、軍という実力組織がいざとなれば国を動かすことになるのは社会制度や経済の仕組みに関係はない、との説もある。現在の中国は大戦後のアメリカのように各国に自軍の基地を建設し、あるいは借用し、世界中をネットワークしてはいない。その力もその意思もないとの説明がなされている。他方、すでに南シナ海で、インド洋で複数の商港建設に協力し、その多くが海軍基地として使用可能な施設を備えているのは事実のようだ。

 

オバマ政権は国防費の大幅削減を政策として発表し、中国はまだまだ国防費を経済力と並行して拡大していく。アジアで米国が減じる分を日本と韓国で補うことになれば、際限のない軍拡が続くことになる。

すでに無人兵器、サイバー兵器が登場している時代に兵員数や火器の数量を国同士で競うことに意味があるのであろうか。政府の監視の届かない所で戦闘がなされている、という事態がすぐそこに来ている感がある。国際的な、そして真に中立公正な監視機関の設立と推進こそが日本の役割ではないだろうか。

(歴山)

 


「二大政党制」は民主主義に反す、

2011-10-30 23:27:11 | 政治

                                                             Photo(カルナタカ州政府庁舎、インド)

 

我が国で小選挙区制度を導入した時に「二大政党による健全な政治が実現する、云々」ということが宣伝されました。

小選挙区では一つの選挙区で一人しか当選しません。その結果、大きな政党が有利となり、確かに民主党と自民党という二大政党体制が出来上がりました。三位以下の政党の候補者の当選は極めて難しくなります。比例区で中小政党の主張を尊重すべく仕組みを考えてある、とのことですが、果たしてこれが健全な民主主義といるのでしょうか。

 

わが国にはこの二つ以外に十に近い全国政党があります。現在、民主党と国民新党が与党を組み、それ以外が野党とされています。この線引きもすこし変ですね。各党の選挙の際の政策(「マニフェスト」)や日頃の主張・行動などを見る限り、事態はもっと複雑なような気がします。

 

そもそも、二大政党が民主主義政治の発展に寄与するとの根拠はどこにあるのでしょうか。「二大政党による政治」といえばイギリスとアメリカとをお手本として説明されることが多かったのですが、イギリスでは先の選挙で第三党が勢力を伸ばし、保守党、労働党、自由党が三つ巴の戦いをしました。アメリカでは民主、共和の二大政党に飽き足らない人びとが「オキュパイ(Occupy)」の掛け声で大都市に集結し、社会を揺るがしかねない運動体となっているようです。どちらも、長年の二大政党体制が疲弊していく中で政府や国会に届かない声を代弁して脚光を浴びているのではないかと思われます。

 

現在、わが国の衆議院議員選挙において有権者は小選挙区では候補者を、比例区では政党を選んで投票用紙に書いています。2009年の総選挙では、第一党となった民主党が選挙区で五割の得票率で七割の議席を占めた、といわれました。正確には、47.4% の得票率で63.7%の議席を占めたのです。その前の衆議院選挙では逆の現象がありました。かように、小選挙区とは小さな票数の変化が拡大されて投影される不安定な制度なのです。

 

有権者にとって選択肢が二つしかないということは社会全体にとって不幸なことです。また、二つの政党は与党と野党に分かれ、争点をはっきりと、白黒を決着させようとする傾向がでてくることは避けられません。そうでないとマスコミで報道されないし、政党も政治家は注目を浴びる機会が少なくなります。それゆえ、さほど差のない論点をことさら大きくしてみせる傾向が見られます。その結果ひとつの論点を極端へと進めることで、政策がゆがめられることになります。こうして、皮肉なことに本来の民主主義とはだんだんと離れて行くことになるのです。

メディア操作に長けた権力者が政権党の主導権を掌握すると、世論誘導しそれを背景に重要案件に党議拘束をかけて自分の主張を押し通してしまう恐れがあります。つい数年前に実際にわが国でもあった事象です。

 

政党とは離合集散の集団であり、時代とともに変幻に形を変えて行くところに意味があります。この中に入って自己の政治的信条を貫き通すことは極めて困難なことのようです。

聞いた話ですが、政治の世界に飛び込んだ政治家は、一個人としては政党への不本意な服従を強いられ、政党内での派閥争いに巻き込まれ、時に変節し、また自分の信条を裏切るか政党への反逆へと至たり、ついには除名されることになりかねません。そしてその結果として周囲の失望を買い、一族郎党知人友人へのお詫びの連続となるらしいのです。

 

七億人の有権者がいるインドの政治のあり方は興味深いものがあます。わが国の政治の将来への参考になるかもしれません。2009年の総選挙では33の政党が争いました。

 

自分と近い政党とゆるい連合を組むのですが、何から何まで同じということはあり得ませんから、争点となるイシューの中でも重要な政策で同盟を組んで選挙戦に臨むことになれます。コングレス(国民会議派)UPA: United Progress Ally統一進歩同盟、BJP(インド人民党)NDA: National Democratic Ally国民民主同盟という連合体を組み、さらに統一国民進歩同盟、左翼戦線などが選挙を戦います。

 

UPAの主な参加政党は、もともと会議派から分派した全インド草の根会議派と国民会議党、ドラヴィダ進歩党、全インド統一ムスリム評議会、インド連盟ムスリム連盟、さらにケラーラ、ジャンムー・カシミール、ジャールカンド州などの州単位の政党が続きます。

 

対するNDAにジャナタ・ダル(統一会派)、シヴ・セナ、アカリ・ダル、全国ローク・ダルにラダック、ナガランド、ウッタラーカンド、ミゾラム、テランガナ、などの地域政党が参加しています。

第三戦力としてはジャンタ・ダル世俗派、インド共産党マルクス主義派、テルグ・デサム、全印アンナ・ドラヴィダ進歩同盟、大衆社会党、などがあります。

 

新しい政治的問題が持ち上がると組み換えが微妙に変わっていくところにインドの政党政治の特徴があります。小さな政党も発言力が強いのです。少数意見が国政に反映されています。急激な変化は起こらないが、安定的に推移しています。

議論の分かれている案件を与党の指導者が党議拘束で強行する、などしてもあまり意味がないのです。

 

政治の組み合わせがたびたび変わることは悪いことではありません。首相も国民が必要とするのであれば、一年どころか半年ごとに代わっていくのもいいでしょう。自国の真の国益、国民の福祉の向上のためであれば、政党も政治家も常に変化し前進してもらいたいものです。

(歴山)

 


再び主役となるユーラシア、

2011-10-23 19:23:41 | 政治

         Photo: (サマルカンドのウルグベク・メドレセ、ウズベキスタン)

 

ユーラシアといえば陸続きであるヨーロッパとアジアを一つの大陸として捉えた概念です。その昔、世界といえばすなわちユーラシアだったわけです。古代文明の発祥地の中でナイル河畔のエジプト文明はアフリカですが、それ以外はすべてユーラシアです。黄河と長江の中国文明、インダスとガンジスのインド文明、チグリス・ユーフラテスのメソポタミア文明、やや時代が下ってギリシャ文明、ローマ文明と続き、その後ルネサッスと産業革命を経て、勢力図が東から西へと移動した、と教科書にも書かれています。

 

ユーラシアを旅すると何ごとも大きいことに驚かされます。その内陸部に行くといろいろなことに圧倒されます。ふところの大きな存在です。

問題となるのは、厳密に「ユーラシア大陸」と云った場合、その極東にある日本と、極西にあるイギリス、アイルランドなどの島国が入らないことでしょうか。むろん、アフリカ、オセアニア、南北アメリカ大陸は入りません。しかし、一般には日本はアジアに属し、イギリスとアイルランドはヨーロッパと考えられていますから、「ユーラシア」と云う場合は中に入れることが多いようです。

 

ある金融会社の試算では、2040年代にGDPの上位十カ国は、大きい方から中国、アメリカ、インド、日本、ブラジル、ロシア、ドイツ、イギリス、フランス、南アフリカ、となるそうです(現在の国家単位として計算)。この中の七カ国はユーラシア諸国というわけです。その時、かれらの世界経済に占めるシェアは大変大きなものになっていると予想されます。

幸か不幸か、これらの国々が一団となって世界的に統一行動をとることは少ないと思われます。かつて米国が世界の経済の半分近くを占めていた時代に「世界の警察官」を自任していたようなことは起こらないでしょう。大国となる中国はインド、ロシアと長い国境線を持っており紛争の芽を抱えています。それでいて、中国とロシアは国連の場において欧米諸国と対峙する時、共同歩調をとってきました。両国を中心に発足したSCO(上海協力機構)にインドはオブザーバーとして参加しており、いずれ正式メンバーとなると予想されています。

 

19世紀の初めまで、世界経済の中心はアジアでした。中国、インド、インドシナ、日本、ベルシャ、中東諸国などの豊かな産品が流通し、またアラブ商人の手を経てヨーロッパ世界にも持ち込まれていました。

ひと頃話題になったアンガス・マディソン著「世界経済の成長史1820-1992年」(金森久雄監訳、東洋経済新報社)によれば、PPP(購買力平価)ベースで、1820年のGDPは中国が29%、インドが16%と、この二国で半分近くを占めています。もっとも、同年に人口も中国36%、インド20%ですから、民衆の生活が図抜けて裕福であったと云うことではなさそうです。ちなみに、同著によれば、1820(文政3年、将軍は徳川家斉)の日本はGDPも人口も3%となっています(現在はGDP8%、人口約2%)

 

現在の経済成長率、また潜在力から考えて、世界の成長センターがアジアに移っていることは大方の経済分析家が認めているところです。西欧諸国、特に米国の地盤低下は否めません。経済力と軍事力がほぼ比例して推移するのも現実として受け入れる必要があります。

日本政府が国民のため、地域のためを考えるのであれば近隣諸国との通商体制をしっかりとしたものにすることが求められます。なにしろ世界で最も生産能力が高く、消費性向が高い地域がすぐそこにあるのです。足りないものがあれば近くから調達するのが経済合理性にもかなっています。現実的に言えば、〔アセアン+3〕の枠組み、あるいはインドを加えての〔アセアン+4〕の枠組みがまずあって、その上でさらに遠い国々との貿易自由交渉に取り組む、というのが自然な流れでしょう。

その場合であっても「国家主権としての租税権」を確保しながらひとつひとつ交渉をしていくことが必須です。十把ひとからげで税率や条件を決めてしまうという乱暴な取り決めをすると、その改正、解消にまた十年、二十年の時間を浪費することになりかねません。突然政治課題として登場してきたTPPなる案件はその内容をよくよく知る必要があります。

  

すくなくとも、こちらがあわてて乗るものではありません。あせっているのは相手方です。成長センターであるアジアとの取引を望んでいるはアメリカ、オーストラリアであり、またその間で優位を確立したいと考えるシンガポールくらいのものでしょう。中国も、韓国も参加していません(二国間で個別に進めていますが)。インドは環太平洋ではありませんから、最初から入っていません。われわれは、まずは高みの見物と行きましょう。

 

これを推し進めようと画策している官僚や政治家や評論家や企業人は、明治の政治家たちが幕末に結ばされた不平等通商条約の改定にどれだけ苦労をしたか、に思いを巡らせてもらいたいものです。次代の人たちにわざわざ苦労を引き継がせることはありませんよね。

(歴山)